伝説 の クソゲー。 伝説のクソゲー「いっき」

“伝説のクソゲー”「E.T.」の実態とは。DVD「ATARI GAME OVER」特別上映会のトークコーナー「アタリ『E.T.』とその時代」をレポート

伝説 の クソゲー

「伝説のクソゲー」と呼ばれるゲーム「E. 」をめぐり,ATARIの辿った運命を検証するドキュメンタリーDVD 「ATARI GAME OVER」の日本版が,2015年9月16日に発売される。 それを記念した同DVDの特別上映会が,9月5日に東京都内で開催された。 ・ 会場では,日本版「ATARI GAME OVER」の本編および特典映像の上映に先駆け,その制作を手がけたメディアコンテンツ研究家の 黒川文雄氏と,ゲストの たます氏によるトークコーナーが設けられた。 本稿では,「E. 」のデモプレイも披露されたトークの模様を中心にレポートしていこう。 「アタリ『E. 』とその時代」と題されたトークでは, 「VCS(ATARI 2600)の基本性能と作られた背景」「E. 発売時期のゲーム背景」「E. はクソゲーではない」という3つのテーマが語られた。 ゲストのたます氏。 アーケードゲームやコンシューマゲームの企画開発などを経て,現在は大型筐体の保存と再生活動を行っている。 とくに海外オールドゲームに詳しい ATARI 2600がATARI VCS(Video Computer System)という名前で北米で発売されたのは1977年。 たます氏によると,そもそもATARI 2600は戦車の対戦ゲームとブロック崩しをプレイするために開発されたハードで,VRAMが搭載されていないなど,最近のゲーム機では考えられないような低性能だという。 それでも3年以上あとに発売されたエポック社の「カセットビジョン」よりも,画面表示や音源などのスペックは高い。 ATARI 2600は北米で大ヒットし,コンシューマゲーム市場をほぼ独占。 ATARIおよびサードパーティからさまざまなゲームタイトルがリリースされ,中には100万本以上のセールを記録するものもいくつか登場した。 日本で本格的にリリースされたのは1983年と,奇しくもファミコンの発売時期と重なったため,残念ながらその黄金期を知る日本人は多くないが,たます氏は当時のテレビCMを振り返り,「アメリカ全土のテレビをコンピュータゲームに変えたATARIが日本にやって来た! という感じで,印象に残っています」と語る。 実際,1977年から1980年代初頭に掛けてリリースされた数々のATARI 2600用ゲームは,2015年の今プレイしても面白く感じるという。 会場には,ATARI黄金期のゲームソフトなどの資料が展示してあった 「E. 」は,ATARI 2600の発売から5年が経過した1982年のクリスマス商戦に向けて開発された。 黒川氏とたます氏は,本作を「クソゲーとして紹介されたり,動画配信されたりしているが,マニュアルを読んでからプレイすると,きちんとゲームとして成立している」「ATARI 2600用のゲームには,もっと酷いものもある」と紹介。 また「E. 」では,ゲームのマップが6面体で形成されていること,エンディングが存在することなど,当時としては斬新な試みもなされているという。 会場で披露されたATARI 2600用ゲーム「Fire Fry」。 たます氏によると「『E. 』と比較しても,正直かなりキツい内容」とのこと 「E. 」の開発を手がけた ハワード・スコット・ウォーショウ氏は,ATARI 2600用ゲームとしてミリオンセールスを記録した「Yars' Revenge」と「Raiders of the Lost Ark」を開発した,当時のスタークリエイターだ。 会場では,たます氏が解説を加えながら実際に「E. 」をプレイした そんなウォーショウ氏が次に手がけた「E. 」は,「Raiders of the Lost Ark」をさらに進化させたアドベンチャーだった。 ルールは,まずE. を操作して,6面体として構成された6つのマップを行き来しながら,3つに分割された電話のパーツを探し出す。 パーツがすべて見つかったら,マップ上にランダムに配置された特定地点で宇宙船を呼び出し,さらに制限時間内に宇宙船の着陸ポイントに到着すればエンディング画面が表示され,見事クリアとなる。 プレイは,マップ上のアイテムや,呼び出し位置,着陸位置といった各ポイントを探してひたすら歩き回るという地味なもの パーツや各ポイントを探す過程で,E. の体力がどんどん失われていくため,マップ上に落ちているキャンディを食べて回復しなければならないし,難度設定によってはFBIに襲われて集めたパーツを奪われることもある。 難度設定も可能で,難度2以上になるとFBIなどの敵が登場。 敵を超能力で撃退できるポイントも,マップ上にランダムで配置されている こうして,ルールを見ると確かにゲームとしてきちんと成立しているが,実際のプレイではマップ中をしらみつぶしに歩き回り,パーツと各ポイントを探すこととなる。 もちろん昔のゲームなので,ポイントを発見してもマップ上に記録されないため,自分の記憶に頼るほかない。 さらには探索中のE. がやたらと穴に落ちる。 しかも穴がどこにあるのか分かりにくく,かつ穴に落ちる判定基準も不明,加えてせっかく記憶したマップ上のポイントも忘れてしまいがちと,とにかくプレイ上の大きなストレスになる。 マップ探索中,E. は穴に落ちる。 マップの移動直後や,穴から復帰して1歩踏み出したときに穴に落ちると,非常にストレスが溜まる おそらく,どんなルールなのか把握せずに「E. 」をプレイし始めた人は,「何をやればいいのかよく分からない上に,やたら穴に落ちて移動もままならない」=「クソゲーである」という評価を下してしまうことだろう。 結果として「E. 」は,500万本出荷されたにも拘わらず大半が売れ残り,ウォーショウ氏もゲームクリエイターを引退することになるのである。 」が,なぜそんな仕上がりになったのかといえば,何よりもウォーショウ氏に与えられた開発期間が5週間と極めて短かったことが挙げられる。 それでもウォーショウ氏が開発を引き受けたことについて,たます氏は「ベースとなる『Raiders of the Lost Ark』があるから,短期間でも十分行けるという思いがあったのではないか」と推測していた。 なお「ATARI GAME OVER」本編では,「E. 」の不良在庫がニューメキシコの埋め立て地に葬られたという都市伝説の検証を軸に,1983年に北米で起きたコンシューマゲーム市場の崩壊,通称「アタリショック」とは何だったのかについて,ATARI関係者の発言が次々に披露されていく。 その中には,ウォーショウ氏が当時の考えや,自身を取り巻いていた環境,その後のキャリアとのギャップなどについて振り返るシーンも収録されている。 また日本版の特典映像には,黒川氏自身がATARI関係者やゲームショップに取材した模様が収録されている。 それらの内容に関しては,に掲載した 黒川氏のインタビューが詳しいので,興味があればご一読を。

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「伝説のクソゲー」を開発してアタリを崩壊させた1人の男

伝説 の クソゲー

「伝説のクソゲー」と呼ばれるゲーム「E. 」をめぐり,ATARIの辿った運命を検証するドキュメンタリーDVD 「ATARI GAME OVER」の日本版が,2015年9月16日に発売される。 それを記念した同DVDの特別上映会が,9月5日に東京都内で開催された。 ・ 会場では,日本版「ATARI GAME OVER」の本編および特典映像の上映に先駆け,その制作を手がけたメディアコンテンツ研究家の 黒川文雄氏と,ゲストの たます氏によるトークコーナーが設けられた。 本稿では,「E. 」のデモプレイも披露されたトークの模様を中心にレポートしていこう。 「アタリ『E. 』とその時代」と題されたトークでは, 「VCS(ATARI 2600)の基本性能と作られた背景」「E. 発売時期のゲーム背景」「E. はクソゲーではない」という3つのテーマが語られた。 ゲストのたます氏。 アーケードゲームやコンシューマゲームの企画開発などを経て,現在は大型筐体の保存と再生活動を行っている。 とくに海外オールドゲームに詳しい ATARI 2600がATARI VCS(Video Computer System)という名前で北米で発売されたのは1977年。 たます氏によると,そもそもATARI 2600は戦車の対戦ゲームとブロック崩しをプレイするために開発されたハードで,VRAMが搭載されていないなど,最近のゲーム機では考えられないような低性能だという。 それでも3年以上あとに発売されたエポック社の「カセットビジョン」よりも,画面表示や音源などのスペックは高い。 ATARI 2600は北米で大ヒットし,コンシューマゲーム市場をほぼ独占。 ATARIおよびサードパーティからさまざまなゲームタイトルがリリースされ,中には100万本以上のセールを記録するものもいくつか登場した。 日本で本格的にリリースされたのは1983年と,奇しくもファミコンの発売時期と重なったため,残念ながらその黄金期を知る日本人は多くないが,たます氏は当時のテレビCMを振り返り,「アメリカ全土のテレビをコンピュータゲームに変えたATARIが日本にやって来た! という感じで,印象に残っています」と語る。 実際,1977年から1980年代初頭に掛けてリリースされた数々のATARI 2600用ゲームは,2015年の今プレイしても面白く感じるという。 会場には,ATARI黄金期のゲームソフトなどの資料が展示してあった 「E. 」は,ATARI 2600の発売から5年が経過した1982年のクリスマス商戦に向けて開発された。 黒川氏とたます氏は,本作を「クソゲーとして紹介されたり,動画配信されたりしているが,マニュアルを読んでからプレイすると,きちんとゲームとして成立している」「ATARI 2600用のゲームには,もっと酷いものもある」と紹介。 また「E. 」では,ゲームのマップが6面体で形成されていること,エンディングが存在することなど,当時としては斬新な試みもなされているという。 会場で披露されたATARI 2600用ゲーム「Fire Fry」。 たます氏によると「『E. 』と比較しても,正直かなりキツい内容」とのこと 「E. 」の開発を手がけた ハワード・スコット・ウォーショウ氏は,ATARI 2600用ゲームとしてミリオンセールスを記録した「Yars' Revenge」と「Raiders of the Lost Ark」を開発した,当時のスタークリエイターだ。 会場では,たます氏が解説を加えながら実際に「E. 」をプレイした そんなウォーショウ氏が次に手がけた「E. 」は,「Raiders of the Lost Ark」をさらに進化させたアドベンチャーだった。 ルールは,まずE. を操作して,6面体として構成された6つのマップを行き来しながら,3つに分割された電話のパーツを探し出す。 パーツがすべて見つかったら,マップ上にランダムに配置された特定地点で宇宙船を呼び出し,さらに制限時間内に宇宙船の着陸ポイントに到着すればエンディング画面が表示され,見事クリアとなる。 プレイは,マップ上のアイテムや,呼び出し位置,着陸位置といった各ポイントを探してひたすら歩き回るという地味なもの パーツや各ポイントを探す過程で,E. の体力がどんどん失われていくため,マップ上に落ちているキャンディを食べて回復しなければならないし,難度設定によってはFBIに襲われて集めたパーツを奪われることもある。 難度設定も可能で,難度2以上になるとFBIなどの敵が登場。 敵を超能力で撃退できるポイントも,マップ上にランダムで配置されている こうして,ルールを見ると確かにゲームとしてきちんと成立しているが,実際のプレイではマップ中をしらみつぶしに歩き回り,パーツと各ポイントを探すこととなる。 もちろん昔のゲームなので,ポイントを発見してもマップ上に記録されないため,自分の記憶に頼るほかない。 さらには探索中のE. がやたらと穴に落ちる。 しかも穴がどこにあるのか分かりにくく,かつ穴に落ちる判定基準も不明,加えてせっかく記憶したマップ上のポイントも忘れてしまいがちと,とにかくプレイ上の大きなストレスになる。 マップ探索中,E. は穴に落ちる。 マップの移動直後や,穴から復帰して1歩踏み出したときに穴に落ちると,非常にストレスが溜まる おそらく,どんなルールなのか把握せずに「E. 」をプレイし始めた人は,「何をやればいいのかよく分からない上に,やたら穴に落ちて移動もままならない」=「クソゲーである」という評価を下してしまうことだろう。 結果として「E. 」は,500万本出荷されたにも拘わらず大半が売れ残り,ウォーショウ氏もゲームクリエイターを引退することになるのである。 」が,なぜそんな仕上がりになったのかといえば,何よりもウォーショウ氏に与えられた開発期間が5週間と極めて短かったことが挙げられる。 それでもウォーショウ氏が開発を引き受けたことについて,たます氏は「ベースとなる『Raiders of the Lost Ark』があるから,短期間でも十分行けるという思いがあったのではないか」と推測していた。 なお「ATARI GAME OVER」本編では,「E. 」の不良在庫がニューメキシコの埋め立て地に葬られたという都市伝説の検証を軸に,1983年に北米で起きたコンシューマゲーム市場の崩壊,通称「アタリショック」とは何だったのかについて,ATARI関係者の発言が次々に披露されていく。 その中には,ウォーショウ氏が当時の考えや,自身を取り巻いていた環境,その後のキャリアとのギャップなどについて振り返るシーンも収録されている。 また日本版の特典映像には,黒川氏自身がATARI関係者やゲームショップに取材した模様が収録されている。 それらの内容に関しては,に掲載した 黒川氏のインタビューが詳しいので,興味があればご一読を。

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伝説のクソゲー『ガイアセイバー』のクソポイント5選|羽仁男|note

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「伝説のクソゲー」と呼ばれるゲーム「E. 」をめぐり,ATARIの辿った運命を検証するドキュメンタリーDVD 「ATARI GAME OVER」の日本版が,2015年9月16日に発売される。 それを記念した同DVDの特別上映会が,9月5日に東京都内で開催された。 ・ 会場では,日本版「ATARI GAME OVER」の本編および特典映像の上映に先駆け,その制作を手がけたメディアコンテンツ研究家の 黒川文雄氏と,ゲストの たます氏によるトークコーナーが設けられた。 本稿では,「E. 」のデモプレイも披露されたトークの模様を中心にレポートしていこう。 「アタリ『E. 』とその時代」と題されたトークでは, 「VCS(ATARI 2600)の基本性能と作られた背景」「E. 発売時期のゲーム背景」「E. はクソゲーではない」という3つのテーマが語られた。 ゲストのたます氏。 アーケードゲームやコンシューマゲームの企画開発などを経て,現在は大型筐体の保存と再生活動を行っている。 とくに海外オールドゲームに詳しい ATARI 2600がATARI VCS(Video Computer System)という名前で北米で発売されたのは1977年。 たます氏によると,そもそもATARI 2600は戦車の対戦ゲームとブロック崩しをプレイするために開発されたハードで,VRAMが搭載されていないなど,最近のゲーム機では考えられないような低性能だという。 それでも3年以上あとに発売されたエポック社の「カセットビジョン」よりも,画面表示や音源などのスペックは高い。 ATARI 2600は北米で大ヒットし,コンシューマゲーム市場をほぼ独占。 ATARIおよびサードパーティからさまざまなゲームタイトルがリリースされ,中には100万本以上のセールを記録するものもいくつか登場した。 日本で本格的にリリースされたのは1983年と,奇しくもファミコンの発売時期と重なったため,残念ながらその黄金期を知る日本人は多くないが,たます氏は当時のテレビCMを振り返り,「アメリカ全土のテレビをコンピュータゲームに変えたATARIが日本にやって来た! という感じで,印象に残っています」と語る。 実際,1977年から1980年代初頭に掛けてリリースされた数々のATARI 2600用ゲームは,2015年の今プレイしても面白く感じるという。 会場には,ATARI黄金期のゲームソフトなどの資料が展示してあった 「E. 」は,ATARI 2600の発売から5年が経過した1982年のクリスマス商戦に向けて開発された。 黒川氏とたます氏は,本作を「クソゲーとして紹介されたり,動画配信されたりしているが,マニュアルを読んでからプレイすると,きちんとゲームとして成立している」「ATARI 2600用のゲームには,もっと酷いものもある」と紹介。 また「E. 」では,ゲームのマップが6面体で形成されていること,エンディングが存在することなど,当時としては斬新な試みもなされているという。 会場で披露されたATARI 2600用ゲーム「Fire Fry」。 たます氏によると「『E. 』と比較しても,正直かなりキツい内容」とのこと 「E. 」の開発を手がけた ハワード・スコット・ウォーショウ氏は,ATARI 2600用ゲームとしてミリオンセールスを記録した「Yars' Revenge」と「Raiders of the Lost Ark」を開発した,当時のスタークリエイターだ。 会場では,たます氏が解説を加えながら実際に「E. 」をプレイした そんなウォーショウ氏が次に手がけた「E. 」は,「Raiders of the Lost Ark」をさらに進化させたアドベンチャーだった。 ルールは,まずE. を操作して,6面体として構成された6つのマップを行き来しながら,3つに分割された電話のパーツを探し出す。 パーツがすべて見つかったら,マップ上にランダムに配置された特定地点で宇宙船を呼び出し,さらに制限時間内に宇宙船の着陸ポイントに到着すればエンディング画面が表示され,見事クリアとなる。 プレイは,マップ上のアイテムや,呼び出し位置,着陸位置といった各ポイントを探してひたすら歩き回るという地味なもの パーツや各ポイントを探す過程で,E. の体力がどんどん失われていくため,マップ上に落ちているキャンディを食べて回復しなければならないし,難度設定によってはFBIに襲われて集めたパーツを奪われることもある。 難度設定も可能で,難度2以上になるとFBIなどの敵が登場。 敵を超能力で撃退できるポイントも,マップ上にランダムで配置されている こうして,ルールを見ると確かにゲームとしてきちんと成立しているが,実際のプレイではマップ中をしらみつぶしに歩き回り,パーツと各ポイントを探すこととなる。 もちろん昔のゲームなので,ポイントを発見してもマップ上に記録されないため,自分の記憶に頼るほかない。 さらには探索中のE. がやたらと穴に落ちる。 しかも穴がどこにあるのか分かりにくく,かつ穴に落ちる判定基準も不明,加えてせっかく記憶したマップ上のポイントも忘れてしまいがちと,とにかくプレイ上の大きなストレスになる。 マップ探索中,E. は穴に落ちる。 マップの移動直後や,穴から復帰して1歩踏み出したときに穴に落ちると,非常にストレスが溜まる おそらく,どんなルールなのか把握せずに「E. 」をプレイし始めた人は,「何をやればいいのかよく分からない上に,やたら穴に落ちて移動もままならない」=「クソゲーである」という評価を下してしまうことだろう。 結果として「E. 」は,500万本出荷されたにも拘わらず大半が売れ残り,ウォーショウ氏もゲームクリエイターを引退することになるのである。 」が,なぜそんな仕上がりになったのかといえば,何よりもウォーショウ氏に与えられた開発期間が5週間と極めて短かったことが挙げられる。 それでもウォーショウ氏が開発を引き受けたことについて,たます氏は「ベースとなる『Raiders of the Lost Ark』があるから,短期間でも十分行けるという思いがあったのではないか」と推測していた。 なお「ATARI GAME OVER」本編では,「E. 」の不良在庫がニューメキシコの埋め立て地に葬られたという都市伝説の検証を軸に,1983年に北米で起きたコンシューマゲーム市場の崩壊,通称「アタリショック」とは何だったのかについて,ATARI関係者の発言が次々に披露されていく。 その中には,ウォーショウ氏が当時の考えや,自身を取り巻いていた環境,その後のキャリアとのギャップなどについて振り返るシーンも収録されている。 また日本版の特典映像には,黒川氏自身がATARI関係者やゲームショップに取材した模様が収録されている。 それらの内容に関しては,に掲載した 黒川氏のインタビューが詳しいので,興味があればご一読を。

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