徳 勝龍。 徳勝龍の結婚した嫁は非公開で人気の理由や目撃情報が意外過ぎ!

2020年 初場所 : 勝敗 : 大相撲 : スポーツ : ニュース : 読売新聞オンライン

徳 勝龍

徳勝龍 (とくしょう )は、木瀬所属の現役である。 概要 生まれ、出身。 本名は。 、体重kg。 突き押しが基本形だが、多なを取れる。 四股名の「徳」の字は正しくは旧字であるが、機種であり次第では正しく表示されない場合があるため、この記事においては「徳」の字で代用することはご容赦願いたい。 のなら間違いなく美扱いされる顔つきで、のの間では急上昇中。 この記事のを書いた人がに「上には一部でがいる」と書いたのはこのことである。 来歴 4年生から橿原の場でに親しんだ。 からはの場に通い、はのに留学。 はの3年であり、時代には面識はないが、同の縁でよく話すという。 時代には団体戦してターのに貢献すると、は西での強校のに進学。 生のは学部まで一緒だった()。 時代に大きな大会ではできていないものの、やや規模の大きい大会ではの実績を残している。 をすると木瀬にして場所で初土俵。 序ノ口、三段でして一気に幕下まで駆け上がり、場所で歳で関取に昇進。 一度は幕下に陥落したが、すぐにに戻って2ケタを2回挙げて場所で新入幕。 この場所は9勝を挙げてに勝てば敢闘賞の受賞が決まっていたが、敗れて受賞はできなかった。 場所では11勝4敗と大健闘したのに、三賞の補にも挙げてもらえなかった。 に見える活躍をしたがいるにも関わらず「該当者なしの」に陥っていた。 以降立った活躍は残せず、下位まで番付を落とすこともあったが、場所で初を果たす。 、からの返り入幕で迎えた初場所で2日にに敗れたものの、快進撃を続ける。 同じく一敗で並走していたを14日の直接対決で下すと、幕としては異例の結びの一番を組まれる。 勝てばが決まる大一番、を寄り切りで撃破。 14勝1敗で最高、同時に敢闘賞を受賞した。 超会議場所トーナメント戦の成績 で行われた巡業のデイ大会の結果をここに記す。 大相撲超会議場所 で開催された。 当時の番付は西11枚(場所)。 回 勝敗 決まり手 対戦相手 1回戦 り出し 東14枚 東 2回戦 準々決勝 準決勝 決勝 大相撲超会議場所2015 で開催されたが、「右足関節炎」のため休場した。 回 勝敗 決まり手 対戦相手 1回戦 や 2回戦 や 準々決勝 や 準決勝 や 決勝 や 関連動画 関連商品 関連チャンネル 関連項目• :の生• :上のほうが有名な 士.

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217. 2020年大相撲秋場所番付予想

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木瀬(きせ)部屋の現役力士の番付と成績、そして基礎情報をまとめてご紹介します。 この番付表では 最新場所である 令和2年7月場所の番付だけではなく、 先場所からどれだけ番付が上がったのかを成績と共に比べて確認できます。 表の内容はボタンによって切り替えることが出来ます。 力士の詳細なデータが盛りだくさんですよ!さらに表の下には所属力士の勝敗数をまとめて集計していますので 「部屋としての全体の力」も確認できます。 場所中には日々更新していきますので、 観戦のお供にどうぞご活用ください。 また、 日々の対戦相手と勝敗が一目で分かる星取表もあわせてご覧ください。 他の部屋の番付と成績も見てみたい方は部屋目次より選んでください。 出身地毎の番付・成績もご用意しています。 この記事の目次• 木瀬部屋の番付と成績・力士一覧(千秋楽) 番付 (令2. 7) 四股名 よみ 令2. 7 場所成績 令2. 5 令2. 5 場所成績 令2. 3) 令2. 1) 令2. 11) 令元. 9月) 令元. 7) 令元. また、表示件数を切り替えることで上下のスクロールも可能です。 項目をクリックすることで表を並べ替えることが出来ます。 令和2年7月場所の番付は西 幕下37枚目。 入門は10代・三保ヶ関(元大関・増位山)の三保ヶ関部屋だったが、平成25年(2013)9月場所を最後に部屋が閉鎖となり木瀬部屋所属となった。 平成21年(2009)7月場所と平成27年(2015)9月場所の2度、8人による幕下優勝決定巴戦に進出したが惜しくも初戦で敗れた経験が。 右膝の手術のため平成31年(2019)1月場所から4場所連続休場となり一時は番付を序ノ口にまで落とした。 捻りや足技も得意な業師。 野球観戦と競馬が好き。 令和2年7月場所の番付は西 前頭7枚目。 小学4年の頃から橿原市けはや道場で相撲を始め、中学からは大阪岸和田市の右門道場で稽古を重ねた。 高校は高知県の明徳義塾高校へ「相撲留学」、高校2年次にはインターハイ団体優勝に貢献した。 この頃のチームメイトには影山(栃煌山)が。 大学は近畿大学へと進学、杉山(宝富士)とは大学での同級生。 大学時代には西日本学生相撲選手権大会優勝、全国大学選抜相撲高知大会優勝など5つのタイトルを獲得した。 平成21(2009)年1月場所で初土俵を踏むと序ノ口、三段目優勝と6場所連続勝ち越しなどで1年後には幕下上位にまで番付をあげた。 しばらくは幕下上位で足踏みをしたが平成23年11月場所で新十両昇進、平成25年7月場所で新入幕を果たした。 愛称は本名の「誠」ちなんだ「マコ」 西前頭17枚目と幕尻で迎えた令和2年初場所、千秋楽で大関・貴景勝を破り自身初の幕内最高優勝を果たした。 これは木瀬部屋初の優勝力士。 また奈良出身力士としては大正11(1922)年初場所での鶴ヶ濱以来98年ぶりの幕内優勝力士となった。 令和2年7月場所の番付は西 十両4枚目。 葛飾白鳥相撲教室の1年先輩は千代大龍、日大の1年先輩は常幸龍。 埼玉栄高校では1年次から団体戦レギュラーでインターハイ優勝、2年次には高校相撲金沢大会で個人優勝も。 弟は追手風部屋の翔猿。 カレーパンマンに似ているともっぱらの噂。 四股名の由来は、日本体育大学相撲部監督の田中英壽さんから「英」、母親の名前から「乃」、師匠である木瀬親方の現役時の四股名・肥後ノ海から「海」というように3人から1字ずつ頂いた。 令和2年7月場所の番付は東 前頭11枚目。 近畿大学3年次に全国学生相撲選手権大会で団体優勝。 初土俵から14連勝を記録するも序ノ口、序二段とも同部屋の岩崎(現:英乃海)との優勝決定戦で敗れた。 その後、幕下上位から左膝前十字靭帯断裂の大怪我で序ノ口までの転落を経験。 その序ノ口からの再スタートを全勝優勝で飾ると翌場所も序二段で全勝優勝、こうして番付を上げていき平成28年7月場所での新十両昇進を果たして四股名を志摩ノ海へと改めた。 しかしこの場所は4勝11敗と跳ね返されてしまい1場所で十両陥落。 令和2年7月場所の番付は西 幕下53枚目。 小1の頃から押野道場に通い始めて、平成13年(2001)の全日本小学生相撲優勝大会で優勝。 西南部中時代にも団体戦などで活躍し、進学した金沢学院東高校3年次には十和田大会個人優勝など順調に実績を積んだ。 ちなみに同校では遠藤の1年後輩にあたる。 高校卒業時には相撲界の不祥事もあったため拓殖大学への進学を選んだが、大学卒業とともに木瀬部屋へと入門。 初土俵から所要8場所で新十両昇進を決め、四股名を高立と改めた。 この四股名は入門前に亡くなった父親が生前に考えてくれていたもの。 令和2年7月場所の番付は東 幕下19枚目。 4歳の頃から相撲を始め、寝屋川相撲連盟の厳しい稽古で徹底的に押し相撲を叩きこまれた。 これが強靭な下半身の礎となる。 しかし身体が小さいために思うように勝てなかった宇良は、階級制があるレスリングならば勝てるのでは?と興味を持ち、小学3年の頃からレスリングにも取り組み始めて小4で見事全国2位に輝く。 中学時代はレスリングをメインに取り組んでいたが、鳥羽高校に進学すると再び相撲に専念して稽古に励んだ。 進学した関西学院大学1年次には65キロ未満級でタイトルを手にしたが、「無差別」である大相撲にむけて徹底した肉体改造に取り組み3年次に世界選手権軽量級で優勝、これを機に「プロ」への想いはさらに強まる。 木瀬部屋に入門してからも細かな目標と地道な努力により着実に番付を上げていき、所要7場所で新十両昇進を決めた。 さらにそこから所要5場所で新入幕を果たす。 平成29年名古屋場所では横綱・日馬富士をとったりで破り、涙の金星を手に入れた。 小学生の頃に、細身の身体で大きな力士に立ち向かっていく安馬(のちの日馬富士)の相撲を食い入るように観ていた宇良にとって、これは記念すべき金星。 しかし翌場所2日目、以前から痛めていた足をさらに痛めてしまったことがきっかけで、6場所連続で休場となってしまった。 平成30年9月場所、約1年ぶりに東三段目91枚目で復帰すると翌場所を三段目優勝、波に乗るかと思われたが平成31年初場所の豊昇龍戦に敗れた際に右膝をまた痛めて再びの長期休場となった。 2度の長期離脱にも腐ることなく地道なトレーニングと稽古で以前以上の肉体を造りあげて、5場所ぶりとなる令和元年11月場所を西序二段106枚目で復帰、令和2年初場所では全勝同士での優勝決定戦を制して序二段優勝をあげ復活への弾みをつけた。 令和2年7月場所の番付は西 十両9枚目。 4人兄弟の三男で弟は同じ木瀬部屋の木崎海。 沖縄の具志川中学時代に参加した鳥取城北高校の合宿の厳しさを肌で感じて鳥取城北高への進学を決意。 高校の同期には逸ノ城が。 鳥取城北高3年次に国体で団体優勝、個人戦も決勝での逸ノ城との対戦を制して優勝。 日本大学に進学し4年次には主将として全国学生相撲選手権大会で団体優勝を飾った。 付出資格は得られなかったが木瀬部屋の門を叩いて前相撲からスタートし、初土俵から15場所目となる平成30年7月場所で新十両昇進となった。 令和2年7月場所の番付は西 幕下56枚目。 紅陵高では関東総合相撲で団体優勝と個人戦3位に。 拓殖大学を経て木瀬部屋へと入門。 同部屋の高立は拓大の2年先輩。 幕下まで番付を順調に上げていたが常幸龍との稽古で左膝の膝蓋腱断裂という大怪我を負い、4場所連続休場に。 序ノ口にまで番付を下げてしまった。 本格復帰となった平成30年(2018)11月場所を序ノ口全勝優勝、続く平成31年(2019)初場所も全勝同士の決定戦を制して序二段優勝をあげて復活を大いにアピール。 幕下21枚目と過去最高位で迎えた令和2年(2020)1月場所も4連勝と好調だったが、5番相撲の琴太豪戦で右膝に大怪我を負い4勝1敗2休、場所後に手術を受けた。 翌場所の番付は過去最高である幕下16枚目だったが全休となった。 令和2年7月場所の番付は最高位に並ぶ西 幕下15枚目。 大垣市立小野小4年の頃から大垣ジュニアクラブ花木道場で相撲を始めて、小5でわんぱく相撲全国大会に出場。 大垣市立東中3年のときに全国中学校相撲選手権大会に出場した。 高校は石川の金沢学院東高校へと相撲留学、その後金沢学院大学へと進学した。 大学4年次での西日本学生選手権団体優勝をはじめ数々の大会で優秀な成績をおさめた田邉は、木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)に誘われたことで角界入りを決めた。 宮城野部屋の炎鵬とはこの高校と大学時代のチームメイト。 序ノ口、序二段、三段目での「ライバル対決」はいずれも炎鵬に破れて全勝を逃し悔しい思いを。 13代・稲川 有希(木瀬部屋)• 四股名 : 普天王 水(ふてんおう いずみ)• 最高位 :小結• 年寄名跡:13代稲川• 出身地 :熊本県玉名市• 本 名 :内田 水• 生年月日:昭和55年(1980)8月28日(39歳)• 出身大学:日本大学• 所属部屋:出羽海部屋• 初土俵 : 平成15年(2003)1月・幕下15付出(22歳5ヵ月)• 新十両 :平成15年(2003)5月(22歳9ヵ月)• 新入幕 :平成16年(2004)3月(23歳7ヵ月)• 新三役 :平成17年(2005)9月(25歳1ヵ月)• 最終場所: 平成23年(2011)5月(30歳9ヵ月)• 生涯戦歴: 326勝347敗14休/670出場(49場所)• 生涯勝率:48. 優勝等 : 幕下同点1回• 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回• 幕内戦歴:231勝260敗4休(33場所)勝率:47. 小結:5勝10敗(1場所)勝率:33. 前頭:226勝250敗4休(32場所)勝率:47. 十両戦歴:72勝75敗3休(10場所)勝率:49. 木瀬親方の経歴 熊本県の旧河内芳野村白浜地区(現在は熊本市)出身、三保ヶ関部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。 小学生の頃から相撲を始め、熊本工大高等学校(現・文徳高校)では全国大会に出場するなど実績を積んだ。 大学は日本大学に進学し4年次には主将を務める。 全国学生相撲選手権では尾曽(のちの武双山)を破って優勝、学生横綱の栄冠を手にした。 幕下最下位格付出の資格を得た坂本は三保ヶ関部屋へと入門すると、幕下3場所目で全勝優勝をあげて平成4年7月場所での新十両昇進を決めた。 十両でも勝ち越しを積み上げて平成5(1993)年3月場所で新入幕、左四つの相撲で期待されたが攻めの遅さもあって三役への昇進は叶わなかった。 新入幕から平成13(2001)年11月場所までの約9年間、実に53場所連続平幕在位という記録を持つ。 平成14(2002)年11月場所を最後に現役を引退、11代木村瀬平を襲名して三保ヶ関部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、平成15(2003)年12月に分家独立して木瀬部屋を興した。 11代・木村 瀬平• 四股名 : 肥後ノ海 直哉(ひごのうみ なおや)• 最高位 :前頭筆頭• 出身地 :熊本県熊本市• 本 名 :坂本 直人• 生年月日:昭和44年(1969)9月23日(50歳)• 出身大学:日本大学• 所属部屋:三保ヶ関部屋• 初土俵 : 平成4年(1992)1月・幕下60付出(22歳4ヵ月)• 新十両 :平成4年(1992)7月(22歳10ヵ月)• 新入幕 :平成5年(1993)3月(23歳6ヵ月)• 最終場所: 平成14年(2002)11月(33歳2ヵ月)• 生涯戦歴: 407勝476敗80休/878出場(66場所)• 生涯勝率:46. 優勝等 : 幕下優勝1回• 成 績 :金星2個• 幕内戦歴:335勝417敗43休(53場所)勝率:44. 十両戦歴:53勝57敗37休(10場所)勝率:48. 過去から現在までの木瀬部屋力士はこちら ここまでは木瀬部屋の現役力士と親方などをご紹介してきましたが、この木瀬部屋の 過去から現在までの所属力士をまとめた記事もご用意しています。 興味を持たれた方はどうぞ。 カテゴリー• 121• 105• 108•

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大相撲初場所に関して。

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まずはプロフィール 名前:青木 知恵 年齢:33(徳勝龍関と同い年) お仕事:法律事務所の秘書 趣味:プロレス観戦(中西学)さんのファン 結婚:2016年に結婚(入籍)、2017年に結婚式を挙げる 二人の馴れ初め 二人の馴れ初めは、前日の記事にも書いてはありますが、「なじみのカレー店」でした。 カレー店の店長と知り合いの千絵さんが、 店長から「お相撲さんが来てるから見においで」と呼び出され、紹介されたのが徳勝龍関でした。 千絵さんの第一印象は「白くてかわいい」だったそうです。 知恵さん、相撲ファンではなくプロレスファン 知恵さんはプロレスファンで、知り合った当時、プロレスラーの中西学さんのファンイベントに行っていたそうです。 (引退するのがショックで) そんな、今話題の人物の奥さんから自分のファンだったということが耳に入った中西学氏は、 「誰がファンと言ってくれても励みにはなるけど、思わぬところで名前が出てビックリしたよ。 そりゃもちろん光栄なこと。 年齢は20歳違うけど、彼にもケガなく頑張ってほしいですよ」とコメントを出してます。 奥さんは丸の内で働くOLさん 相撲界では珍しく、千絵さんはご結婚後も仕事をされています。 丸の内の大手法律事務所で秘書として勤務されているそうです。 休みの日以外はテレビで相撲を見ている時間はないそうで、国技館に足を運ぶこともあまりないことなんだとか。 なんか意外でしたね。 力士の妻と言えば、毎日食事の管理に気を付けたり、国技館でお着物を着て夫の取り組みを観戦したり、力士を陰で支える存在みたいなイメージでしたが、サラリーマン家庭とあまり変わらない、共働き夫婦でした。 今場所中は優勝後、パレード用の紋付に着替えた徳勝龍は、妻の姿を見つけ「来てたの?」と握手を交わしたそうです。 優勝決定戦では決定の瞬間を 「怖くて見ていられなかった。 2階の廊下にいたら歓声が聞こえたけど『どっちかな?』とわからなくて。 LINEで知って、ビックリして泣いてしまいました」と明かしたそうです。 場所中は、途中から知恵さんの方が緊張して、全然ごはんが食べられなかったとか。 知恵さんの今場所の望みは幕内に残れれば・・・ 先場所は西十両筆頭で8勝7敗だったため、一歩間違えれば、今場所は幕尻ではなく、東十両筆頭でもおかしくはなかったそうです。 昨年九州場所までの14場所は1場所を除いてほとんどが十両暮らしでした。 今場所は昨年名古屋場所以来4場所ぶりの幕内だったそうです。 昨年はほとんど十両で、今場所も4場所ぶりの幕内って・・・幕尻でも彼の成績からしたら良い方だったということでしょうか? そんな状況だったため、 奥さんの知恵さんも今場所は幕内に残れれば、それでいいと思っていたそうです。 徳勝龍関の成績を整理してみますと、 どうやら十両と幕内を行ったり来たりする力士であった。 十両の期間の方が昨年は長く、やっと幕内に上がれて今場所も幕内 幕尻でも)をキープできれば、来場所の大阪場所で(地元が関西なので)幕内力士として取り組めるので、周囲からもまったく幕内キープしか期待されてなかった。 そんな周囲のささやかな願いを通り越して、上位争いに躍り出たんですから、奥さんやご家族、周囲の人たちは驚いたことでしょうね。 審判部の人たちですらはそのうち負けるだろうと考えていたそうで、上位と当てずににいたところ、白星を重ねていったので慌てて大関貴景勝との結びの一番を組んだといういきさつだそうです。 こうしてみると、あの優勝インタビューで語っていた 「自分なんかが、優勝していいんでしょうか?」というセリフの意味がよくわかります。 それまでの成績では、「目標は優勝」と宣言すれば周囲の人間から一笑されかねない、高望みの夢だったのかもしれません。 それが、当初の目標の幕内キープどころか優勝をして、優勝インタビューを受けているものだから「自分なんかが、優勝していいんでしょうか?」というセリフなったんですね。 余談だけど十両の給料っていくらなの? 力士のお給料っていくらなんでしょうか?一般の人たちからしたらあまり知る機会もなく、番付によって違うのでわかりづらいですよね? 今回は昨年十両期間が長かった徳勝龍関だったので十両のお給料について調べてみました。 力士にお給料が出るのは十両からです。 初めて月収がもらえます。 月収だけではありません。 月収2か月分に相当するボーナスももらえます。 十両の月給は110万円ほどと言われています。 これに 1つ3万円の懸賞金もつくので、年収にすると1200万円以上、力士によっては懸賞で稼いで2000万近くという人もいるのではないかと思われます。 十両の 優勝賞金は200万円です。 今回、徳勝龍関は幕内だったので 優勝賞金は1000万円だそうです。 幕内の月給は140万ほどみたいです。 優勝賞金のようにグンと跳ね上がらないんですね。 今場所徳勝龍関は 殊勲賞と敢闘賞が各200万円、懸賞金が528万円、優勝賞金が1000万円なので合計1928万円ものお金を手にすることになります。 関連記事….

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