ロンリー僕は孤独なのかい。 それは極彩色の孤独な心~ザ・ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』50周年、スペシャル記念エディション発売に寄せて

[B!] ロンリーレモンの孤独な日記

ロンリー僕は孤独なのかい

ということで今回は、海外サイト Reddit に寄せられた 体験談「人生で一番孤独だった瞬間」21選をお伝えしたい。 13才の冬休み、クラスメイトからミルクシェイクとフライドポテトを一緒に食べにいかないかと誘われたんだ。 「ついに友達ができたんだ!」と僕はとっても嬉しくなって、両親にも大喜びで話したよ。 でも結局、僕はダマされていて、約束の場所には誰も現れなかった。 僕は途方に暮れながらも、両親に話した手前、そのまま家に帰ることは出来なかった。 だから僕は数時間、外をうろついて一人でミルクシェイクを飲んで、フライドポテトを食べたんだ。 その2:クリスマスカード 唯一届いたクリスマスカードが、保険会社から送られてきたものだった。 その3:午前5時の就寝 僕は午前5時に就寝する。 そうすると日中は寝て過ごせるからね。 何もしてないよりはマシだから……。 その4:イラクからの帰還 2005年、僕と他の兵士は1年間の兵役を終えて、イラクから帰ってきた。 もちろん、友達、恋人、家族が迎えに集まって、涙の再会を果たす仲間たち。 そんな彼らの姿を、僕はポツンと1人で眺めていた。 なぜなら、僕を迎えにきた人は誰もいなかったから。 僕にとっての家族は、仲間の兵士だけだったんだ。 だから僕はくるりと背を向けて、元の自分の部屋に1人で歩いて帰ったよ。 誰もいない部屋でビールを飲んでいると、自分は帰って来れて幸せなはずなのに、むなしい気持ちしか感じていないことに気が付いた。 以来、あの気持ちはずっと僕の中に居座っているよ。 その5:夢の中の彼女 ある晩、素敵な彼女ができた夢を見た。 でも目が覚めて、それが夢だと気が付いたとき、ものすごく落ち込んだ。 おもわず枕を抱きしめて、あふれる涙をこらえたよ。 その6:教会 両親と上手くいっていなかった僕。 大学生の頃よく教会に行っては、知らない仲良し親子の姿を眺めているのが好きだったな。 僕は1人で映画館に行って、無料チケットを使って2本の映画を立て続けに見たんだ。 そのときの、チケット販売員のお姉さんの哀れみの目が忘れられない。 普通は誰かと来るものなんだろうね……。 その8:思い出の家 妻がこの世を去って、2人で住んだ家を売ることになった。 最後に家を見て回ったとき、とてつもない寂しさを感じた。 その9:ストリップクラブ 彼女がいなかった俺は、バレンタインデーにストリップクラブに行ったんだ。 友達はみんな予定があったし、独りで過ごしたくなかったからね。 そしてあるストリッパーが俺の頬にキスをして、こうささやいたんだ。 「キスマークが残っちゃった。 誰かに怒られないといいけど」。 バレンタインデーにこんなところに来る人間には、キスマークを怒ってくれる相手はいないものだよ……。 その10:抱き枕 誰かを無性にハグしたくなって、抱き枕をギュッとしたとき。 その11:兵役から戻ってきて 兵役から帰ってきた僕は、お祝いするために、レストランを借り切って家族や友人70名を招待した。 3週間前からイソイソと準備していたのに……パーティーには誰も現れなかったんだ。 誰からもキャンセルの電話もメールも無かったから、僕はみんな来るものだと思って、レストランでずっと待っていたんだよ。 その12:トイレでランチ 中学、高校ともに友達がいなかった私は、お昼ご飯をトイレで食べていた。 別に嫌われていたとか、イジメられていたとかじゃないの。 ただとてもシャイで、友達が作れなかっただけなんだ。 その13:妻の浮気が分かったとき 妻が浮気していることを知ったとき、僕は台所の床に泣き崩れた。 そして携帯電話を取り出して、悲しさを誰かに伝えようとした。 けれども、この重い話題を話せるほど親しい人が誰もいないことに気が付いてガク然とした。 その14:一人暮らし 私はこの5年ほど一人暮らしをしている。 この前、実家に戻ったときに4才の甥と一緒のレゴで遊んだの。 で、時間が来たから「もう帰るわね」と遊びを止めようとしたら、甥から「もう行っちゃうの? 家で誰か待ってるの?」と無邪気に質問された。 ううん、誰も待っていない……。 なぜだか、その女性は僕の申請を受理してくれて、以来、彼女の近況が僕の Facebook ページに流れてくることに。 彼女の妊娠を2回とも応援したし、早産だったときも心配した。 彼女の夫が事故にあったときも、涙を流した。 そして彼女が医大に合格したときは、誇らしい気持ちにさえなった。 全部パソコン越しにね。 そして気が付けば、彼女の人生には色々あるのに、僕はずーっとパソコンの前にパジャマで座っているだけだったんだ……。 その16:30才になった瞬間 30才になった瞬間、僕はひとりぽっちでデニーズにいたんだ。 結婚していて、3人の子供がいるにも関わらずね。 その17:誕生日 新しい土地に引っ越してから1年間くらい、友達も知り合いもいなくて、私はほとんど誰ともしゃべらなかった。 でも誕生日には誰かの口から、お祝いの言葉が聞きたかったの。 そうすれば、カルテに書かれた誕生日を見たスタッフが「おめでとう」って言ってくれるって思ったからね……。 その18:特大ピザ 特大サイズのピザ2枚が配達されてきたとき、テレビの音量を大きくして「みんな! ピザがきたぞ〜」と叫んで、友達とパーティーしているフリをした。 本当は1人だったんだけど。 その19:おめかし ある土曜の夜に、おしゃれをしてメイクも完璧にして、家のソファーに座って、ずーっと誰かからお誘いの連絡が来るのを待っていたことがある。 結局その夜は、おばあちゃんの家に行ったわ。 その20:1カ月間 1カ月間、誰ともしゃべらなかったことがある。 その21:1人でお昼 高校生のとき、お昼休みにはヘッドフォンで音楽を聴きながら、1人でご飯を食べていたよ。 周りの楽しそうな会話を聞きたくなかったから。 1人黙々とご飯を食べながら見渡す世界は、スローモーションのようにユックリ流れていた。 人間観察はできたかもしれないけれど、孤独な学生生活だったよ。 でも最後には、1人の女の子と友達になったから良かったんだけどね。 参照元:(英語) 執筆: Photo:RocketNews24.

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いいわけ 歌詞 シャ乱Q ※ elections.redeyechicago.com

ロンリー僕は孤独なのかい

Lonely 」で始まる本作。 ハーモニー・コリンが8年ぶりにメガホンをとった「ミスター・ロンリー」。 深夜0時から始まるFM音楽放送「ジェットストリーム」の城達也の渋い声で語られるナレーションと、ジェット機の離陸音とともに、学生時代、机に座りながら毎晩聞いていた「ミスター・ロンリー」のこの曲が胸に染みこんでいる私には、このオープニングはたまりません。 のっけからズボズボッとはまりました。 そして、この歌が流れる中スクリーンにはこの映像。 外の世界と隔絶してマイケル・ジャクソンになりきることで固い殻で自分を覆ったミスター・ロンリーの孤独がスクリーンから切ないほど伝わってくる。 文句なしの感動でした。 コリンはそんな彼らの姿から、アメリカから見放された階層の現実、爛れたアメリカの病巣を浮かび上がらせている。 手持ちカメラでぶれる映像、ざらつきぼやけた映像を巧みに取り入れ、暴力的で、不衛生でありながら、美しさと優しさに満ちた映像。 決して奇をてらった映像ではなく、血肉の通った彼らのの姿を描きだしている。 映像と音楽センスに目を瞠るものがある。 アメリカで酷評された「ガンモ」だが、ヘルツォークやガス・ヴァン・サント、ゴダールらが彼を擁護し、またベルトルッチはその映像に影響されて「シャンドライの恋」をつくり、若者達はコリンの映像に見せる感性を支持した…… 一方で、幼い頃から染み付いたドラッグやアルコールの習慣に、生き急ぐ天才の将来を危惧する声も聞いた。 「常に注目される状態に耐えられず、自滅的に生きていた。 でも、本当に死にそうになって、このままじゃダメだと思った」。 少年期を過ごした米テネシー州ナッシュビルに帰り、妻のレイチェルと出会い、薬物依存をやめ映画に戻ってきた。 「やっぱり映画が大好きなんだ」と語るコリン。 社会の中で生きるには不器用な一人の若者の孤独と虚構を描いた「ミスター・ロンリー」にコリンの姿と重ねあわせてしまう。 ガンモで社会に見捨てられた子供達を描き、その中で一人の若者は「社会に順応しようと13歳から働いている。 生きるために働くのは平気だ。 でも暗闇しか見えないのが辛い。 引き金を引いたら僕はしねるだろう」とこめかみに銃口を当て一人の若者が独白する。 社会の闇でもがくそんな彼らの姿を描き、それはまたコリンの内に抱えるものであり、「ミスター・ロンリー」は、ある意味「ガンモ」の延長線上にある物語でもあり、また8年間の沈黙の中にいたコリンの内なるものを色濃く投影させた物語でもあるだろう。 それはアーティストして、ハーモニー・コリン自らが味わい、押しつぶされそうになった鬩ぎあいでもあるだろう。 自分達が演じている虚構の人間になりきって、自分達の劇場で地上最大のショーを企画し、世間の人に披露しようとする。 虚構の姿を自分自身として社会に認知させようとする彼らの目論みは惨憺たる結果に終る。 マイケルはパリで知りあったマリリン・モンローに誘われ、スコットランドにあるインパーソネーターの生活共同体。 チャップリン、ヨハネ・パウロ二世、リンカーン大統領、ジェームス・ディーン、シャーリー・テンプル、三バカ大将、マドンナ、エリザベス女王、赤ずきんちゃんなどなど、みんな誰かになりきって暮らしている。 表層的な虚構の姿で動く彼らの姿は痛々しいほどに滑稽だ。 マリリンが白いドレスを着て、映画「七年目の浮気」でモンローが地下鉄の通風口からの風をはらんでワンピースの裾がまくれ上るポーズを真似てみせても、その下からみえる彼女の下着姿は紛れもなく中年女を感じさせ、何の色気も感じられない。 この痛ましい現実を彼らは見ようとしないことの、笑うにはあまりにも哀しい。 そして尼僧たち。 飢えた人々に飛行機で物資を落としている時に一人の尼僧が誤って空に投げだされる。 落下しながら神に祈りをささげたその尼僧は、草むらに軌跡の落下をする。 そして尼僧たちは、この奇跡を自分達の信仰の証として布教活動に利用しようと、更なる空中ダイビングを行う。 海岸に打ち捨てられたように横たわる尼僧たちの遺体。 その体に波が打ち寄せては引いていく。 インパーソネーターたちが、自分以外の誰かになって社会の前に立ったとき、彼らの虚構の上にたった奇跡は起こらず、自己の純粋な信仰の奇跡は、尼僧たちの社会に対する野心の前にもろくも崩壊する。 何かに執着することで現実が見えない悲劇が、信仰と神への執着を持つ尼僧たちにも起きたということだろう。 インパーソネーターたちの牧場の羊の1匹が伝染病に罹り、感染の危険性から健康な羊たち全てを彼らは射殺する。 1匹の危険分子によって、羊の群れを抹殺する社会の論理が、社会から隔絶した自分達のユートピアであるこの共同体でも生きている。 羊たちはとりもなおさず羊たちを見ている彼らたちの姿でもあるだろう。 抑圧や孤独から解放されるために、誰かの人格で生きている彼らだけれど、マリリンの夫のチャップリンは、マリリンを支配服従させようとする。 「チャップリンでなくヒトラーに見えるわ」とマリリンは泣いて抗う。 ユートピアであるはずの彼らの共同体の歪や虚しさが、徐々に顕わになってくる 自分自身の存在を否定しても、虚構の姿をつき破って現れる実の自分の姿。 そんな虚実の裂け目でマリリンは、「生きる辛さに比べると、死は一瞬ね。 」こんな自虐的でネガティブな言葉を残して自らの命を絶つ。 マリリンを思うマイケルの感情は紛れもなく僕の感情。 僕の愛、僕の悲しみ。 何者でもない僕自身のもの。 僕の中のマイケルの旅は終った。 何者でもない。 僕は僕として生きていく。 この世界は孤独のままだ。 でもその孤独と闇を受け止めて僕は生きていく。 マイケルの衣を脱ぎ捨て、僕として街の雑踏の中を歩き出したミスター・ロンリーの姿に、コリン自身の、この世界、人々が生きているこの社会に戻ってきた、彼の復活宣言でもあるんではないかしら。 神父役でヴェルナー・ヘルツォークや、レナード役でレオス・カラックスなどが監督ではなく役者として出演していたり、カラックス監督の「ボーイ・ミーツ・ガール」「汚れた血」「ポンヌフの恋人」でアレックスを演じたドニ・ラヴァンがいまや中年となってチャップリン役だったりと、しばらくご無沙汰の面々を見れるのも面白いだろう。 そしてマイケルことミスター・ロンリーを演じたディエゴ・ルナのマイケルなりきりのパフォーマンスは拍手ものう。 そして「ガンモ」でみせたハーモニー・コリンのイマジネーション溢れる映像センス、そして音楽センスといい彼の感性にゾクゾクする。 マイケルがスコットランドの共同生活体に旅立つとき、アパートの部屋にあるそれぞれに別れを告げるシーンもとても印象的だった。 寝心地の良かったベッド、僕に世界を見せてくれた窓、いつも座っていた机と椅子……彼はこんな小さな部屋の世界で暮らし、こんな小さな窓から世界を見ていた。 ちいさな世界で縮まって生きてきたマイケルの孤独が切ないほど伝わってくる。 そして赤ずきんちゃんが歌う首吊りの歌はどこか聞いたことがある懐かしいメロディと歌詞……「The Maid Freed from the Gallows」という古いフォークソングらしい。 他にも、他にも、この映画のサントラできないんだろうか。 欲しい! ちなみにマイケル・ジャクソンのヒット曲は作中では使っていないところはさすが! そして、ラストの海岸に打ち寄せられた尼僧たちの遺体とかぶさって流れるアフリカの民族音楽だろうか。 その歌とメロディ。 そしてエンドクレジットが画面に映し出されている間に、物語が引張ってきたテーマ、生きることの重さ、私自身とも重なるテーマの重さ、そしてハーモニー・コリン自身の「アーティストの孤独と死と再生」、それらが静かに押し寄せてきて思わず涙ぐんでしまった。 孤独と闇を受けとめようというミスター・ロンリーの言葉のように、ハーモニー・コリンはこれからも、自己と社会をテーマに内面の世界を映画を通して描き続けるだろう。 そしてそれは、今まで以上にさらに孤独な作業を強いるものでもあるだろう。 脚本については、今までは誰かと組むことはなかったけれど、今回初めて彼の弟と共同で脚本を書いたとのこと。 部屋にこもりバスケットとフライドチキンを食べる以外はひたすら二人で書いていたそうだ。 ともかくも「ガンモ」「ジュリアン」から8年。 「ミスター・ロンリー」でハーモニー・コリンの変わらぬ感性と優しさが還ってきたことを喜びたい。 最後に、個人的趣味で、「ミスター・ロンリー」の曲で脳裏に浮かぶあのオープニング・ナレーションをここに復活させておこう。 「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時、遥か雲海の上を、音もなく流れ去る気流は、たゆみない宇宙の営みを告げています。 満点の星をいただく果てしない光の海を、豊かに流れゆく風に心を開けば、煌く星座の物語も聞こえてくる、夜の静寂の、なんと饒舌なことでしょうか。 光と影の境に消えていったはるかな地平線も瞼に浮かんでまいります。 これからのひと時。 日本航空が、あなたにお送りする音楽の定期便。 「ジェットストリーム」。 皆様の、夜間飛行のお供を致しますパイロットは、わたくし城達也です。

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それは極彩色の孤独な心~ザ・ビートルズ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』50周年、スペシャル記念エディション発売に寄せて

ロンリー僕は孤独なのかい

夏の終わりの切なさ、けだるさを感じさせるバンドサウンドに、ボーカル岡崎の詞的な歌詞がたまらなく中毒性がある本作。 軽やかに楽しく、ときに鬱屈とし、そのいずれもバンドのポップセンスで持っていく様は2016年のロードトリップ・サウンドといえる。 イラスト牛尾友美、デザイン井上貴裕(BARIDERA、SHUT YOUR MOUTH)による アートワークもロンリーが身に纏う刹那性を表現している。 世の中ではロックは枯れているらしい。 しかしそんな事は知ったこっちゃない。 まだまだ夢見ることをやめれない僕たちはキレイに咲いている場所を知っている。 そこにあまり見た事もないような形だけどそれはそれはとても素敵な花がまた咲いた。 ちょっと変な形してて茎や根っこもなんだか不健康そう。 でもその花びらはとても鮮やかな青だ。 せわしない毎日にいつの間にか自分も大人にならされている事に気付かされたが、その青さは自分もずっとそうありたいと思わせてくれるしやはりまだまだ繋がっている。 心のぽっかりをすっと呼び覚ます狂おしい青。 やっぱり一人ではない。 もう3年も前になるのですね。 僕はロンリーと難波ベアーズで対バンしました。 その日はロンリーも含め、どのバンドも本当に素晴らしく、打ち上げが終わるまで良い音楽と笑顔に溢れていたのでした。 翌日僕らは車に乗って東京に戻る時、ロンリーのアルバムを何度もリピートして昨夜の余韻に浸り、「クソッ!昨日は最高だったなぁ…」なんて呟いたりしていたのでした。 ディスクユニオンのフリーペーパーの「今年のベスト5」という企画に、僕は当然のようにロンリーのアルバムを、あの日の思い出と共にランクインさせたのでした。 あれから3年…ロンリーのセカンドが到着し、どんなに激しく演奏しても透明感に溢れた音、どんなに叫んでも純粋でイノセンスに溢れた声と歌詞に、またしてもヤラれてしまったのでした。 あの夏の記憶を更新するような対バンをまたしたいなぁ…なんて思いながら、僕はもう一度再生ボタンを押したのでした。 さあ!次は皆さんがロンリーを経験する番ですよ。 是非! セカンドアルバム。 リリースおめでとうございます! 酒井大明 Ohayo Mountain Road YAMIYOは朴訥として明るかったファーストオブ終わりよりも陰影が深くて、 それはたぶん、側にある言葉と押韻というシンプルなルールでパンチラインのように情景と思索とをサラッと打ち込む岡崎さんのリリシストのしての才能の発露だし、世の中良くない方向に向かってる気もするし、個人的に状況が良くなったり悪くなったりとか、そういえば牛尾さんのジャケットの絵の空も曇天に見えるし、それでものんびりしていて、でもしっかり他者が影を落としていて、だから色っぽくて、なんて素敵な音楽だと思った。 ロンリーの音楽はいつもあっけらかんと終わるからロンリーになる。 ロンリーになってからが大人だし、そこからまた人生が始まる。 この甘くて苦くて塩辛くて酸っぱくないアルバムが、 世に放たれることをとても嬉しく思います。 ありがとう。 杉本喜則 HOPKEN 楽屋に入ったら、そこには初対面の慎太郎くんがいたんですが、彼が着ていたTシャツがあまりにもシワシワだったので、失礼ながら初対面だったけど「Tシャツ、シワシワですね」と言ってしまいました。 そしたら、彼は「部屋でTシャツが、山積みになっていて、そこから引っこ抜いたんですよね」と身振り手振りを交えながら答えてくれました。 そして、それがゆうに1. 5mは超えていた感じで、その話を聞きながら「Tシャツで出来た蟻塚」を想像してしまいました。 その後に、生まれて初めて観たロンリーのライブは、もうシビれるほどに最高だったんですが、実は数曲ごとに「Tシャツで出来た蟻塚」の想像もしてしまっていました。 それにしても、メンバーのみんなと過ごしたダラ〜っとした時間は、めちゃくちゃ楽しかったですね。 以上、『YAMIYO』を聴いて一気に記憶がフラッシュバックした時のイメージです。 人生がこんな記憶の積み重ねだったらなぁ。 夏の終わりに最高の作品と出会ってしまいました。 ありがとうございます。 薄氷を踏み抜かないように、ごまかしていた。 友達にも。 意味のない人ごみに頓挫する残骸を毎日目撃していて、あんなに信じてたはずの初期衝動も時間に持ってかれる。 単純に並べただけでは分からない感情が零れ落ちるソウル。 ロンリーはソウル・ミュージックだって思った。 確かにそこにあった眩しさと鈍さを、ロンリーしか知らない、出来ないやり方で、思いきり投げつけてくれる。 ヤング・マーブル・ジャイアンツと同じなんだよね。 ロンリーみたいなバンドがこれから先も出てこないってことにおいて。 10曲目の「スケボー」が一番好きです。 また一つ、退屈を打ち抜いてくれる作品がリリースされることを心から嬉しく思います。 本当に。 カベヤシュウト(odd eyes).

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