名古屋主婦殺害事件。 主婦殺害事件で懸賞金 名古屋市で99年発生―警察庁:時事ドットコム

名古屋市西区主婦殺害事件について

名古屋主婦殺害事件

: 標的 臨月の妊婦(事件当時27歳、アパート住民) 日付 (63年) 15時 - 16時ごろ(死亡推定時刻) 概要 臨月の主婦がアパート自室で首を絞められて殺害され、腕を縛られた上に腹部を切り裂かれて胎児を取り出された。 愛知県警は「物取り目的で侵入した変質者の犯行」として強盗殺人容疑で捜査したが事件解決には至らなかった。 攻撃手段 首を絞めて殺害 攻撃側人数 不明(おそらく単独犯) 武器 凶器は不明・未発見 (遺体の首には用のコード) 死亡者 1人(母親) 負傷者 1人(胎児) 犯人 不明 動機 不明 対処 愛知県警が捜査するも未解決のままが成立 刑事訴訟 被疑者検挙に至らぬまま(15年)が成立 管轄 (県警・) 名古屋妊婦切り裂き殺人事件(なごやにんぷきりさきさつじんじけん)は、(63年)午後に(現:名古屋市中川区供米田)のアパートで発生したの事件。 その異常とされる猟奇性で注目され 、地元紙『』()が「史上稀に見る猟奇的な凶悪事件」と表現した本事件はが約4万人の捜査員を投入して懸命の捜査を行ったが、有力な手がかりは得られずに至らないまま、事件発生から丸15年となった(15年)3月18日にを迎えとなった。 事件発生 [ ] 事件現場:大字三郎右衛門441番地1号(現:名古屋市中川区供米田三丁目804番地)のアパート一室 事件発生現場は2階建てで計4室のアパート(事件3年前の1985年完成)で 、・から北東約500メートルに位置する マンション・アパートが目立つ新興住宅街に位置していたが、周囲には田畑も点在しており夜間は人通りが少ない場所だった。 事件当時、現場アパートには1階の2部屋に2世帯が住んでおり、2階のうち3DK(6畳2間+4畳半)の1部屋に被害者夫婦が住んでいたが、被害者夫婦の隣は空き部屋になっていた。 事件現場アパートに在住していた被害者女性(事件当時27歳の主婦、の) は事件当時、夫(事件当時31歳の会社員男性) とともに第一子誕生を心待ちにする日々を送っており、「平凡だが希望に満ちた若い夫婦の生活」を送っていた。 事件当日の朝、被害者女性は普段通り会社に出勤する夫を送り出した。 女性は事件5日前の同年3月13日に男児を出産予定だったが出産が遅れていたため、当時の夫は妻の体調を気遣って会社から仕事の合間に電話をかけるようになっていた。 同日12時過ぎ、夫が会社から妻に電話した際は特に異常はなかったが、退社する直前の18時50分ごろに再び電話をかけた際には誰も電話に出なかった。 夫は「自分が帰宅するころには妻も家にいるだろう」と考えながらそのまま帰宅し、19時40分ごろに自宅に到着したところ、普段は施錠してあるはずの玄関ドアが施錠されておらず、部屋の電灯が消灯していることに気付いた。 男性はこの状態を不審に感じつつもそのまま寝室に向かってスーツから着替えたが、奥の居間から赤ん坊の泣き声が聞こえたため「子供が生まれたのか」と思いつつ居間の照明を付けたところ、後述のように妻が変わり果てた無惨な姿で横たわり、その足元で生まれたばかりの赤ん坊がか細く泣いていた。 その上、ダイニングキッチンにあるはずの電話がなかったために男性は慌てて部屋を出て1階の住民から電話を借り 、19時43分に消防指令センターへ「をすぐ回してほしい」と通報した。 この時に電話を貸した住民は、1999年に町田喜美江から取材を受けた際「男性は『電話が引きちぎられて赤ん坊が出ているから電話を貸してほしい』と血相を変えて頼み込んできた。 自分は『ああ、赤ちゃんが生まれたのか』と思っただけで、まさか奥さんが殺されているとは思わなかった」と証言した。 中川消防署富田出張所配属の救急隊員3人は男性からの「子供が生まれている」という通報の内容を受け、隊員のうち1人が(へその緒)を切断するために鉗子・鋏を持って男性宅に駆け付けた。 救急隊員が現場に到着したところ、男性の妻であるの女性(事件当時27歳)が3DKの南側6畳の居間で首を電気コタツのコードで絞められて腹部を切り裂かれ、後ろ手に縛られて血塗れの状態で頭を南にして仰向けに倒れていた。 女性の発見当時の服装は青い・セーター・ピンクのジャンパーと黒のパンティストッキングで、腹部の傷はみぞおちから下へ鋭利な刃物で 縦一文字に約38センチメートル切られ、後述のように内にいたを取り出された上、その腹の中には電話の受話器・のキーホルダーが詰め込まれていた。 電話受話器は小型のプッシュホン式で、普段は被害者宅のリビングに設置されていたが、現場検証では コードが鋭利な刃物で切断されており 、血塗れで居間寄りの台所の床の上にあった。 現場検証の時点で取り出されていた理由は「発見者らが女性を病院に搬送する際に腹部から取り出したためだろう」と推測された。 キーホルダーは被害者女性の夫が自家用車のキーホルダーとして使用していたが、事件当日は夫が車を使っていなかったため室内にあった。 現場一室は血の海で 、男性 ・男性の実父(男児の父方の祖父)は それぞれこの時の状況について「妻(義娘)は『普通の人には想像できないような恐ろしい状態』で息絶えていた」と表現した。 また同日、現場に急行した機動捜査隊の警察官は「あんな現場は今までに見たことがない」と言い合いながら現場から戻ってきた。 女性の横には男のが臍帯の付いた状態で膝・臀部を刺されて下腹部を切り付けられた状態で 、血の海の中で産声を上げていた。 赤ん坊の負っていた切り傷について、新聞各紙は以下のように報道した。 『』()1988年3月19日東京夕刊は「左脚の膝裏・左大腿部裏・股間の計3か所。 犯人が母親の腹を切った時に負ったもの」と報道した• 『中日新聞』同日夕刊は「左脚膝裏・左臀部・下腹部など計4か所」と報道した。 『』()1988年4月3日東京朝刊は「左脚・臀部・股間の3か所に切り傷」と報道した。 なお事件当初の警察発表およびこれに準じた『』()報道では「救急隊員が現場に到着した際、赤ん坊は臍帯が母体と繋がったままだったので、救急隊員が臍帯を切断した」と報道されたが 、実際には臍帯は発見された時点で既に切断されていた。 2人は中川区内のに運ばれたが、女性は間もなく病院で死亡した。 赤ん坊は出産予定日を超過して胎内で成長していた上、発見時点で既に自力呼吸が可能な状態ではあったが、救急隊員に収容された時点で前述のように「母親が腹を裂かれた際に一緒にできたと思われる刃物の傷」を負っていた上に泣き声が弱々しく外傷による・外界の寒さによるの症状が現れており 、病院搬送時は体温が約30度まで低下していた上に重度の貧血状態で生命の危機も危ぶまれていた。 しかし発見が早かったことに加えて 、父方の祖父(男性の実父)の輸血 ・搬送先の病院医師団が「保育器で体を温める」的確な事後処置を行いながら懸命に手術を敢行した結果 、赤ん坊は全治10日間の怪我を負ったものの 、1時間に及ぶ手術により奇跡的に一命を取り留めて生命の危機を脱した。 赤ん坊の出生時の体重は2,930グラムで 、奇跡的な救命に関して医学部・(産婦人科学)は『朝日新聞』の取材に対し「母親は臍帯による血液の繋がりが切れてから死亡したのだろう。 赤ん坊の生存は早期発見など様々な好条件が偶然重なったことによる珍しい例だと思う」と話した。 初動捜査 [ ] 事件発生を受けて愛知県警・は「極めて悪質・残忍な事件」と断定して中川署に特別を設置し、「変質者もしくは被害者に強い恨みを持つ者の犯行」と推測して捜査を開始した。 事件当時、愛知県警管内では捜査本部設置を要する凶悪犯罪が相次いでいたため、愛知県警は捜査一課の強行班を増設していた。 事件前年の1987年8月、愛知県内で業経営の老夫婦が何者かに襲撃され、現金230万円を奪われた上に妻が銃で射殺された事件があった。 事件1か月前の1988年2月には凶悪なとして日本社会を震撼させたが発生していた。 1988年3月19日、愛知県警捜査一課・中川署が設置した特捜本部は愛知県警本部にて名古屋大学教授・勝又義直の執刀で被害者女性の遺体をした。 その結果、特捜本部は以下のように死因・死亡推定時刻などを断定した。 死因:首を絞められたことによる窒息死で 、首には一重の索状痕があった。 出血の量から「腹を裂かれたのは絞殺された後」と推測されたが、衣類には刃物で切断された跡がなかったため特捜本部は「犯人はマタニティドレスをたくし上げた上で下着・妊婦帯をずり提げて腹を裂いた」と推測した。 産道()は閉じていたことから「胎児は腹部の切り傷から飛び出たか犯人が取り出した」と推測された。 死亡推定時刻:遺体の状況から「犯行当日の14時30分 - 19時30分の間」とされたが、「被害者は知人女性と当日15時ごろまで自宅で談笑していたこと」「遺体発見時は室内に電灯がついていなかったこと」から、正確な死亡推定時刻は「15時以降、夕方暗くなるまで」と推測された。 その後、1988年3月20日の捜査で判明した新事実により殺害時刻は「15時 - 16時ごろまでの約1時間」に絞り込まれた。 新事実その1:事件当日16時ごろ、郵便局員が被害者宅宛の郵便葉書を配達するために被害者宅に立ち寄ったが、葉書を郵便受けに入れただけで帰り、特に室内の異変には気づかなかった。 被害者女性は生前「郵便受けに郵便物を貯め込まないほど几帳面な性格」だったが、夫が帰宅した時点でも葉書はそのまま郵便受けに残っていた。 これに加え、被害者女性は使った食器をすぐに洗う習慣があったにも拘らず、犯行現場には後述のように事件発生直前時刻に訪問した友人を迎え入れた際に茶を飲んだ際に使った湯飲み茶碗などが電気炬燵の上に放置されていた。 新事実その2:事件現場アパート1階の住民宅に事件当日15時ごろ、不審な男(30歳代、身長約165センチメートルで中肉中背、サラリーマン風の丸顔)が1人で訪れ、応対した住民男性の妻に「ナカムラさんのところを知りませんか?」と尋ねた。 この女性は「知りません」と答えてドアを閉めたが、男に落ち着きがなく不審な点を覚えていた。 現場アパート付近に「ナカムラ」姓の住民は住んでいなかった上、この部屋は「道路から駐車場を挟んで奥まった場所にある」にも拘らずわざわざ訪ねにきたため、「男は道を尋ねるふりをして室内の様子を窺っていた」という線が強まった。 それまでの捜査では「犯人はドアから出入りした」と推測された反面、錠を壊されたなどした形跡がなかったことから「なぜ被害者女性は慎重な性格だったにもかかわらずドアを開けられたのか?」という強い疑問点が残っていたが、以上の点から「男は前述の住民宅で失敗した後、同じような口実で被害者女性宅を訪問し、被害者女性が油断した隙を突いて襲撃した」という線が強まった。 なおこの「ナカムラさん」不審者とほぼ同時刻に「何者かが現場アパート2階の被害者宅のドアノブを回し、遊びに来ていた友人がその音に気付いた」が、被害者本人は「換気扇の音でしょう」と気にかけていなかった。 その後、被害者女性は友人の帰宅を見送るために施錠せずに外出したため、「その留守中に犯人が侵入し、戻ってきた被害者を襲撃した」という説も浮上した。 愛知県警が当時発表した情報は「臨月の被害者女性が腹部を切り裂かれて死亡していた」「赤ん坊は生存している」「現場には物色されたり争ったりした形跡がなかった」という3点の事実だけで、「腹部に電話の受話器・キーホルダーが詰められていた」などの猟奇的な事柄は伏せられていた。 その後、県警捜査一課の取材を担当していた全国紙の名古屋支社所属の新聞記者が「事件現場は『赤ん坊が母親の腹を裂かれて取り出されていた』凄惨なものだった」という点に疑問を覚え、捜査員たちの家々を回って取材を繰り返したところ、ある刑事が「(母親の)腹の中に入っていたものなど俺には言えない」と発言した。 この発言にさらなる疑問を覚えた記者は「妊婦の腹の中に入っている者など赤ん坊だろう」という先入観から「赤ん坊ではないのですか?」と聞き返すと刑事は顔色が変わり、当初は捜査本部から「事件の核心について緘口令を敷かれていた」ために頑なに口を閉ざしていたが、結局は根負けする形で「受話器と人形(=「ミッキーマウスのキーホルダー」)だ」と答えた。 1988年3月21日、『毎日新聞』東京朝刊は「名古屋で殺された臨月主婦の切り裂かれた腹部に電話器や人形」という見出しを打った社会面記事で「犯人は母親の腹部を切り裂いて赤ん坊を取り出した後、その傷口から体内に電話の受話器・人形を詰め込んでいた。 第一発見者の男性・現場に駆け付けた救急隊員の証言から新たに判明した。 極めて猟奇的・異常な犯行を裏付けるもので、犯行は『被害者に強い恨みを持つ者』か『妊婦に対する強い猟奇性を持つ変質者』の可能性が高い」と報道した。 『中日新聞』朝刊は同日「犯人は被害者女性を首を絞めて殺し、女性の腹部を鋭利な刃物で縦一文字に切り裂き、赤ん坊を取り出した。 『読売新聞』東京朝刊は「腹部に受話器が入れられていた」、『朝日新聞』朝刊は「救急隊員が駆け付けた時点で臍帯は既に母体から切り離されていた。 『犯人が女性の腹部を切り裂いて赤ん坊を取り出し、臍帯を切断した』という異常な事実が改めて判明した。 救急隊員・専門家の話によれば『へその緒ははさみを使っても簡単には切れない』ため、第一発見者の男性が切っていないのならば犯人が切断した可能性が高い」とそれぞれ報道した。 奇跡的に助かった男児は事件発生翌日の1988年3月19日にはミルクを飲み始め 、出生から15日後の1988年4月2日午後に入院先・名古屋掖済会病院を退院した。 退院直前、父親である被害者遺族の男性と主治医・稲垣義彰が記者会見し、男性は「男児の名前は公表しないが、生まれる前から『男の子だ』と分かっていたため、生前の妻と2人で相談してあらかじめ決めていた名前を付ける」と明かした。 その上で男性は「自分もこの子を母親(犠牲になった妻)の分も含めてできるだけのことをし、普通の親と同じように育ててあげたい」と表明した。 このころ、特捜本部が設置された県警中川署には男児の容体に関する「元気になったらぜひに欲しい」といった申し込み・「早く良くなって」などの激励の電話が10本近く寄せられた。 なお絞殺の凶器は首に巻かれていたのコード(が刺さっていた状態で発見された)とは別の物であり、コードが巻かれたのは死後とされる。 帰宅した直後、家の異変に気づきながらも妻の存在を確かめず、妻の姿を捜す前にスーツから着替えていたこと。 当日は「本来は施錠してあるはずのドアがすんなりと開き、部屋の電灯も点灯されていなかった」。 報道陣の前で男性が「妻はが好きだったので、ワインを注がせてください」と言いながら、グラスに赤ワインを注いで霊前に供えた行為を特捜本部は「あまりにも落ち着き払ったパフォーマンス」という先入観を抱いた。 夫の潔白が証明されてからも特捜本部は「顔見知りによる犯行」と推測して捜査を進めていたが、聞き込み捜査の結果、事件当日に現場アパート付近で有力な不審者の目撃情報が上がったことから「外部犯の犯行」とする線が強くなった。 最後の目撃者 生前の被害者妊婦に出会った最後の人物は「被害者女性の友人で愛知県在住の30歳代女性」で 、この女性は手土産のイチゴを持参して3歳の娘とともに乗用車で被害者宅を訪問し 、事件当日の13時50分 - 15時ごろまで被害者宅で被害者女性と談笑していた。 この時、被害者女性はこの友人女性が帰宅する際にアパートの駐車場まで見送ったが、その際には玄関を施錠していなかった。 これに加え、被害者女性は友人女性に対し「自分たちの隣の部屋が空き家の状態だが、時折見知らぬ男性が出入りしているのを目撃しているので不安だ」という趣旨の話をしていた。 また事件当日、被害者遺族の男性が電話を借りた階下の家には30歳代前後の不審な男が訪問し、前述のようにその部屋の住民に「ナカムラさんのところを知りませんか?」と尋ねていた。 さらに連日の聞き込み捜査の結果、以下のように新たな証言がもたらされた。 「事件当日14時30分ごろ、エンジンをアイドリングした自動車がアパート駐車場に停めてあった」• 近隣在住の小学生男児2人(5年生・3年生)が「犯行当日16時半ごろ、事件現場付近で見知らぬ不審な男が、時折道路北側の家を窺うように俯きながらうろついていた」と証言した。 その目撃証言によれば男の特徴は以下の通りだった。 「年齢は37歳もしくは38歳程度、身長は約175センチメートル」• 「丈の長い黒っぽいジャンパー姿で眼鏡はかけておらず薄茶色のベレー帽のような帽子を被っていた」• 「コートの襟を立てて顔を隠すような姿勢で俯き加減に、両手はポケットに入れて歩いていた」 事件発覚直前の当日19時ごろ、上記とは別の小学5年生男児が塾から帰る途中で「現場マンション西側の路上で、前述の特徴と同じような人相の男が約10分ほどうろついていたのを目撃した」と証言した。 「素人の怨恨犯」ではなく「外部から侵入したプロの猟奇殺人鬼」 捜査開始直後、県警は現場に争った形跡がなかったことなどから「怨恨の筋が強い」と推測していたが、素人の怨恨犯ならば「凶器・指紋など何らかの物的証拠を残していると考えられる」のに対し、本事件では「凶器が発見されない」「犯人の遺留物も見当たらない」「指紋が丁寧に拭き取られていた」など、犯行後にかなり冷静・確実に証拠隠滅を図ったことが推測されたため、「外部犯、それもプロの犯行」という線が強くなっていった。 医療関係者説 腹部が38cmにわたり「カッターナイフのような薄い刃物で2,3回同じ箇所をなぞって切られる」という手際のよい方法で切り裂かれていた上、臍帯も切断されていたため、「医学に関する専門知識をある程度持った人物、すなわち異常性格者に限らず医者・医学生による犯行」という可能性も浮上した。 そのために捜査本部は「犯人は妊婦に異常な関心があり、医学的知識を持った成人男性」という人物を犯人像と仮定して捜査を進めていた。 しかし遺体の傷を調べたところ以下のように実際のとはあまりにも大きく異なっていたため「医療関係者が犯人」とする仮定は成立しなくなった。 産婦人科医・是澤光彦(1999年当時・産婦人科部長)によれば通常の帝王切開においては「腹を横に切る。 何らかの理由で縦に切る必要がある場合は(下腹部にあるを傷つけないために)の直下から下向きに切る。 そして切開の際も犯人のように一気に切るのではなく、腹壁・腹膜を順に10 - 15センチ切開してから子宮を切開する」という方法を取るため、医者の犯行であればあり得ない方法であった。 なお通常の医による帝王切開においては完了まで含めて30分程度、うち切開から胎児を取り出すまでに3分 - 5分かかるが、不慣れな人間が行ったとなればさらに時間を要する。 また、母体が死亡すれば臍帯から酸素が供給されなくなるため、10分から15分程度で胎児も死亡するため、犯人は「被害者を絞殺してから十数分の間に腹部を切開して胎児を取り出した」と推測されたが、是澤は「まったく帝王切開の経験がない人間が母体の腹部を切開してから十数分の間に胎児を取り出すことはほぼ不可能だ」と証言した。 一方で被害者の傷を調べたところ「下から上へ」つまり帝王切開の向きとは逆方向に切られており、さらに傷そのものも帝王切開と比べてあまりにも大きいものだった。 少年説 これに加えて発生直後であることに加え「妊婦の腹部を切り裂いてその中に物を入れる」という猟奇的犯行から「命の尊さ・怖さを知らない子供による犯行」即ち説を提唱し、事件から約半年後に捜査員に教えた新聞記者もいた。 その指摘を受けた刑事は記者に対し「犯人は土足で上がり込んでいた」というそれまで公表していなかった事実を初めて口にした上で、「その靴の大きさは大人のものだった」としてこれを否定した。 「犯人が土足で被害者宅に侵入した」ということは「怨恨を動機とした犯行ではない」ことを裏付けるものとなったが、記者はいったんは「少年ではない」という答えに納得したものの、後に町田喜美江の取材に対し「10歳代後半ならば足の大きさは成人と変わらない。 やはり少年による犯行である可能性は捨てきれない」と証言した。 これを受けて町田は1999年、捜査資料に関して愛知県警に問い合わせたが、県警は「何も話せない。 当時のプレスリリースも既に廃棄されているだろう」と回答した。 石井利文の犯人像予想 石井利文・東京医科歯科大学難治疾患研究所員は犯人像を以下のように分析した。 犯人は「自らの手で妊婦の腹部を切開して胎児を取り出したい」「妊婦の体内を見てみたい」という願望を抱いていたのだろう。 そう考えれば腹に入れられていたものは「受話器=胎盤」「電話機のコード=臍帯」「ミッキーマウスのキーホルダー=胎児」、それぞれの代用物に見立てたと解釈できる。 胎児が生存していたのは「犯人は子供には関心がなかったため」と判断できる。 「妊婦の腹部を切開する」実験を行うには対象を殺害した方が容易に実行できるために最初に被害者を絞殺した。 切り口・手際が良いのは「被害者が死亡しているために抵抗を受けない上、最初から腹部を切開することが目的」であるため、躊躇なく丁寧に行おうとした結果だろう。 「実験」が目的であればかりに性的興味があったとしても快感まで達することはないため、連続的に猟奇事件を起こす・者ではなく1回限りで満足する可能性がある。 「ある程度の知識・力があればできる」犯行であるため、犯人の年齢は少なくとも15歳ないし16歳以上だろう。 犯人は「同情・愛情が非常に薄い『情性欠如性の異常性格者』で、『妊婦の腹を切り裂き胎児を取り出す』ことに関しては綿密な計画を立てていた(=秩序型性的殺人)が、『遺体をそのまま放置する』無計画な面も認められる(=無秩序型性的殺人)ため、『混合型性的殺人』の特徴に該当する」。 捜査迷走・未解決に [ ] 遺体の腹部に入れられた受話器・キーホルダーが「最大の謎」とされたが、特捜本部が被害者の交友関係を調べてもそれに関連するトラブルは発見できなかった。 また現場になどは確認されず、唯一残っていた物的証拠は「25センチの靴の足跡」だけだったが 、この靴は「韓国・台湾で製造された大手靴メーカーの模造品」と判明、流通経路を調べても犯人断定には至らなかった。 被害者の財布が現場からなくなり、後述のように箪笥も荒らされていたため、愛知県警は「物取り目的の人間が侵入して鉢合わせした被害者を殺害した後、そのうちに持っていた猟奇性が偶然芽生えた」という線で事件として捜査を継続した。 犯人は犯行後に箪笥の引き出しを物色していたが、ドアノブに血液反応は確認されなかったため「台所で血液を洗い流して逃走した可能性が高い」と推測された。 特捜本部元幹部は2003年、『毎日新聞』の取材に対し「妊婦の腹を裂くなど猟奇的な点ばかりが注目されたが、証拠隠滅を周到に図っていることから『物取り目的の犯行』だろう。 猟奇的な行動は殺害中、犯人の内に秘められていた『異常な顔』が現れたにすぎないはずだと推測している」と証言した。 現場周辺では不審車両の目撃証言がなかった上、近鉄戸田駅に近い立地から、捜査員は「犯人は近鉄電車で移動した可能性がある」という線をも含めて捜査範囲をのみならず(近鉄)沿線の(・)にまで広げ、不審者1,000人をリストアップした。 特捜本部は「大阪在住・かつ名古屋で犯歴のある人物」を含め 、その中でも「特に不審な30人」の事件当時の行動などを徹底して調べたものの被疑者特定には至らず 、いずれも捜査線上から消えた。 事件発生(男児誕生)から丸1年となった(平成元年)3月時点で「犯人は盗みなどの目的で押し入り、妊婦だった被害者に対し猟奇性を剥き出しにした」と推測して 捜査員延べ17,500人を投入して捜査した結果、市民から104件の情報提供を受けたが 、事件解決への糸口はつかめなかった。 そんな中、1989年3月上旬には「事件現場付近在住の妊婦が自宅アパートに帰宅直後、家路を尾行してきてドアをノックした不審な男に『見せたい物があります。 開けてください』などと執拗に付きまとわれた」事件が発生した。 その目撃証言によれば、目撃された男は「年齢20歳代前半・身長は160cm以上 - 170cm未満・中肉で大人しい印象」というものであり、事件直後に目撃された不審者とは「身長などの体格」「妊婦への異常な執着」「住人の少ない時間帯にアパートを訪問した」などの共通点が見い出されたが 、これも犯人につながる情報とはならなかった。 また事件発生丸1年を前に「被害者は事件の数日前、親類から『下着の訪問販売業者から電話で勧誘を受けた』と話していた」新事実が判明したため、特捜本部は「訪問販売を装った侵入手口も考えられる」として約40業者から事情聴取をしたが犯人特定には至らなかった。 特捜本部は事件発生から2年となった(平成2年)3月までに捜査員延べ23,500人を投入して以下のように捜査を進めたが、専従員20人で捜査していたこの時点でも「『犯人の性別は男』という線さえ決め手はなく暗中模索の状態」で捜査は困難を極め、聞き込み先で市民から「まだやっているんですか?」と厳しい言葉をぶつけられるようにまでなっていた。 この時点までに市民から合計133件の情報提供がなされたが、直前には月1件程度まで激減していた。 事件当日に現場を通った人物のうち足取りなどが不審な人物約450人、近辺の常習者・住所不定者など約1000人を追跡した。 被害者の関係者約500人への聞き込み。 周辺の妊婦約300人に「不審者に付きまとわれた経験はないか?」などと調査した。 他県警とも連絡を取り、1989年夏にの加害者として逮捕されたに関しても・へ問い合わせた。 事件から5年前の1983年(昭和58年)には名古屋市・近畿地方で相次いで女性が殺害され、女性器に異物が挿入されるという同一人物による猟奇連続殺人事件が発生していた。 その事件のように「猟奇犯罪は1度では終わらずエスカレートしていく」、即ち「本件は者などによる犯行であり、本件以前にもなどを起こした末にエスカレートした可能性がある」という推測も含めて捜査した。 このような捜査への取り組みも空回りし、物証が乏しかった上に現場に残されていた足跡も犯人断定の手掛かりにはならず 、捜査線上には具体的な人物が挙がることなく、捜査は完全に行き詰まってしまった。 幹部の異動の度に捜査資料は引き継がれ、新たに検討が加えられてきたが 、時効完成直前までに捜査本部は解散した上に 専従捜査員はいなくなり 、時効完成時点では捜査員2人が捜査に当たっていたのみだった。 事件発生から7,8年となる(平成7年)および(平成8年)ごろには現場アパート前に花束が具えられたため、被害者遺族は「犯人ではないか」と色めきだったが、その主は事件と無関係の女性だった。 事件当時の捜査幹部は公訴時効成立直前の『中日新聞』2003年2月17日朝刊にて「今思えば、恨みや私情のもつれなど犯人が被害者と関係あるような事件ではなかった。 捜査の範囲が広く被疑者の割り出しに至らなかったことは極めて残念だ」と無念の思いを話した。 結局、約4万人の捜査員を投入した愛知県警の捜査も空しく、被疑者には至らないまま事件発生から15年後の(平成15年)午前0時にが成立しとなった。 中川署は「犯人の海外逃亡などによる公訴時効の中断なども視野に入れ、今後も別事件で逮捕された被疑者に対する検討など必要な捜査を進める」と表明したが 、事件から31年が経過した2019年時点でも犯人は特定されていない。 被害者遺族のその後 [ ] 事件後、被害者遺族の男性は男児を愛知県(現:)内の実家(事件現場に最初に駆け付けた実父、即ち男児の父方の祖父宅) に預け、事件発生から1年が経過した1989年3月時点でも事件現場アパートで独り暮らしをしていたが 、同年内に内に転勤した。 この事件により母体から取り出されるも一命を取り留めた男児はしばらくは父親の実家で育てられたが、父方の祖父が(平成3年)にで死去した。 その3年後の(平成6年)、男児は小学校入学に伴い父親・父方の祖母(男性の実母)と3人で母親である被害者女性の実家近くのアパートに引っ越したが、父親はしばらくして勤務先を退職し、会社を友人と共同経営するために準備を進めた。 (平成11年)4月、男児は小学校6年生に進級したことをきっかけに父親・祖母とともに日本を離れて・に移住した。 町田喜美江は『』1999年10月号()に寄稿した本事件の記事末文にて「男児は今年(1999年)春に小学6年生になったが、今なお『母親がいない本当の理由』を知らないという」と記述している。 被害者女性の実父(男児の母方の祖父)は1999年8月時点で(現:埼玉県)に在住しており、町田喜美江の取材に対し「病気や事故で死んだのならまだ納得もできる。 娘は特別な運命を背負って生まれてきてしまったんだ」と無念の思いを語った。 女性の実父は公訴時効成立直前の2003年2月、『』『』取材に対し以下のように心境を話した。 公訴時効成立直前で被疑者が逮捕・起訴された事件(例:)もあるが、いまさら犯人が逮捕されても娘は生き返らない。 たとえ逮捕されなくてもこのまま苦しみながら生きていくならそれでいいが 、「犯人が時効後に平然と社会で生活する姿」を想像すると娘が不憫だし、公訴時効制度が憎い。 あのような猟奇的犯行は「人間」にはできない。 犯人も人の子として生まれてきた以上、「この15年間は罪の意識に苦しんできたはずだ」と思いたい。 事件のことは忘れようとしているが、心には一生残る。 娘の墓・仏壇は(義理の息子・孫が移住した)ハワイにあるからここ(自宅)にはない。 孫もそのうち事件のことを理解するかもしれないが、成長をゆがめないことを願いたい。 『読売新聞』1988年3月19日東京夕刊第一社会面15面「臨月の主婦惨殺 現場近くに不審な車 『悲鳴聞いた』の証言も/名古屋」• 『朝日新聞』1988年3月19日夕刊第一社会面15面「名古屋の若妻殺し、首にもコード」•

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名古屋市西区稲生町主婦殺害事件の現場: ニュースの現場へ

名古屋主婦殺害事件

1999年11月13日 土 に発生した愛知県稲生町5丁目主婦殺人事件(通称・主婦殺害事件)について。 白昼の自宅アパートで主婦・ 高羽奈美子さん(当時32歳)が何者かに刃物で首複数箇所を刺され死亡、そばにいた長男の航平さん(当時2歳1か月)は無傷で、部屋が物色された形跡は見られなかった。 犯人の血痕や足跡、遺留品や目撃情報があるものの、2020年現在も検挙に至らず、今年2月愛知県警は有力情報に対して最大300万円の報奨金をかけると発表した。 正午ごろまで駐車場で車の手入れをしていたが不審者は見ていない) ・正午から13時までの間に、被害者宅から「タンスを引きずるような大きな音」「階段を駆け下りる音」を住民が聞いた ・12時15分、12時20分頃、稲生公園付近で2件の不審な女性の目撃情報 ・12時30分から14時頃にかけて、ママ友が3回電話するも応答なし ・14時30分頃、各部屋に柿を配っていた大家さんが来訪。 応答なく、無施錠だったため戸を開けると廊下で流血して倒れている奈美子さんを見つける。 慌てて大家夫を連れてきて再確認。 ・騒ぎに気付いたママ友が大家さんとともに119番通報。 救急隊は変死と判断し通報。 連絡を受けて15分ほどで悟さん到着。 遺体はトレーナーにンズ姿、着衣の乱れはなかった。 ・死因は失血死(死亡推定時刻は正午から13時ごろ)。 現場の状況から、玄関右手の洗面所で致命傷を負い、廊下をまたいで居間へ這っていく途中で息絶えたとみられる。 ・居間では幼児イスに腰かけた航平さんが玩具で遊んでいた。 テーブルには航平さん用のおみそしる、奈美子さんが普段は食べないラーメンがのびきった状態で置かれ、掃除機が廊下に出しっぱなし、居間のTVもつけっぱなしの状態。 部屋を物色された形跡はなかった。 ・悟さんの出勤直後からきとう小児科に行くまでのおよそ2時間の足取りはつかめていない。 返却予定だった本が残っていたので図書館に行っていないと考えられている。 犯人とみられる人物・遺留品 ・目撃情報やDNA鑑定により、40~50歳代B型女性(現在60~70歳代)、身長160センチ程度、当時黒いコート、肩にかかる黒髪のゆるいパーマ、凶器は発見されていない ・量販品の女性向け韓国製スニーカー24㎝サイズ ・被害者宅から500mほど数m間隔で血痕を残しながら、方面に北上し、稲生公園で血を洗った痕跡。 ・12時15分および12時20分頃、「手を怪我した女性」が、稲生公園付近から東進したとみられる目撃情報2件あり。 ・その後、長男・航平さんが3歳当時、「ママとおばちゃんが喧嘩してた」、4歳当時「犯人はコンビニのおばちゃんだ」といった証言を残しているが目撃証言としての確証は得られず。 ・居間テーブルにミルミルEが飲みかけのまま放置され、玄関には内容物の一部が吐き出されたかのようにこぼれていた。 高羽家では過去に購入したことがなかったことから犯人の遺留品ではないかとされている。 製造番号により30㎞以上離れた西地区内で販売されたものと特定。 当日の天候は晴れ。 アパート付近は密集した住宅街だが犯行が昼時ということもあり往来は多くなかったと思われる。 血痕が続いていた稲生公園へはアパートから北へ徒歩10分もかからない。 『迷宮入り!?未解決殺人事件の真相』 2003,宝島社 柳川文彦の記事によると、奈美子さんは稲生公園を何度か訪れたことがあったがなんか感じが悪いんだと話し、あまり立ち入らなかったと夫・悟さんの証言を得ている。 また犯人の血痕は、公園への最短ルートを辿ってはおらず、公園を目指して移動していたのか、血を洗うためにたまたま公園の水場を見つけて立ち寄ったのかは定かではないものの、土地勘がなかったのではないかとの見解もある。 奈美子さんらが11時過ぎに訪れたきとう小児科は、稲生公園方面とは逆方向。 アパートの南にある用水路を渡って南東方向に位置する。 夫・悟さんは事件から20年経ってなお当時の状態のままアパートの部屋を借りている。 長男・航平さんは母親についての記憶はほとんど薄れ、2019年に親元を離れて就職。 犯人特定につながらないまま、時計の針は進んでいく。 下の記事では、夫・悟さんが奈美子さんの性格などについて語っている。 憧れだった赤い車を買ったこと、家族揃ってのディズニーランド、母を迎えてマンションに引っ越す予定だったこと、飲食店を営むひとり親の手伝いをしながら育ったため普通の主婦に憧れていたこと。 アパートを事件当時のまま維持していることも手伝って、悟さんはメディアにも積極的に登場して情報提供を求めてきた。 その際に提供されるご夫婦や一家の写真は、奈美子さんがレシピのファイリングや航平さんの育児記録とともにまめに整理していたものだという。 部屋を荒らされた形跡もなかったことなどから怨恨の線で捜査は進められ、夫婦の交友関係を念入りに調査されたが、ともに恨みを買うような相手は見つからなかった。 悟さんの前妻にも捜査は及ぶも、静岡在住でアリバイがあり血液型も不一致。 目撃された不審な女性が奈美子さんより一回り以上年長で、悟さんと同年代風だったことて、当初は悟さんの女性関係の線も追及されていたのであろうが、犯人の特定は困難を極めた。 9時ごろ悟さんを見送った直後(9:30の宅配前)に家を出たものと考えられる。 アパートからかかりつけの小児科へは自転車で約5分だが、病院側の来院記録から「11:10」に来院が確認され、空白の2時間が生じている。 9時過ぎに小児科を覗いたが混雑していたためどこかで時間潰しをして再訪した等の理由が考えられる。 この間にトラブルが起きた説もあるが、それならば小児科ではなく交番へでも向かうだろう。 また付近の公園や店などで2時間滞在していれば、目撃情報がありそうなものである。 個人的には、小児科の混雑を見て他の病院を転々としてみたが結局戻ってきた、周囲はその様子を特に気に留めていなかったのではないかと思う。 病院は年配者も多く、そうした方にすれば幼子を抱えたお母さんを見れば「どうしたの?お熱?」など声を掛けやすい。 また製品の幼児向けっぽいチャーミングなネーミングや体に良さそうなイメージから、懐に携帯してきたものを「あげるから飲んで」と好意的にプレゼントしている場面が容易に思い浮かぶのだ。 「あれは自分が渡したミルミルかも」と心当たりがあっても家族に迷惑をかけたくないあまりに黙秘してしまった可能性も大いにあるし、捜査・調査に対して家族の他の者が対応していて捜査線上から消えてしまった可能性もある。 また製品の特性上、家族の分や数日分をストックする家庭が多く、そうしたものは集まりで配ったり、相手に気を使わせないちょっとしたお礼などにも重宝される。 「犯人が自ら持ち込んで自ら吐き捨てた」よりは、奈美子さんが病院かどこかで善意の第に貰い、帰宅してテーブルに置いたものを犯人が口を付けたという方がまだ自然に思われる。 その道筋を示すのは数mおきに犯人の血痕があったからだ。 しかし事件の晩、マスコミの動向を嫌がった県警本部は警察犬による捜査を一時中断、その後降雨によって血痕が消されてしまった。 現場から離れたあとになって公園の水場の存在を思い出したのか、かく乱を狙ったのか、ただ混乱していたのかは不明だが、目撃情報では公園方面から更に東へ向かっていたといわれている。 移動手段が徒歩であること、駅に向かっていないこと、目撃情報が2件しかないことなどから、徒歩圏内に暮らしていた近隣住民と思われる。 当時、新車購入やマンションへの引っ越しも決まっており、「こわいほど幸せ」と知人に話していたことから、(夫や友人が一切関知していない)交友筋で妬みを買っていた可能性も疑われている。 上の記事で、7年間捜査に携わった元愛知県警捜査一課・岡部栄徳さんは「どっかで奈美子さんに逆恨みした人物」ではないかと目星を語っている。 だが通常の思考であれば、逆恨みして刃物を手に住宅街の真ん中にある家に押しかけてくるだろうか。 知人であれば電話で、それこそ公園や人目につきにくい河原などに呼び出して事を行うのではないか。 また家を知っているほどの関係、過去に来訪歴のある人物がいれば、(不倫などやましい関係でなければ)夫やママ友らに何か言い伝えていてもいいがそれもない。 たとえ恨みを抱いた知人としても、まともな人間であれば相手の頸動脈ではなく交友関係を切ろうとする。 またその際に何がしか奈美子さんに対する悪口を他人に漏らすだろう。 考えられるのは、午前中の宅配の不在通知があったこと、掃除機やTVなどで室内が慌ただしかったことから、ドアをノックされ、うっかり確認せずにあわてて玄関を開けてしまったシチュエーションである。 私の考えでは、犯人は奈美子さん個人に恨みを持っていなかった赤の他人、妄執につかれた者くらいしか想像できない。 たとえば自分より性や小さな子供のいる母親であればだれでもよかった、人通りの少ない昼の街路で奈美子さんを見かけて家まで着いていったのではないか。 犯人とみられる女性が当時40~50歳前後とすれば、身内もそれなりの年齢であり、身内の凶行を隠匿しようと考えてもおかしくない(ほどなく転居した可能性もある)。 独り者ならば病院や施設に収容されているかもしれないし人知れず亡くなっているかもしれない。 地域でそうした疾患者の情報はある程度リストアップされていることと思うが、確証が得られず追及できないのか、あるいは自分の見当違いか。 現場でDNAが採取されていることから、すでに他の罪で逮捕されているという可能性は低そうだ(血液からか唾液等なのかは不明)。 加害者が特定されないまま、遺族は感情のやり場を失っている。 夫・悟さんが自らの境遇を語るときに使う「中途半端な被害者」という悔しさのにじむ表現に胸が締め付けられる。 悟さんも危惧しておられる通り、犯人とみられる女性も存命であれば70歳代に差し掛かり、現実的にリミットは迫っている。 一日も早い犯人特定を願うばかりだ。 sumiretanpopoaoibara.

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20年間妻が殺された部屋借り続ける夫…未解決の名古屋主婦殺害事件 血痕が消えた先の情報提供を【愛知発】

名古屋主婦殺害事件

当時2歳の息子は母を「全然覚えていない」…未解決のまま20年 未解決のまま令和を迎えた名古屋市西区の主婦殺害事件。 関係者を改めて取材すると、犯人が残した「血痕」に関する新事実が明らかに。 さらに7年間捜査に携わった元刑事が犯人像を語った。 名古屋市内の自宅でアルバムを見る父親と息子…。 息子は母親のことを全く覚えていない。 古いアルバムを見かえす高羽奈美子さんの夫・悟さんと息子の航平さん ーー 航平くんは母親のことを全然覚えていないと思いますが? 高羽航平さん: そうっすね、全然覚えてないっすね 航平さんの父親・悟さん: ぜーんぜん、記憶にないよね? 航平さん: めっちゃアルバムあるね 悟さん: これは新婚旅行だ。 トルコ、イスタンブールと、写真撮るのは好きでしたね 映っていたのは、高羽奈美子さん(当時32)。 写真を撮るのが好きだった。 夫・悟さんに初めて航平さんが抱かれた時の写真には「パパとご対面(この人誰だろ??)」というコメント。 日付や場所、それにコメントも全て自分で書いていた。 殺害された高羽奈美子さん(当時32) 航平さん: めっちゃ脚きれいじゃね?自分の母親やけど。 モデルかと思った 悟さん: 手足長いし、もう… 白くてスラリとした長い脚。 息子の航平さんは、似ているところを見つけた。 航平さん: 僕、めっちゃ美脚って言われるんですよね、いろんな人たちに。 女子とかからも。 めちゃめちゃスタイルいいねって。 多分そこですね、(母親と)似てるのは 航平さんは来年大学を卒業し、東京の会社に就職する。 高羽悟さんと奈美子さんの息子・航平さん ーー平成というのは高羽家にとってどんな時代でしたか? 悟さん: うーん、うん、そうですね、まあ奈美子と出会ったのも平成に入ってからですし、結婚して航平を授かったのも平成の時代、ただまあ事件にあったのも残念ながら平成の時代ということで、一言ではね。 なかなかその時代が良かったとか悪かったとか言えないんですけど。 就職が決まればひとつね、責任は果たせたかなという気持ちにはなります 高羽奈美子さんの夫・悟さん 事件があったのは、今から20年前の平成11年11月13日。 名古屋市西区稲生町5丁目のアパート。 この一室で奈美子さんは殺害されているのが見つかった。 夫の悟さんは仕事で外出中で、2歳だった航平さんは奈美子さんと一緒にいたが、無事だった。 夫は事件から20年経った今も現場の部屋を借り続ける 悟さん: 殺人事件なんて自分の身にふりかかることだとは本当に思ってもなくて。 呆然と『何でこんなふうになっちゃったんだろう』と言うしかなかったのは、昨日のようには思い出すんですけども… 現場となったアパートを事件後も悟さんは部屋を借り続けていて、当時の状況のまま残している。 奈美子さんは、廊下と居間の間で首などを刃物で刺されていた。 悟さん: (奈美子さんは)膝から下くらいが廊下に出ていて、こっち(居間側)にうつぶせで顔を右側にして倒れていまして、胸の下は血だまり。 ここ(廊下の壁)に血しぶきが飛んでましたんで、ここ(玄関)の下に犯人の血がついているんですね 犯人はB型の女…年齢は現在60歳~70歳か 現場には女の血痕も 玄関に残る「血痕」。 現場には犯人の血痕と靴跡も残されている 悟さん: この辺が犯人の靴の跡なんですけども。 24センチというのが見えるような跡があります 犯人は、奈美子さんともみ合いになった際、手に傷を負ったとみられ、足跡も残っていた。 愛知県警は目撃情報から 犯人を女と断定。 血液型はB型で、年齢は現在60歳~70歳くらいとみている。 現場に残された血痕や目撃情報などからわかった犯人の特徴 悟さんや航平さんも、これまで事件発生の日に合わせビラ配りをし、情報提供を呼び掛けてきた。 しかし、ここまで犯人像が絞られているにも関わらず、令和になっても未解決のままだ。 悟さんと地下鉄の駅で情報を呼びかける航平さん 当時12歳 現場となったアパートの前に立つ1人の男性。 元愛知県警捜査一課 岡部栄徳さん: 遺族の方の人生まで狂わせてしまった犯人には、どうかそれに見合った罰を受けてもらいたい、という思いでずっと捜査してきましたし、今もそう思っています。 捕まえられなかったのは悔しい限りです 愛知県警元捜査一課の岡部栄徳さん(61)。 未解決事件ばかりを扱う「特命捜査係」の班長として、7年間この事件に携わってきたが、去年3月退職した。 発生直後の初動捜査でもカギとなったのは、アパート周辺でも見つかった、犯人のあの「血痕」だった。 元愛知県警捜査一課 岡部栄徳さん: ダーッと流れておる状態ではなくて、ポタ、ポタ、という感じ。 一定のリズムではなくて、トットッとあって、また離れてポッとあってという感じですね 路上には自宅から北東の方向におよそ500メートルにわたって犯人の血痕が点々と残されていた。 しかし… 元愛知県警捜査一課 岡部栄徳さん: この辺りから血液の滴下が分からなくなってしまってですね、そこで例えば完全に消えちゃった、止まったよっていう確認ができれば一番よかったとは思うんですけど、そこから先が探したけど探せなかったのか、現実に無かったのかというのがわからない 血痕は、道の途中で途絶えた。 当時を知る複数の捜査関係者によると、実は奈美子さんが殺害された日の夜、愛知県警は警察犬を使って血痕を追っていた。 その後、この血痕を一部の報道機関も追い始めたため、当時の捜査幹部が一時中断を指示。 するとその夜、現場に雨が降り、血痕が消えて追うことができなくなったという。 あの時、血痕を調べていればあるいは犯人にたどりつけていたかもしれない。 一方で、岡部さんは捜査で浮かび上がった犯人像についてこう話す。 元愛知県警捜査一課 岡部栄徳さん: どこかで奈美子さんに逆恨みした、地元で接触のある人物。 ただご主人やお友達の方も身内の方も聞いたことない人。 それと奈美子さんの慎重な性格、もろもろ考えて奈美子さんと接点のある友人知人の中の一人ではないかなと。 ただ奈美子さんよりも年上、どちらかというとお母さんに近いくらい その上で、 血痕が消えた先で犯人が通ったとみられるルート周辺での目撃情報を愛知県警に寄せてほしいと話す。 元愛知県警捜査一課 岡部栄徳さん: 埋もれた情報がいくつもあると思うんです。 そこらへんを警察の方へ情報提供いただけると、犯人に結び付くかなと。 よりここから先の目撃者の方が出るかなと思いますので、是非協力していただければ 自首してくれって言うしかない…解決のカギは採取されたDNA 急転直下で逮捕の可能性も 事件現場のアパート。 悟さんは、今もここで奈美子さんが使っていた遺品を保管している。 悟さん: 私もここへ来て、少しずつ手に物を取ると、奈美子が大事にしてたんじゃないかなと思うと、なかなか捨てられなくてですね… 「事件を風化させないため」そんな思いで借り続けてきた部屋。 事件から20年がたち、手放そうとも思ったというが、大家さんが家賃を下げてくれたこともあり、もうしばらく借りることにしたという。 悟さん: 僕らは中途半端な被害者なんで、これが指名手配されていればね、犯人の家族を調べようとか、犯人の住んでたところはどこでとか、いろいろ情報収集するでしょうから。 犯人の親に対する恨みとか出てくるでしょうけど。 どこでどう育ってということも分からない。 ただ女性で(当時)40~60歳って聞いているだけで、本当にそれも正しいか捕まえてみないと分からないですし。 自首してくれって言うしかないですよね。 出てきて本当のことを喋ってくれとしか言いようがないですよね 罪を償うことなく市民に紛れて生活をしている犯人の女…現場からは女のDNAも採取されていて、事件はいつの日か急転直下する可能性もある。 愛知県警西署は情報提供を呼びかけている。 (電話番号:052-531-0110) (東海テレビ).

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