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浅野長政誕生地碑(の霊松寺) 北野 に主・の子として生まれる。 の弓衆をしていた叔父・に男子がなかったため、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、のちに家督を相続した。 同じく長勝の養女となっていたねね(寧々、のちの北政所、) が木下藤吉郎(後の)に嫁いだことから、長吉は秀吉に最も近い姻戚として、信長の命で秀吉の与力となる。 元年(1573年)、攻めで活躍し、秀吉が主 となると内に120石を与えられた。 豊臣家臣として [ ] 信長の死後は秀吉に仕え、天正11年()ので戦功を挙げて、近江国2万石を与えられる。 天正12年()には京都奉行職となり、のちに豊臣政権下の五奉行となる。 長吉は、その卓越した行政手腕を買われて秀吉に命ぜられてを実施する。 また、東国の大名との関係も深く、豊臣政権が諸大名から没収した金銀山の管理を任されていた。 天正14年()、秀吉の妹・がの正室として迎えられた際は、浜松まで赴いた。 天正15年()、などでも従軍して活躍し、同年9月5日、8万石の国持ち大名となる。 天正16年()、従五位下・弾正少弼にされる。 ではに参加し、攻城戦終盤や戦後処理ではに代わって、長政が主導的な役割を果たしていくことになる。 天正18年()のでは実行役として中心的役割を担った。 としてとの関係を強め、やへ対処した。 天正20年()、を下賜された。 文禄2年()、でも功績があり、の死後に収公されていた府中21万5千石を与えられてに入る。 東国大名の取次役を命じられ、南部信直、、、らを与力とするが、その職務実施状況に不満をもったよりを突きつけられた。 また、宇都宮国綱の突然の改易に長政の讒言があったとする説もある。 これには諸説あるが、によれば、国綱には継嗣が無かったため、の一人である長政の三男・ を養子として迎えようとしたが、国綱の弟であるがこれに反対し、縁組を進めていた国綱側近のを殺害してしまった。 長政がそれを恨みに思ったため、その讒言により改易されたとしている。 傍証として、2年()10月7日のから父・に宛てた書状がある。 そこには、宇都宮氏を与力大名とし姻戚関係もある佐竹氏にも改易命令が出されたが、の取りなしによって免れたことや、「上洛して一刻も早く秀吉に挨拶すべきだが、浅野弾正の検使が宇都宮領の調査に向かっているので、それに覚られないように密かに上洛するように」という三成から指示を受けたことが書かれている。 このことからも、宇都宮氏の改易に長政の関与があったことが伺える。 後に東北・関東の諸大名への申次は、徳川家康・・・・石田三成などに取って代わられた。 長政は上方に詰めていることが多く、甲斐支配は嫡男・が在国して行った。 浅野氏は近世に確立した地域区分であるにそれぞれ国奉行を配置し、郡内領や河内領においても支配機構を整えた。 さらに甲斐における太閤検地の実施や甲府城の修築を行い、甲斐支配を進めた。 筆頭の徳川家康とは親しい関係にあり、秀吉死後は同じ五奉行のと不仲であったとされているが、これには近年になって疑問も提示されている。 しかし、佐竹義宣から父・義重への手紙 において三成から長政の動向について密告があったことが記されていることからも、不仲と言えないまでも仲が良いとは言い難い状態であったことは確かである。 慶長4年()、らと共に家康から暗殺の嫌疑をかけられて謹慎し、家督を幸長に譲って府中に隠居した。 関ヶ原の戦い [ ] 浅野長政屋敷跡(愛知県一宮市、現在はになっている) 慶長5年()、では家康を支持し、家康の三男・の軍に従軍してを進み、幸長は東軍の先鋒として岐阜城を攻め落とし、関ヶ原の本戦で活躍した。 戦後、幸長はこの功績により37万石へ加増転封された。 長政自身はの成立後は家康に近侍し、慶長10年()には江戸に移った。 慶長11年()、幸長の所領とは別に真壁5万石を隠居料として与えられた。 慶長16年()、真壁陣屋 にて死去。 享年65、没後は高野山悉地院に遺体を納めた。 真壁5万石は三男・が継いだ。 叙勲 [ ]• (明治43年) - 贈 子孫 [ ] 長男の幸長は、和歌山藩の初代藩主となり、慶長18年()、幸長の死後嗣子が無かったため、長政の次男で主であった弟・が家督を相続し、5年()にに加増転封となり、幕末まで存続した(安芸浅野家)。 明治にはとなる。 三男の長重は、長政の隠居料を相続して真壁藩主 となり、子のの代にに転封となる(赤穂浅野家)。 長重のがで有名なであり、事件後に赤穂藩は除封となる。 弟の浅野大学(長広)家は500石に減封されて続いたが、昭和に後継者が無く断絶した。 また、長政の従兄弟にがおり、三原浅野家(家老・三原陣屋)の祖となる。 で秀吉がに進軍の際、案内役の家康家臣のがを架けた。 しかし秀吉は、側近の三成の言に従い、用心して渡ろうとしなかった。 そこで長政が手勢を率いて先に渡り、舟橋の安全性を証明したという(の『異本落穂集』より)。 同じく小田原征伐の際、秀吉は、家康の居城のに宿泊する予定であった。 しかし同じく三成が「駿河大納言殿(家康)は北条左京()の岳父であり、内応している疑いがございます」と述べた。 すると長吉は「大納言殿はそのようなことをされる御方ではない。 そんな偽りを信じてはいけませぬ」と秀吉に直言した。 秀吉は長吉の言葉を容れて駿府城に入城し、家康から手厚いもてなしを受けたという(『異本落穂集』より)。 秀吉が文禄の役で自ら朝鮮に渡ると言い出した際、三成は「直ちに殿下(秀吉)のための舟を造ります」と述べたが、長吉は「殿下は昔と随分変わられましたな。 きっと古が殿下にのでしょう」と述べた。 秀吉は激怒して刀を抜いたが、長政は平然と「私の首など何十回刎ねても、天下にどれほどのことがありましょう。 そもそも朝鮮出兵により、朝鮮8道・日本60余州が困窮の極みとなり、親、兄弟、夫、子を失い、嘆き哀しむ声に満ちております。 ここで殿下が(大軍を率いて)渡海すれば、領国は荒野となり、盗賊が蔓延り、世は乱れましょう。 故に、御自らの御渡海はお辞めください」と諫言したという(『』)。 石田三成について研究しているは、関ヶ原の戦いの前の長政謹慎事件は、長政や前田利長を三成らの反家康派から分離させようとした家康の陰謀、挑発であるという説を提唱している。 長政の嫡子・幸長は三成と犬猿の仲だったため、長政は両者の間で苦悩していたという。 を定め、甲斐国で栽培を奨励したという説があるが、正確なところは明らかになっていない。 脚注 [ ] 注釈 [ ] []• 長政に改名するのは秀吉死後。 通説ではややとねね(高台院)は実姉妹で共に浅野家の養女になっていたと考えられてきたが、ねねの実家・木下家の系図にややに関する記述が全く無いことから、ややは長勝の実娘だったのではないかという説もある。 のちに主。 初めはに入ったが、のちにさらにへと移った。 次男と記す資料もある。 下野国塩原温泉ともいわれる。 のちに主。 出典 [ ] []• 杉原信一『多羅尾の歴史物語』多羅尾郷土史研究会、1985年• 筆頭は前田玄以。 他奉行がなのに対して、朝廷や寺社との交渉を主に担当の前田は四品の民部卿と一回り高い官位。 石高では浅野が最大。 現在の。 鈴木紀三雄「「忍城水攻め」歴史像の形成」『地方史研究』64巻5号、2014年。 村川浩平『日本近世武家政権論』近代文芸社、2000年、34頁。 『宇都宮興廃記』• 「佐竹文書」(『栃木県史』史料編中世三、十一号)• 「佐竹文書」(『栃木県史』史料編中世三、十一号)• 『官報』第8031号「叙任及辞令」1910年4月4日。 小林求「甲斐八珍果」『』、1972年6月10日、153頁。 : 参考文献 [ ]• 黒田和子『浅野長政とその時代』、2000年、• 白川亨『石田三成の生涯』、1995年、 登場作品 [ ] テレビドラマ• (、演:)• (、演:)• (、演:)• (、演:)• (、演:)• (、 演 : )• (、演:) ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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浅野長政

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