熊の子見ていた核戦争。 今あえて「北朝鮮とアメリカの戦争」を画策しているのは何者なのか?=斎藤満

総務省|一般戦災死没者の追悼|熊谷市における戦災の状況(埼玉県)

熊の子見ていた核戦争

熊之巣 最終更新日:2012年02月25日 公開日:2000年2月1日 このサイトに収録している文章・写真の著作権はクマのものです。 無断転載などもってのほかであります。 サービス提供会社が掲示板運営を放棄してしまいましたので、閉鎖のやむなきにいたりました。 歓談の場です。。 現在閉鎖中。 印象的な言葉を収める倉庫。 初代門番 シロテナガザル (ハワイ動物園) 『原発のない世界のつくりかた』(短文を寄稿) 合同出版(2012. 01) 『私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点』(編著) 合同出版(09. 10) 中公新書ラクレ(06. 08) リトルモア(05. 08) 岩波ブックレット(05. 育児という妻との共同作業(といってもまだまだ何分の一も分担できていませんが)も慣れてはきたものの、まだまだ、何かと手のかかる忙しい(しかし幸せな)毎日を送っております。 この子らの未来のことを考えると、仕事も市民運動も、これまで以上に真剣にやらねばいけない、と思われる今日この頃でありますが、絶対的に不足する時間のなかで、当面は最低限の責任を果たしていくことに専念せざるをえません。 というわけで、当面のあいだ、いろいろと不義理をはたらくことがあると思いますが、なにとぞ上記事情をご理解のうえ、あたたかく見守ってくださいますよう、お願いいたします。 友達申請、歓迎です。 こちらのサイトも、ぽつぽつ更新していこうと思います。 自分の 感性ぐらい自分で守らなければいけない、のだけれど。 それが、昨年夏のバイクツーリングのとき、ふと立ち寄 った岩手の古本屋で買ったS・モームの『月と六ペンス』 とジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』で、何かが呼び 醒まされ、以来、また時間を見ては赤帯を読んでいます。 今年は、赤帯だけでなく、緑の帯、すなわち日本文学、 なかでも宮沢賢治や石川啄木を読んでいこうと思っています。 仕事と育児で多忙だったこと、そして2011年3月11日に発生した事態によって、言葉を発することにそれまで以上の重さを感じていたからです。 途中までの文章なのでそのまま消してしまってもよかったのですが、ちょうど原発のことも触れられていたので、書きかけのままアップします。 美しい海岸につくられた原子力発電所と、長いフェンスと監視カメラに囲まれた軍事基地を見るとき。 毎年、夏は北海道に行くのだけれど、2003年だけは沖縄に行った。 なんで北ではなく南だったのか覚えていないけれど、大阪から一泊二日をすごした船から降りて走り始めたとたんに、目に入る光景のひとつひとつに、米軍の存在が映し出される。 ・・・(20120225の追記・ここで基地や原発のなくなる日のことを書こうとしていたようだが、下の結論の文章に飛んでいる。 文中に出てくる4月25日は、沖縄の県民大会にあわせて、仲間たちと明治公園で集会を開催した。 ) 今日はエイプリルフールだけれど、その嘘のような夢を、自分たちの力で現実にしていきたい。 4月25日はその第一歩となる。 ならば撤去するしかないでしょう。 どうして「移設」などという明らかに無理のある愚かな選択肢だけに絞ってしまうのか。 腹の立つことが多い。 「はやく沖縄を納得させろ」といわんばかりのメディア報道の洪水、「アメリカとの同盟関係に亀裂が入る」といった論説に典型的に見られる奴隷根性の炸裂。 その裏返しとしての沖縄への差別意識。 「危険な基地なので撤去したいと思います」といって亀裂の入る同盟関係って、いったいどんな「同盟」なんだ。 政権交代があったのだから「現行案」に変更が起きることぐらい本来当たり前のことだろう。 いや、むしろ、それなくして「政権交代」といえるのか。 アメリカ軍の「殴りこみ部隊」=海兵隊の新しい「ヘリ基地」(だかどうだかわからないけれど)に、そこまでいてほしいと思う心理状態がどうしても理解できない。 普天間基地の米海兵隊は、イラクにも出かけている。 そもそも、侵略に加担する罪悪を思えば耐えがたい。 4月25日に沖縄で県民集会が開催される。 僕の周辺でも沖縄に行くという人がいる。 集会に参加するという。 それはもちろん貴い行動だと思う。 僕も行きたい気持ちがある。 実際これまで何度か、このサイトにも書いたし、ルポを雑誌に書いてきたけれど、沖縄の集会に参加したこともある。 だけど、いま、問題はむしろ東京にこそあるのではないか。 写真は沖縄・宮古のさんご礁の海。 辺野古の海も本当に美しい。 その海を破壊して外国の侵略部隊に自ら供与するという愚かさをなんと言えばいいのか、私の表現能力を超えている。 彼の年齢が気になるのは、彼のプラハでの演説原稿を読んでからだ。 …何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産です。 何世代にもわたり人々は、この世界が一瞬の閃光の下に消失してしまうこともあり得ると承知の上で生活していました。 …核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。 米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。 その活動を始めることはできます。 従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。 ブッシュ政権時代には、寝言としても考えられなかったメッセージだ。 心から歓迎したい。 冷戦時代よりは集団的狂気の度合いは減じたとはいえ、核戦争による人類絶滅という展開の物理的可能性は、今もそれぞれの軍事基地のなかでセッティングされたままだからだ。 ヒロシマで十数万人の命を瞬時にして奪った原爆は、TNT火薬に換算して15キロトンだという。 その後の開発競争のなかで、実際に実験されたものだけでも、15メガトン(アメリカの水爆「ブラボー」、ヒロシマの1000倍)、50メガトン(旧ソ連の水爆「ツァーリ」、ヒロシマの3300倍)などが製造されている。 狂気というしかない。 核軍拡を進めてきたアメリカ政府がその方針を変え、核廃絶を本気でめざすというならば、オバマ大統領へのノーベル平和賞授与も許容できよう。 だが、私はそんな「甘い考え」は持てない。 オバマ大統領は、前のメッセージにつづいて、こう言っているからだ。 私は甘い考えは持っていません。 この目標は、すぐに達成されるものではありません。 おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。 オバマ氏の寿命は、天寿をまっとうするなら、あと30年か40年はあるだろう。 そのあいだに核廃絶は達成されない、というなら、これはむしろ核廃絶をあきらめたメッセージではないか。 オバマ大統領は、自分の目で、核兵器という悪魔の存在しない世界を見たくないのか。 核戦争とそれにつづく人類絶滅という最悪のシナリオの廃絶された世界を、私は見たい。 少なくとも平和市長会議が求めているように、2020年までの核廃絶を 具体的な課題として追求すべきだろう。 オバマ政権の本気度が試される機会が今年はつづく。 発表が延期されてきている「核態勢の見直し」報告が3月にも公表される。 ブッシュ政権の時に見直された核態勢(2002年)は、ひどかった。 少なくとも7カ国に対する核兵器使用計画が盛り込まれていたのだ。 よもやこれより後退することはないだろうが、どこまで核兵器の役割限定や核兵器先制不使用といった課題に踏み込めるか。 この核態勢の見直しに連動する形で、ロシアとの戦略兵器削減条約(START)の継承条約の交渉が煮詰められていくだろう。 ここでは、かつてない規模での核軍縮が実現されるかもしれない。 すでに核戦争に準備しつづけていく体制は、双方にとって重荷になっている。 5月には核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。 前回のブッシュ政権時のNPT会議(2005年)はさんざんだったが、今回は気を取り直して、核軍縮・核廃絶に向けた世論の盛り上がりが、すでに出てきている。 ここでどのような成果が出てくるか。 さらに、NPT会議の結果を受けて、年内に、日本政府が主催する形で核軍縮のための国際会議を開催する、と岡田氏が表明している。 アメリカの核軍縮に向けた動きを、むしろ牽制してきた日本政府の方針の転換がなければ、どんな会議を開いても何の意味もない。 8月には、これもNPT会議を受ける形で、各国の政府代表やNGOなど約300人が集う「核廃絶広島会議」が開催される。 広島市は、各国政府の核軍縮代表を招くという。 今年、核廃絶に向けた必死の努力が続けられる。 アメリカや日本、オーストラリアなどでは政権交代によって、好戦的な野蛮人の政府が退場している。 未来の核軍事大国・中国やインドの台頭は、まだだ。 今しかない。 「 私の生きているうちには達成されない」などと言っている場合ではないだろう。 これは、私たちの世代で解決すべき問題なのだ。 被曝の痛みを人類が覚えているうちに、核廃絶は達成されなければならない。 その意味で、今年は決定的だ。 次世代に核兵器、もっといえば原子力利用も含めた核文明を残していくわけにはいかない。 写真は、去年秋の群馬ツーリングで出会ったコスモスたち。 ここに公開されている文章についてのご感想・ご意見・ご質問・ご批判・ご賛同・ご要望・ご提案・ご糾弾・ご脅迫などございましたら、電便を送ってください。 私信を無断で公開するようなことはしませんが、悪質なものについては公開して笑いものにする場合があります。 email. ご自由にリンクしてください。

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熊の子見ていた核戦争

熊之巣 最終更新日:2012年02月25日 公開日:2000年2月1日 このサイトに収録している文章・写真の著作権はクマのものです。 無断転載などもってのほかであります。 サービス提供会社が掲示板運営を放棄してしまいましたので、閉鎖のやむなきにいたりました。 歓談の場です。。 現在閉鎖中。 印象的な言葉を収める倉庫。 初代門番 シロテナガザル (ハワイ動物園) 『原発のない世界のつくりかた』(短文を寄稿) 合同出版(2012. 01) 『私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点』(編著) 合同出版(09. 10) 中公新書ラクレ(06. 08) リトルモア(05. 08) 岩波ブックレット(05. 育児という妻との共同作業(といってもまだまだ何分の一も分担できていませんが)も慣れてはきたものの、まだまだ、何かと手のかかる忙しい(しかし幸せな)毎日を送っております。 この子らの未来のことを考えると、仕事も市民運動も、これまで以上に真剣にやらねばいけない、と思われる今日この頃でありますが、絶対的に不足する時間のなかで、当面は最低限の責任を果たしていくことに専念せざるをえません。 というわけで、当面のあいだ、いろいろと不義理をはたらくことがあると思いますが、なにとぞ上記事情をご理解のうえ、あたたかく見守ってくださいますよう、お願いいたします。 友達申請、歓迎です。 こちらのサイトも、ぽつぽつ更新していこうと思います。 自分の 感性ぐらい自分で守らなければいけない、のだけれど。 それが、昨年夏のバイクツーリングのとき、ふと立ち寄 った岩手の古本屋で買ったS・モームの『月と六ペンス』 とジャック・ロンドンの『荒野の呼び声』で、何かが呼び 醒まされ、以来、また時間を見ては赤帯を読んでいます。 今年は、赤帯だけでなく、緑の帯、すなわち日本文学、 なかでも宮沢賢治や石川啄木を読んでいこうと思っています。 仕事と育児で多忙だったこと、そして2011年3月11日に発生した事態によって、言葉を発することにそれまで以上の重さを感じていたからです。 途中までの文章なのでそのまま消してしまってもよかったのですが、ちょうど原発のことも触れられていたので、書きかけのままアップします。 美しい海岸につくられた原子力発電所と、長いフェンスと監視カメラに囲まれた軍事基地を見るとき。 毎年、夏は北海道に行くのだけれど、2003年だけは沖縄に行った。 なんで北ではなく南だったのか覚えていないけれど、大阪から一泊二日をすごした船から降りて走り始めたとたんに、目に入る光景のひとつひとつに、米軍の存在が映し出される。 ・・・(20120225の追記・ここで基地や原発のなくなる日のことを書こうとしていたようだが、下の結論の文章に飛んでいる。 文中に出てくる4月25日は、沖縄の県民大会にあわせて、仲間たちと明治公園で集会を開催した。 ) 今日はエイプリルフールだけれど、その嘘のような夢を、自分たちの力で現実にしていきたい。 4月25日はその第一歩となる。 ならば撤去するしかないでしょう。 どうして「移設」などという明らかに無理のある愚かな選択肢だけに絞ってしまうのか。 腹の立つことが多い。 「はやく沖縄を納得させろ」といわんばかりのメディア報道の洪水、「アメリカとの同盟関係に亀裂が入る」といった論説に典型的に見られる奴隷根性の炸裂。 その裏返しとしての沖縄への差別意識。 「危険な基地なので撤去したいと思います」といって亀裂の入る同盟関係って、いったいどんな「同盟」なんだ。 政権交代があったのだから「現行案」に変更が起きることぐらい本来当たり前のことだろう。 いや、むしろ、それなくして「政権交代」といえるのか。 アメリカ軍の「殴りこみ部隊」=海兵隊の新しい「ヘリ基地」(だかどうだかわからないけれど)に、そこまでいてほしいと思う心理状態がどうしても理解できない。 普天間基地の米海兵隊は、イラクにも出かけている。 そもそも、侵略に加担する罪悪を思えば耐えがたい。 4月25日に沖縄で県民集会が開催される。 僕の周辺でも沖縄に行くという人がいる。 集会に参加するという。 それはもちろん貴い行動だと思う。 僕も行きたい気持ちがある。 実際これまで何度か、このサイトにも書いたし、ルポを雑誌に書いてきたけれど、沖縄の集会に参加したこともある。 だけど、いま、問題はむしろ東京にこそあるのではないか。 写真は沖縄・宮古のさんご礁の海。 辺野古の海も本当に美しい。 その海を破壊して外国の侵略部隊に自ら供与するという愚かさをなんと言えばいいのか、私の表現能力を超えている。 彼の年齢が気になるのは、彼のプラハでの演説原稿を読んでからだ。 …何千発もの核兵器の存在は、冷戦が残した最も危険な遺産です。 何世代にもわたり人々は、この世界が一瞬の閃光の下に消失してしまうこともあり得ると承知の上で生活していました。 …核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。 米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。 その活動を始めることはできます。 従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。 ブッシュ政権時代には、寝言としても考えられなかったメッセージだ。 心から歓迎したい。 冷戦時代よりは集団的狂気の度合いは減じたとはいえ、核戦争による人類絶滅という展開の物理的可能性は、今もそれぞれの軍事基地のなかでセッティングされたままだからだ。 ヒロシマで十数万人の命を瞬時にして奪った原爆は、TNT火薬に換算して15キロトンだという。 その後の開発競争のなかで、実際に実験されたものだけでも、15メガトン(アメリカの水爆「ブラボー」、ヒロシマの1000倍)、50メガトン(旧ソ連の水爆「ツァーリ」、ヒロシマの3300倍)などが製造されている。 狂気というしかない。 核軍拡を進めてきたアメリカ政府がその方針を変え、核廃絶を本気でめざすというならば、オバマ大統領へのノーベル平和賞授与も許容できよう。 だが、私はそんな「甘い考え」は持てない。 オバマ大統領は、前のメッセージにつづいて、こう言っているからだ。 私は甘い考えは持っていません。 この目標は、すぐに達成されるものではありません。 おそらく私の生きているうちには達成されないでしょう。 オバマ氏の寿命は、天寿をまっとうするなら、あと30年か40年はあるだろう。 そのあいだに核廃絶は達成されない、というなら、これはむしろ核廃絶をあきらめたメッセージではないか。 オバマ大統領は、自分の目で、核兵器という悪魔の存在しない世界を見たくないのか。 核戦争とそれにつづく人類絶滅という最悪のシナリオの廃絶された世界を、私は見たい。 少なくとも平和市長会議が求めているように、2020年までの核廃絶を 具体的な課題として追求すべきだろう。 オバマ政権の本気度が試される機会が今年はつづく。 発表が延期されてきている「核態勢の見直し」報告が3月にも公表される。 ブッシュ政権の時に見直された核態勢(2002年)は、ひどかった。 少なくとも7カ国に対する核兵器使用計画が盛り込まれていたのだ。 よもやこれより後退することはないだろうが、どこまで核兵器の役割限定や核兵器先制不使用といった課題に踏み込めるか。 この核態勢の見直しに連動する形で、ロシアとの戦略兵器削減条約(START)の継承条約の交渉が煮詰められていくだろう。 ここでは、かつてない規模での核軍縮が実現されるかもしれない。 すでに核戦争に準備しつづけていく体制は、双方にとって重荷になっている。 5月には核拡散防止条約(NPT)再検討会議が開かれる。 前回のブッシュ政権時のNPT会議(2005年)はさんざんだったが、今回は気を取り直して、核軍縮・核廃絶に向けた世論の盛り上がりが、すでに出てきている。 ここでどのような成果が出てくるか。 さらに、NPT会議の結果を受けて、年内に、日本政府が主催する形で核軍縮のための国際会議を開催する、と岡田氏が表明している。 アメリカの核軍縮に向けた動きを、むしろ牽制してきた日本政府の方針の転換がなければ、どんな会議を開いても何の意味もない。 8月には、これもNPT会議を受ける形で、各国の政府代表やNGOなど約300人が集う「核廃絶広島会議」が開催される。 広島市は、各国政府の核軍縮代表を招くという。 今年、核廃絶に向けた必死の努力が続けられる。 アメリカや日本、オーストラリアなどでは政権交代によって、好戦的な野蛮人の政府が退場している。 未来の核軍事大国・中国やインドの台頭は、まだだ。 今しかない。 「 私の生きているうちには達成されない」などと言っている場合ではないだろう。 これは、私たちの世代で解決すべき問題なのだ。 被曝の痛みを人類が覚えているうちに、核廃絶は達成されなければならない。 その意味で、今年は決定的だ。 次世代に核兵器、もっといえば原子力利用も含めた核文明を残していくわけにはいかない。 写真は、去年秋の群馬ツーリングで出会ったコスモスたち。 ここに公開されている文章についてのご感想・ご意見・ご質問・ご批判・ご賛同・ご要望・ご提案・ご糾弾・ご脅迫などございましたら、電便を送ってください。 私信を無断で公開するようなことはしませんが、悪質なものについては公開して笑いものにする場合があります。 email. ご自由にリンクしてください。

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アメリカは5度被曝しかけた

熊の子見ていた核戦争

冷戦時代、われわれアメリカ人は米ソが意図して核戦争を始める不安に絶えず怯えて暮らしていた。 が、実は第3次世界大戦より、核兵器で うっかり自国を吹っ飛ばす不安の方がはるかに強かった。 核事故には縁起でもない軍事用コードネームがいろいろついている。 例えば「Broken Arrow(折れた矢)」、「Faded Giant(消えた巨人)」、「NUCFLASH(核の閃光)」など。 このような事故は実言うとこれまで何十回も起こってるのだが、ここでは米国内で起こった5大事件に絞って紹介しようと思う。 旧ソビエトまで含めたら何時間あっても足りないからね。 ロシアは、核潜水艦が行方不明になるか、核爆弾積んだまま潜水艦が行方不明になるか、核潜水艦の原子炉がするか、以上3つ全部が一度に起こる、という事故が1週間置きぐらいのペースで起きていたからね。 Kompetentnyh? Nyet. 1950年8月には加州フェアフィールド・スーサン空軍基地(旧称)から爆撃機10機がグアムに向け飛び発った。 第2次世界大戦で日本に投下した原爆の大体2倍の破壊力を持つ核爆弾「Mark IV(Mark 4)」を各機搭載して。 離陸後すぐ、B-29のうち1機に エンジン故障が発生した。 機上にいたのはロバート・トラヴィス(Robert Travis)将軍だ。 着陸用ギアが引っ込められないことに気づいた将軍は、直ちに基地に引き返すよう機体にコマンドを出した。 機体高度が下がってゆくのに気づいたパイロットは、基地の住宅をなんとか回避しながら、基地北西端に突入。 この最初の衝撃で乗員20名のうち、将軍はじめ12名が死亡した。 機体は炎上し、Mark IVの装備の一部だった5000ポンド(2268kg)分の通常兵器が爆発、地上にいた7名が死亡した。 爆弾に核分裂カプセルを装備していたら、死者の数はたちどころに6桁に跳ね上がる危ないところだった。 空軍は事件をひた隠しにし、訓練機に搭載した通常爆弾の爆発、ということにした。 殉職した将軍の名に因み、同基地が名称を「トラヴィス空軍基地」に改めたのは、事故発生からわずか数ヶ月後のことだった。 「Broken Arrow」は、核戦争勃発の危険性のない核事故を指す。 増炉フェルミ1号、1966年 -- Faded Giant ジョン・フーラーの著書タイトル『We Almost Lost Detroit』とその恐ろしい表紙、この核の悪夢を歌うGil Scott-Heronのグルーヴィーなスロージャムの影響で一躍、「デトロイト全市焼失の危機」の夜として不滅の名を刻んだ事故。 フェルミ1号の事故は、作業ミス、ずさんな安全基準、単なる原子炉建設の経験不足が原因で起こった。 設計技師たちが冷却システムに変更を加える際、変更内容を記録に残さなかったため、原子炉で働くエンジニアたちも液化ナトリウムの密閉タンク内に分散プレートが余分に入ってるとは知らなかった。 炉心溶融が起こると、原子炉燃料が過熱し、冷却システムで対処できる温度を超えてしまう。 すると、それを取り巻くインフラ(密閉タンク、冷却システム、ひどい時には炉の床まで)も溶け出す。 事故が起こった1966年当時まだそんな言葉は生まれていなかったが、「原子炉が溶けに溶け、しまいには地面貫通して地球の裏側の中国まで溶けちゃうんじゃないの?」(技術的にはありえない)という発想から「チャイナ・シンドローム」という言葉も生まれた。 フェルミ1号は本当はデトロイトとトレドの間にあるのだが、本のタイトルが『We Almost Lost Toledo』ではデトロイトほどのインパクトは出せなかったと思う。 このように「Faded Giant」は、兵器以外の核事故を指す(こんな暗号だれが実生活で使うんだろう? 皆目見当つかないけど)。 タイビー島、1958年 -- Broken Arrow ジョージア州タイビー島沖。 ちょうどジョージア-サウスカロライナ州境界線のある辺りの、港町サバンナからそう遠くない海底の約10フィート(3m)の 沈泥の下に水素爆弾がひとつ埋まっている。 そこに落ちて、もうかれこれ50年以上になる。 1958年、が訓練飛行中、空中衝突事故に遭った。 機体には「Mark 15」という、爆薬400ポンド(181kg)と高濃縮ウランを実装した全長12フィート(3. 7m)の軽量な水素爆弾が積んである。 事故機のクルーは、これから不時着するって瀬戸際にこんな物騒なもの運んでたんじゃ堪らんと判断、海に捨てていいか聞いて投棄許可を取り付けた。 爆弾は海面に触れても爆発することもなく海に飲まれて消え、それっきりその姿を人目に晒すことはなかった。 爆弾が完全に戦闘状態にあったかどうかをめぐっては若干意見の食い違いもある。 一部の報道ではそうだったように書かれているが、空軍の正式な書類にはダミーのカプセルを搭載していたと記されているのだ。 爆弾捜索の試みも何度か行われたが、周辺地質からの自然放射のため捜索は困難を極めた。 もし仮に戦闘状態で爆発していたとしたら、サバンナの街は今ごろ間違いなく消し飛んでいたはずだ。 アイダホ・フォールズ、1961年 -- Faded Giant 「スリーマイル島(TMI)事故の話は?」と思う方もいるだろう。 確かにあれもひどい事故だった。 住民のいる地域に放射性ガスも漏れたし。 でも、 アメリカ核事故史上最も脳裏に焼きついて離れない恐怖体験をひとつ選べと言われたら、 アイダホ・フォールズ以外考えられない。 それにこの事件のことは比較的知られていない。 事故にあった「SL-1」はアイダホ州アイダホ・フォールズにほど近い、海軍の訓練用原子炉である。 1961年1月3日夜、高熱を知らせるアラームが鳴り、そばにいた緊急要員が現場に急行した。 が、放射レベルがあまりにも高く制御ルームに近寄るのもままならない。 こうして1時間半も足止めになった後、ようやく入った時には係員2名が被曝した後だった。 うち1名は瀕死の状態だったが間もなく死亡。 原子炉の建物から外に運び出した後も遺体そのものの持つ放射能があまりにも高く、結局ふたりの遺体は鉛とコンクリートの墓に埋めるほかなかった。 話にはまだ続きがある。 事故から数日後、救助隊が第3の運転技師の遺体を発見したのだ。 その男性は原子炉の上に立ってる時に事故が起こったらしく、爆発の力で制御棒(control rod:CR)が跳ね上がって胸部を貫通、天井に磔になっていた。 事故原因の鍵は、核反応レートを制御するクルーの能力にある。 持続可能な核反応を維持するには、核分裂のたびに中性子を必要充分な数だけ生成し、さらに多くの原子にぶつけ、そこでまた核分裂を起こす状態にキープしないといけない。 この制御は、中性子が核分裂を起こす確率を操作することで行う。 どう操作するのか?... だが、これは主に中性子を無害に吸収する素材の棒をコントロールすることで行う。 つまり原子炉に制御棒を入れれば入れるほど反応は減速するというわけ。 折悪しくSL-1では整備点検中で、主制御棒を数インチだけ引き抜くはずだったが、間違ってほとんど引き抜いてしまった。 この原子炉は大型の制御棒を1本だけ使う設計なので、たったひとつの操作ミス(制御棒をほとんど全部引き抜くこと)でも核反応は瞬時に臨界を超え、核分裂が次々起こって指数関数的に増える状態に陥ってしまう。 それが起こってしまった。 エネルギー出力がすさまじい勢いで増大し、冷却水が蒸発し、原子炉本体もところどころ蒸発し、大爆発が発生。 爆発そのものの影響で核反応は停止となった。 僕はずっとあの(デトロイトの核の悪夢を歌った)Gil Scott-Heronが『We Almost Lost Idaho Falls(アイダホフォールズ全市焼失の危機)』って本書かないかなと思って期待してるのだけど...。 NORAD、1979年 -- NUCFLASH未遂 ソビエトが本当に核攻撃してきたら迎撃に使うシステム。 そんなものでソビエト核攻撃のコンピュータミュレーションなんかするもんじゃないと、NORAD(北米航空宇宙防衛司令部)が思い知った事件。 ミサイル防衛の要を担うNORADの元に、ロシア核爆弾の本格的な砲列が米国に向かっている緊急事態を示すサインが入ってきた。 これを受けNORADは直ちに完全戦闘状態の核兵器を積んだ飛行機複数をスクランブル発進させ、防弾装備の大統領緊急特別機も空に飛ばした(大統領の搭乗は間に合わなかったが)。 指という指がボタンを叩く。 飛行クルーの司令官たちは攻撃開始の合図を待った。 こうして緊迫の6分が経過。 その間、誰も第3次世界大戦が本当に起こったかどうか確かなところは知らなかった... しかも妙なことに誰ひとりとして米露大統領直通電話(ホットライン)の「赤い電話」でソビエトに真意を尋ねようとする者もいなかった。 結局、高度早期警戒レーダー&サテライトから「ミサイル検出ゼロ」との報せが入って誤解は氷解。 訓練用テープが何かの手違いで流れ、警戒シグナル誤発動を誘導したことがわかった。 軍の専門用語で「NUCFLASH」は核戦争勃発の原因になる核爆発を指す。 おまけ:ダルースの熊 空軍基地の金網によじ登る熊を見て、ある警備員が警報を鳴らした。 近在の各基地に中継の際、伝達ミスで「intruder alert! (侵入者に警戒!)」を「Nuke Russia Now! (ロシアへ直ちに核攻撃せよ!)」と伝えてしまった。 訂正した頃にはもう、核爆弾を装備したジェット機が何台も滑走路に出ていつでも出動できる体制になっていた。 --- こんなの怖くもなんともないと思うかもしれないが、ここで紹介したような事故は 米国側だけでも他に何十件とある。 あのキューバミサイル危機のことだってここでは触れていない。 悲しい教訓だが、剥き出しの攻撃より恐ろしいのは、 能力不足と操作ミスなのである。 ソース: Farmer, James H. "Korea and the A-Bomb. " Flight Journal, Dec. 2010. "The SL-1 Reactor Accident. "Nuclear Accidents. "Criticality Accidents. 関連: UPDATE:表記を一部訂正しました。 Great thanks to 氏。 Ed Grabianowski(/satomi)• Tags :•

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