葛西 アナウンサー。 笠井信輔アナ、生存率は「7割」 4ヶ月入院で抗がん剤治療へ

笠井信輔アナの子供(3人息子)の大学・学校や年齢は?結婚した茅原ますみ(嫁)の現在が気になる!

葛西 アナウンサー

撮影:大井成義 長年、NHKの名アナウンサーとして、お茶の間の皆さんから親しまれてきた葛西聖司さん。 「NHK趣味講座 仕舞入門」「芸能花舞台」など数々の純邦楽や伝統芸能の番組に携わり、日本の伝統文化を、わかりやすく楽しく伝える役目も担ってきた。 その一方で、日本全国で能や伝統芸能についての解説や講演、名人たちとの対談などにも精力的に取り組んでいる。 さらには多数の著作を通して、数多くの人々を伝統芸能・伝統文化の門口へ、誘ってきた。 名人芸の語りには、能と日本の伝統文化、日本人への尽きせぬ慈しみがあった。 第1部 仕事で能に関わるようになったきっかけとは? 第1部 仕事で能に関わるようになったきっかけとは? 初の能鑑賞では、眠ってしまいました 撮影:大井成義 能との出会いは、地方の方、都会の方、それぞれいろいろなかたちがあると思います。 東京に住んでいた私は、中学校の授業で能楽堂へ行ったのが、最初の能体験でした。 どこの能楽堂か、何の曲かも定かには覚えていません。 私自身は普通のサラリーマン家庭に育ち、伝統の世界とは縁もありませんでした。 能楽堂は、独特の雰囲気があって、「へえ、面白いな」と興味は湧いたんです。 引き締まったものを感じて、この場ではきちんとしなければ、と中学生ながらに緊張していましたね。 ところが、ほとんど眠ってしまって……。 寝ちゃいけないのに寝てしまったという思いが強くて、すごく苦痛に感じました。 その苦痛が、能楽堂の雰囲気とセットになって、能はつまらないものというイメージが定着してしまった。 でも今、各地で能のお話をさせていただくようになって、あのとき「ああ、よかった」という感動の出会いじゃなかったことが、逆によかったとも思えるのです。 歌舞伎を入り口に能と再会 その後私は、中学・高校時代、歌舞伎にはまっていったんです。 歌舞伎は嫌じゃなかったんですね。 これも学校の先生に連れられて、2階のいい席から見下ろして面白かった。 緊張もなく、友だちと気軽に楽しめたことがよかったのかもしれません。 新聞の広告に歌舞伎の1カ月間公演があること、学割もあることが紹介されていましたから、「あっ、自分でも見られるんだ」と気づいた。 ちょうど国立劇場ができた頃から、学校帰りに学割の安い席で歌舞伎を見るようになりました。 そして歌舞伎の原作に能がある、ということを知り「僕が苦手な能が原作なんだな」と少し驚き、興味も持ちます。 でもまだ能に積極的にはなりませんでした。 高校時代、国立劇場に感想文を書いて送っていたんですけど、それがきっかけで、伝統芸能に通じた年配の人と文通を始めたんです。 その人が、「君は歌舞伎が好きなら、能をご覧なさい。 僕は能に一番熱中したんだよ」と勧めてくれました。 そのときも「へえ、あんな難しそうなものが」と思った。 まだまだ子どもだったんですね。 大学生になって成長し、考える力がついてくると、能を勉強してみようかな、という気持ちが湧いてきた。 そこでやっと、自分から能楽堂に通うようになったんです。 ずいぶん遠回りでしたね。 伝統文化への興味が枝葉を伸ばして、やがて解説する立場に 回り道でしたが、歌舞伎を入り口に、能へ興味を持てるようになった。 歌舞伎を入り口にすると、能にも人形浄瑠璃にも行けます。 日本史にも行けます。 和の技術、衣装、色彩、習慣、風俗、宗教……。 いろいろと広がっていく。 それは、能やその他の文化が入り口になってもいい。 入り口が何であれ、そこからたどるといろんな世界へ行ける、日本の伝統文化はとても豊かなつながりのある世界をもっている、というのがわかったんですね。 そうすると、中高時代にあれだけ嫌だった古典、たとえば源氏物語や平家物語も興味深く思え、実際読んでみると「おっ、これは面白いじゃないか」ということになって。 そのように枝葉を広げたことが今、能の解説をさせていただいたり、学校で学生に教えたりするきっかけになったのですから、わからないものです。 伝統文化を放送で伝えたくて、NHKアナウンサーになったけれど 能に深くのめりこむようになるのは、社会人になり仕事として、能に関わるようになってからです。 私がアナウンサーになった理由は、放送を通して日本の伝統文化を伝えたいという志からでした。 でも初任地が鳥取、2局目が宮崎で、能や歌舞伎とほとんど縁のないところになった。 そうなるともう、自分の夢である「放送を通して日本の伝統芸能の面白さを伝える」ことが、叶わないというのに気づくんです。 観る機会も限られてしまい、たまに東京に帰って、歌舞伎座に行ったり、鳥取では休みの日に京都の南座に出かけたり、研修で金剛能楽堂に観にいったりするぐらいでした。 でもわずかな機会だからこそ、むさぼるように観ました。 そうなると吸収度も全然違うんですけどね。 もう仕事ではなく、人生の楽しみとして、能・狂言、歌舞伎、文楽と関わりを持とうと思いなおして、夢の仕事はいったん諦めました。 画期的だった「NHK趣味講座 仕舞入門」 撮影:大井成義 その後、東京に戻るのですが、少年時代の思い出が堰を切ってあふれ、観られなかった時間を取り戻すように、35歳以降、伝統芸能の世界にのめり込みました。 昭和の終わる頃(昭和63年)から伝統芸能の番組にも携わるようになった。 そして巡り会ったのが「NHK趣味講座 仕舞入門」という番組です [1989年(平成元年)7月〜9月放送]。 そこで講師を務めた友枝昭世と出会ったことが、私にとっては画期的でした。 私がこのように敬称を使わないのは、その人のことを偉人として尊敬しているからですので、ご了解ください。 能楽堂に仕事で出入りし、仕事でインタビューもするなかで、観客として楽しむのではない必死さが出てくる。 そうして能の見方も変わってきた中で巡り会った番組で、友枝昭世のすぐそばで仕事をして、とても勉強になりました。 友枝昭世の「弟子」になって 番組を受けるにあたって、ひとつ条件を出したんです。 能舞台でお稽古をする番組ですから、女優の卵さんたちを生徒に仕立てて登場してもらった。 私は司会者として、講師と生徒のつなぎ役になるんですが、せっかくだから私も生徒の一員に加えてくださいとお願いしたんです。 謡もやってみないとわからないし、舞台も踏んでみないとわからない。 能を体で実感しようと思ったわけです。 担当者からは不安げに「できるの?」と聞かれましたが、「やります」と元気に答えました。 番組が始まり、失敗したと思いました。 というのも、収録が一度に2本撮りだったんです。 1本目と2本目の間は小一時間しか休憩がなく、その短い間で上達しなければならないんです。 「これは大変だ、できない」と気づいても後の祭りです。 4名の若い女優の卵の生徒さんは、さすがにすぐ覚えてしまう。 一緒に動かなきゃいけないんですが、どうやったかというと、そこは私も放送局のプロ。 カメラがどこから撮影するかわかるから、すっと後ろに隠れました。 家へ帰るともう必死で覚えて、次の収録に備えました。 番組進行だけでも大変でしたから、「引き受けなきゃよかった」というのが、そのときの本音です。 全国の方々がご覧になり、「袴が短い」など、いろいろご意見も頂戴して、責任も重かったんです。 でも本当にやってよかった。 友枝昭世の「弟子」になれたんですから。 すぐそばで彼の全身を見ることができる。 能役者を見所からではなくて、舞台上で見られた。 何て素敵なんだろうと思ったんですよ、ぞっこん惚れちゃいました。 なぜこんなに綺麗に動けるんだろう、という感動がありました。 お話でもいろいろなことを教わり、私の中にいっぱいあった大いなる誤解を一つひとつ解きほぐすことができました。 また第1回は、喜多能楽堂で収録しました。 そのとき、外国人の方が船弁慶の仕舞をされたんです。 それを観て、羨ましさと悔しさをすごく感じました。 日本人として、がんばらなきゃという思いが沸々と湧いてきたんです。 こういう強い思いを抱けたことも、この番組をやってよかったことのひとつですね。 能楽入門2「能の匠たち その技と名品」(小学館) 横浜能楽堂編 山崎有一郎氏監修 葛西さんは匠たちの技や名品に関するエッセイで参加されている。 その後、能・狂言の名人の方々に数多くインタビューする機会に恵まれるようになりました。 NHKに入って、古典芸能のアナウンサーの末端に連ねさせていただけた。 有難いと思っています。 山崎有一郎との出会い。 横浜能楽堂と深く関わって…… もうひとつ、能に関わる仕事では、山崎有一郎(横浜能楽堂館長)との出会いを介した、横浜能楽堂とのつながりが大きいですね。 白寿を迎えた山崎有一郎は、自分でも演じますが、演者ではない立場で能楽界を長く支えてきた偉人です。 横浜能楽堂の開館時 [1996年(平成8年)]から私に声をかけ、講座を持たせてくださった。 能ドットコムにも出ている方もいらっしゃいますが、能の道具(楽器)制作に携わる方、能面師、扇制作の方、能舞台建築の方など能をサポートする側の専門家の方々をゲストにお話をするという講座を続けました。 これは私にとって、放送とは違うすごいプレッシャーのかかる仕事でした。 私に大きな変革を導いてくれたと思います。 能に関して知っているつもりで知らなかったことや、思い違いを、また改めて知ることができました。 能を見る目が開かれた感じです。 各世代を代表する演者にもたくさん会うことができた。 山崎有一郎、横浜能楽堂との濃密な15年は、私にとっての宝物です。 葛西聖司 プロフィール アナウンサー・古典芸能解説者 東京都生まれ、中央大学法学部卒業。 NHKエグゼクティブアナウンサーとしてテレビ、ラジオのさまざまな番組を担当。 現在はその経験を生かし、歌舞伎など古典芸能の解説や講演、また日本伝統文化の講義などで大学の教壇にも立ち、朗読教室や執筆活動も続けている。 日本演劇協会会員、NHK文化センター講師、中央大学 公開講座講師、日本体育大学、山梨英和大学、別府大学などで非常勤講師を務める。

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葛西聖司

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元フジテレビでフリーの笠井信輔アナウンサー(56)が悪性リンパ腫を患っていると、2019年12月17日に「デイリー新潮」が報じた。 フリーランスになったばかりの笠井アナを襲った突然の出来事に対して世間の注目が集まる中、18日なるとほかのメディアも一斉に報道を開始。 腰と肩に悪性リンパ腫があると報じたほか、19日には笠井アナが古巣の「とくダネ!」(フジテレビ系)に出演することもあり、報道が過熱している。 そんな中、一部の視聴者から、「旅番組に出演していた笠井アナが苦しそうだった」とするツイートが上がっている。 視聴者から指摘が上がっているのは、7日にテレビ東京で放送された「土曜スペシャル 鉄道沿線ひたすら歩き旅6 福島・磐越西線 郡山~会津」。 同番組は鉄道の沿線を敢えて徒歩で旅する旅番組で、番組中では出演者が全行程64. 6kmを3日間にわたって踏破。 笠井アナは1日目と2日目の行程に登場したが、その笠井アナに異変が起きていたというのだ。 「笠井さん遅れてる?」「そんなに早くないよね、ペース」 番組は2時間半番組だったが、視聴者が言う「異変」が始まったのは、放送開始から45分ほどたった、出演者の笠井さん、福澤朗アナウンサー(56)、土屋アンナさん(35)が鉄道沿線を外れ、山道を歩くシーン。 山道に入るまでは固まって歩いていた3人だったが、いざ山道に入ると、福澤アナと土屋さんが難なく歩を進めていくのに対し、笠井さんは遅れ気味に。 その後、ある程度の距離がついたことに気付いた福澤さんが「笠井さん遅れてる?」「そんなに早くないよね、ペース」と土屋さんに問いかけると、土屋さんが「フツー」と返すシーンが放送された。 カットが切り替わると、画面は遅れている笠井さんに貼り付いているカメラからの映像に転換。 息が上がり気味の笠井さんは、「やっぱ、フリーってのは過酷ですよ」と、局アナ時代には経験したことがないという「行軍」に驚きつつも懸命に歩を進めていたが、同シーンには「笑顔が完全に消える」とのテロップが表示されるなど、編集スタッフから見ても笠井さんの表情の悪化が見て取れたようだ。 また、山道のシーンが終わって道路沿いの歩道を歩くシーンでも笠井アナは引き離され気味だったほか、昼食として蕎麦屋で蕎麦を食べるシーンでは、両目の下に深いクマが確認できた。 左肩が痛いと訴える笠井アナ その後、番組では3人はJR川桁駅前を通過し、JR猪苗代駅を目指すシーンを放送したが、日は沈み、道は真っ暗。 JR猪苗代駅を目指す途中の路上で、笠井さんは「肩が痛くてさ、急に来ちゃって」と、右手で左肩を抑えつつ、痛みに顔を歪めた。 笠井さんはバッグを右肩にかけており、左肩にはそれほどの負担はないはずだが、それでも、その痛みはかなりのもののようだ。 そして、猪苗代駅に着く直前には、福澤アナらと笠井さんは互いに視認できなくなっており、絶望的な距離が開いてしまっていた。 先に駅にたどり着いた福澤アナと土屋さんは猪苗代駅に着くと、番組のノルマである記念撮影を笠井さん抜きで行った。 カットが切り替わると、画面は遅れている笠井さんに貼り付いているカメラからの映像に転換。 1km以上離されているとのテロップが表示される中、歩道橋の階段を上る笠井さんは、「ちょっとこれ、きついわ」と息も絶え絶え。 さらに、歩道橋を渡り終える直前には「イテテテ、肩が痛い」と漏らしつつ顔をゆがめた。 この後のシーンでも笠井アナが「イテテテ」と発する一幕があり、相当な痛みをこらえつつの移動であることが分かる。 その後、女子高校生と思しき制服姿の女性2人に福澤さんと土屋さんがこの日の宿についてのアドバイスを受けていると、25分遅れで笠井さんがJR猪苗代湖駅に到着。 安心しきったのか、到着するなり笠井さんはその場にへたり込んでしまった。 これらのシーンがあったためか、デイリー新潮の報道以降、ネット上ではツイッターを中心に、「笠井アナ が出演してた旅番組見てました。 歩き疲れて本当に具合悪そうだった」といった声が続々。 また、「肩が痛い肩が痛いって言ってたのも、病気のせいだったのかなぁ」と、笠井さんが肩が痛いと訴えていたことを指摘する声も上がっている。 (J-CASTニュース編集部 坂下朋永).

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笠井アナのがん(悪性リンパ腫)ステージは?今後の復帰予定や治る確率は?【フリーアナウンサー】

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元フジテレビアナウンサーの笠井信輔 かさい しんすけ さんがフリーアナウンサーへ転身されましたね。 笠井信輔アナウンサーは現在56歳で定年を目前にフリーアナウンサーへ転身ということで驚きました。 気になるのが家族のことですよね。 笠井信輔アナウンサーの嫁 妻 は現在は一般人ですが元テレビ東京アナウンサーの茅原 ちはら ますみさんという方なんです。 そして笠井信輔アナウンサーには3人の子供さんがいらっしゃいます。 そこで今回は、笠井信輔アナウンサーの家族について、3人の子供の名前、年齢や学年、どこの高校・大学に通っているのか、また嫁 妻 こと奥さんの茅原ますみさんの年齢、現在の職業、顔画像もリサーチしてみましたよ!• 笠井信輔アナウンサーの子供は何人?年齢は? 笠井信輔アナウンサーの家族構成は? 笠井信輔アナウンサーは1990年 当時27歳 の時に元テレビ東京アナウンサーの嫁 妻 の茅原ますみさんと結婚しました。 現在結婚29年目ということになりますね。 結婚後は子供が3人生まれています。 笠井アナウンサーは3児の父親なんですね。 ということで、笠井信輔アナウンサーの 家族構成は、妻 嫁 と子供 息子 3人の5人家族ということになります。 笠井信輔アナウンサーの3人の 子供の性別は、なんと 3人とも男の子!! 息子3人が幼い頃の子育ては大変だったでしょうね!! しかし、笠井信輔アナウンサーは以前に趣味は子供と遊ぶことと答えていたほどなので、やんちゃな男の子3人の育児も楽しんでいたようですね。 」から活躍している人気アナウンサーです。 忙しくてなかなか子供さんと関わる時間を作るのも大変だったと思いますが、夫不在の時間が多い分妻 嫁 の茅原ますみさんも育児で大変な時期を過ごされたでしょうね。 笠井信輔アナウンサーの子供の年齢は? 現在56歳の笠井信輔さんはフリーアナウンサーへ転身したばかりですが年齢からするとまだ学生の子供さんがいらっしゃる可能性が高そうですよね。 子供 息子 達は何歳なんでしょうか。 年齢や学年について調べてみました。 笠井信輔アナウンサーの長男は1994年1月生まれで現在25歳、次男は1998年2月生まれで現在21歳、三男は2003年5月で現在16歳というこになります。 現在25歳の長男は社会人ですね。 次男は来年2020年2月22歳となるので、浪人せずに大学に進学していれば大学4年生ということになりますね。 三男は現在高校1年生となります。 しかし、ノンフィクション漫画「鉄子の旅」の第21旅のゲストに笠井信輔アナは家族で出演しており、その時の3人の子供達のニックネームが 「ユウくん」「はるポン」「すずくん」だったんです。 妻 嫁 の茅原ますみさんも「ますみ」という名前で出演しているので、子供 息子 さん達についても実際の名前や呼び方の可能性が高そうですよね。 長男も鉄旅の時に寝なくなったので、眠たくないのかと聞いたところ「えーだって勿体無いよぅ」と…「鉄子の旅」五巻で出てきた笠井アナの息子さんの友達も同じような事を言われてましたね… — こうくま unlimitedasahi 笠井信輔アナの嫁 妻 の年齢・職業・顔画像は? 笠井信輔アナウンサーの嫁 妻 は元テレビ東京のアナウンサーとしても活動していたことのある茅原 ちはら ますみさんという方です。 1964年生まれで現在の年齢は55歳です。 笠井信輔アナウンサーの1歳年下になるんですね。 現在はテレビ東京の「総務 人事局 厚生部」に所属しているそうです。 現在はテレビに映ることはもちろんありませんが、講演会で話をすることがあるようです。 講演会のパンフレットに顔画像が載っていました。 笠井信輔アナウンサーと嫁 妻 ますみさんの出会いはアナウンサー学校だったそうです。 こちらが笠井信輔アナウンサーの奥さんの顔画像です。 妻 嫁 と息子3人の5人家族です。 また、講師として講演会でお話をする活動もしているようです。 一般人のため名前は公表されていませんがノンフィクション漫画「鉄子の旅」に家族で出演した時の3人の名前は「ユウくん」「はるポン」「すずくん」だったのでした。 妻 嫁 ますみさんも「ますみ」と本名で出演していたことから子供達の名前も実際の名前に近い可能性が高そうです。 一部ネット上には小中高大一貫の私立学校「立教」ではないかと噂されていますが確証はありません。 一番下の息子さんはまだ高校生ですが、上の息子さん2人は成人しているということで子育てももうすぐひと段落といったところのようですね。 奥さんはテレビ局の人事局に所属しながら講師としても活動されていて、さすが元アナウンサーさんなので話すことはもちろん伝えることにたけているんですね。 そんな奥さんだからこそ、今回の笠井アナのフリー転身にも理解があったのではないでしょうか。 情熱をもった笠井アナウンサーの今後の活躍が楽しみですね!! 最後まで読んで頂きありがとうございます。

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