「深淵をのぞく時、深淵をのぞいているのだ」 「深淵をのぞく時、深淵をのぞいているのだ」 1. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 02:28 ID:gsw. lCwQ0 事実確認でもしてるのかな? 2. 名前:名言一言投稿日:November 21, 2014 02:49 ID:pMMfQAUw0 深遠を除くとき 深遠を除いているのだ いじめとは無関係ですよ 東京都下を除くとき 東京都下を除いているのだ 3. ? 4. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 03:00 ID:6n9z5Hmi0 ニーチェかわいそう・・・ 5. 名前:名無しさん。 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 03:37 ID:syktsSrI0 こちらを覗いてるのだ… 7. 名前:名無しさん。 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 03:43 ID:UIimFQYO0 一休「深淵門さ? ん」 9. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 03:47 ID:0hFypQI40 だめだ二度見で吹いた。 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 04:13 ID:NMMib. z70 神は神だ! 11. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 04:23 ID:sHhtNoO50 覗きっぱなしかよw 12. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 04:37 ID:RZQtk7pt0 深淵を覗くとき、深淵もまた深淵なのだ 13. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 05:23 ID:5fGrcv7N0 「正しく使ったとして何が言いたかったんや 」とか言ってる奴・・・。 まあ、「深淵もまた汝を覗いているのだ」とか言われても、その前段にある「怪物と闘う者は自らも怪物とならぬよう警戒せよ」が付いてないと意味分からんのかもな。 『FBI心理分析官』に引用されてるが、出典間違えてて間抜けすぎる。 『善悪の彼岸』だよ。 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 05:53 ID:XiYRFOuX0 何か適当に繰り返す所にナルトスを感じた 小並感 犠牲の犠牲みたいな 15. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 05:55 ID:HBbb56ba0 なんかもう、 タイトルの時点でふにゃっと脱力した 最近覚えた つもりな んだろうなぁ 16. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 06:06 ID:OnBzZ2lJ0 深淵を二度見するのだ。 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 06:23 ID:HNcn5rgU0 ロバートKレスラーが引用したから有名なのかな ウォッチメンも影響受けてるよね ジョンウェインゲイシーと面会して殺されかけた少年がその後自殺した話が興味深い 18. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 07:29 ID:oO6i6xW20 ミブチさん可愛い 19. 名前:武井宏憲投稿日:November 21, 2014 07:31 ID:1mD0LSgQ0 ムリクリに「手段くらい選べよ」って解釈しています。 ジョンウェインゲイシーの件は気の毒なだけかも… 20. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 11:08 ID:AKH6QBbz0 学がないやつばっかだな 本来は『深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ』だから 21. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 11:15 ID:r3i06fSr0 深淵はありまぁす 22. 名前:名無しさん。 投稿日:November 21, 2014 12:45 ID:GnJhALVj0 謎定期 2.
次の「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」 有名なインターネットミームでもあるこの発言。 (ミームって何?という方は、ネットスラングとミームの記事をフラミンゴブログで読んでみよう!) ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844年~1900年)の著作『善悪の彼岸』146節の言葉です。 以下のように英訳されます。 The abyss gazes also into you. 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 深淵、怪物は何を意味するのか?ニーチェの言葉を解釈してみよう この有名な引用箇所には、様々な解釈があります。 哲学者の書いたテクストをどう理解するか、というのは、それ自体が研究のテーマとなりうるほど難しい問題です。 ここで、哲学者の名言をどう読むか、というサンプルになるように、この言葉の解釈に挑戦してみましょう。 もちろん、All views are my own なので、読者の皆さんも自由に思考してみてくださいね! この『善悪の彼岸』は、彼の代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』でのいくつもの考えを取り上げ、さらに詳しく述べた著作。 明るく、生を肯定する性格の強い『ツァラトゥストラはかく語りき』に対して、高度に批判的、論争的なアプローチを取っていると言われます。 彼は、過去の哲学者たち(代表的にはカントやルター)が道徳性について考察するときに、批判的感覚が欠けていた疑いがあること、とりわけキリスト教の諸前提を盲目的に受け入れていたことを、この本で非難しています。 キリスト教的な文化背景とくっついた、西洋の伝統的な道徳性を、排し進むという意味で、「善悪を超えた(=善悪の彼岸にある)」領域!というタイトルを付けたそうです。 こうした西洋の伝統的道徳観を批判をしながら、彼が支持するのは感覚主義やモラリスムでした。 彼が、キリスト教が勝利する以前のヨーロッパ、特に古代ギリシャにさかのぼって研究し、哲学を再構築した人物である点も理解できます。 (プラトン哲学が西洋哲学の中に形を変えて生き残っているということを主張しました。 ) 深淵を除くこと…ニーチェ、自分の内心について ニーチェは心理学者ではもちろんありませんし、彼の時代には神経科学も存在しませんでしたが、彼は「自分の心の中をみる」とはどういうことか知っていたということが、彼の著作に現れる知的態度から伺えます。 特に彼は意識の優位という考え方に愛着がありました。 そういう状況で、彼がこの格言の全領域を理解していたかはわかりませんが、この格言は「私たちは私達の思考なのだ」と翻訳できるとおもいます、 意識というものは、危険な思考に火がつかないようにトンカチでたたきつづける鍛冶屋のような存在ではありません。 思考は、そうした危険なものやその他いろいろなものが融合して構築されるものです。 私たちの全ての「心的表象」は、何かを見たりだれかと話したりして何かを感じるたびに、「移植された」ものなのです。 これは、どの感情や心的表象も同じ力を持っているということを意味しません。 それ以前にある心象と、あとからやってくる(何かに影響されたり、何かを感じたときに訪れる)心象の間で、交渉・対決がなされ、あるものは拒絶されます。 しかし、もし、ある表象・心象に対して何も対抗するものがなければ、道徳的な善し悪しに関係なく、その表象は心に「移植され」、自分自身のアイデンティティになります。 この意識・無意識の双方向性は永続的なものです。 例えば、洗練された動作をしよう、と注意を払っているとき、あなたの意識は動作についての表象(善いとおもった他人の動作や、物語で読んだ何かの仕草など)を自分の無意識の中に取り込み、すると改良された動作が自然と出てくるという形で、新しい表象として提示されて戻ってくるというということです。 これは良いものに限らず全ての表象について言えることです。 自分の思考が自分自身のアイデンティティであるということ。 この名言に当てはめれば、内容を調べるためであれ、魅力を感じて眺めるのであれ、深淵に意識を向けると、 深淵を覗きこむという行為の表象が、あるいは、覗き込む対象としての深淵という表象、または深淵とは覗き込みたくなる何かがあるという心象…etc. が自分の無意識の中に取り込まれ、何かしらの魅惑的な誘いとなってあなたに返ってくるということです。 他のニーチェの名言には、どんな解釈ができるだろう…?? 「深淵」の格言ひとつとっても、様々なことが想像され、解釈しようとすると、色んな思考が広まります。 これも代表的なニーチェの名言で、アイドルイベントで結婚を発表する行動に繋げた人物の引用によって最近のテレビでもよく耳にするようになりました。 ニーチェにとって、あなたにとって、人生を危険にさらすとは?? 以下によく引用されるフレーズをご紹介してこの記事を終わりにします。 彼の人生や、哲学的態度、その変遷などを知り、彼は何を言っていたのか、現代において彼の格言・名言はどんな意味を持つだろうかと考えてみるのも面白そうです。 しかし、集団・党派・民族・時代にあっては、通例である。 When the house burns one forgets even lunch. Yes, but one eats it later in the ashes. されど、灰の上に座って食べなおす。
次の「深淵を覗く時深淵もまたあなたを覗いている」とは• 19世紀の者の言葉。 向けにごくごくまれに付けられる。 ここではに2. を扱う。 概要 ずっと見てるとこっちがヤバくなってしまいそうな・向けにごくごくまれにこのがついている。 というかなんというか、病級者向け。 深淵に見えてるけれども浅薄なのかも知れない。 【補足1】「深淵を覗き込む時深淵を覗いているのだ」は、の言うの。 すべての可に当てはまる。 【補足2】の言葉の出典は『善悪の』番。 正確には次のように言われる。 怪物と戦う者は、自ら怪物にならぬよう用心したほい。 あなたが長く深淵を覗いていると、深淵もまたあなたを覗き込む。 Und we du lae in nen Abund , t der Abund ch in dh hi. 「」ってとそんなにちがわない。 ずっと覗いていると覗き返してくるというのだから、ヤっと覗くくらいだったら気なのかも知れない。 :GNQ C 0 は 嫌いなんだけど ここまで個人に するやつにはさすがに使わせてもらうわ この言葉か? 「深淵を覗き込む時、深淵を覗いているのだ」 | 関連動画 向け…かな… 関連商品 関連項目• (元出典:).
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