マザー テレサ の 言葉。 マザー・テレサの名言・格言30選|心に響く言葉

マザー・テレサの言葉|みちたび

マザー テレサ の 言葉

関連ページ• マザー・テレサさんの名言・格言・英語 一覧リスト マザー・テレサさんについて 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。 カトリック教会の福者。 コルカタ(カルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。 生前からその活動は高く評価され、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インドで国民に与えられる最高の賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けた。 1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれている(アメリカ名誉市民はわずか7人しかいない)。 2003年10月19日、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福された。 B Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words; Be careful of your words, for your words become your deeds; Be careful of your deeds, for your deeds become your habits; Be careful of your habits; for your habits become your character; Be careful of your character, for your character becomes your destiny. 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。 Life is an opportunity, benefit from it. Life is beauty, admire it. Life is a dream, realize it. Life is a challenge, meet it. Life is a duty, complete it. Life is a game, play it. Life is a promise, fulfill it. Life is sorrow, overcome it. Life is a song, sing it. Life is a struggle, accept it. Life is a tragedy, confront it. Life is an adventure, dare it. Life is luck, make it. Life is too precious, do not destroy it. Life is life, fight for it. 人生とは機会です。 そこから恩恵を受けてください。 人生とは夢です。 それを実現してください。 人生とは挑戦です。 それをかなえてください。 人生とは義務です。 それを完成しとげください。 人生とはゲームです。 それを楽しんでください。 人生とは約束です。 それを果たしてください。 人生とは悲しみです。 それを乗り越えてください。 人生とは歌です。 それを歌ってください。 人生とは苦労です。 それを受け入れてください。 人生とは悲劇です。 それを慰めてください。 人生とは冒険です。 それを思い切ってやってください。 人生とは運です。 それを作っていってください。 人生とはあまりにも貴重なものです。 それを壊さないでください。 人生とは生きることです。 戦いぬいてください。 People are often unreasonable and self-centered. Forgive them anyway. If you are kind, people may accuse you of ulterior motives. Be kind anyway. If you are honest, people may cheat you. Be honest anyway. If you find happiness, people may be jealous. Be happy anyway. The good you do today may be forgotten tomorrow. Do good anyway. Give the world the best you have and it may never be enough. Give your best anyway. For you see, in the end, it is between you and God. It was never between you and them anyway. 人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが親切であれば、人々はよからぬ思いを秘めてあなたを非難するかもしれません。 気にすることなく、親切であり続けなさい。 あなたが正直で誠実であれば、あなたを騙そうとする人が現れるでしょう。 気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。 あなたが幸せを見つけたら、人々が嫉妬するかもしれません。 気にすることなく、幸せでいなさい。 あなたが善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなく、善を行い続けなさい。 あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。 全く足りないかもしれません。 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。 なぜなら、結局のところそれはあなたと神様の間だけのことなんです。 気にすることなく、あなたと周りの人の間とは全く無関係なのです。 T 貧困と飢えのうちに生きて死ぬ世界中の仲間のために、主よ、仕えることのできる人にならせてください。 私たちの手を通して、今日この人々に日々のパンを与えてください。 私たちの理解を通して愛を、平和と喜びを与えてください。 主よ、あなたの平和を人々にもたらす道具として私をお使いください。 憎しみのあるところには愛を。 不当な扱いのあるところには許しを。 分裂のあるところには一致を。 疑惑のあるところには信仰を。 疑っているところには真理を。 絶望のあるところには希望を。 暗闇には光を。 悲しみのあるところには喜びをもっていくことができますように。 慰められることを求めるよりは慰めることを。 理解されるよりは理解することを。 愛されることよりは愛することを求める心をお与えください。 わたしたちは自分を忘れ去ることによって自分を見出し許すことによって許され、死ぬことによって永遠の命をいただくのですから。

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名言・格言『マザー・テレサさんの気になる言葉+英語』一覧リスト

マザー テレサ の 言葉

マザー・テレサ マザー・テレサに対する批判(マザー・テレサにたいするひはん)では、のであり であったに対する批判を扱う。 マザー・テレサは45年以上の長きにわたり、貧しい人、病める人、孤児、末期の人たちのために尽くしてきただけでなく、から世界中に広がった彼女の信徒たちを導いてきた。 にはを受賞し、に亡くなると、がテレサをし、2016年9月にによってされてとなり、彼女の命日である9月5日はとなった。 世界中の人々から讃えられ、各国の政府や組織から称賛を受けたマザー・テレサだが、彼女に対しては生前から批判や告発、抗議の声も少なくなかった。 その矛先は例えば彼女の修道会の資金管理であり、末期の人へのの奨励や医療ケアのクオリティ、そしてやのアイコンとなっていることであった。 メディアにおける批判 [ ] インド生まれでイギリスに移住した医師で作家のアロー・チャタジー は、マザー・テレサの施設で短い間働いていたことがあり、その後テレサの修道会について資金管理を含めた運営の実態の調査に取り組んでいる。 1994年にはイギリスのとタリク・アリー という2人のジャーナリストが、チャタジーの仕事をベースにして、イギリスのテレビ局でドキュメンタリー番組『地獄の天使』 を製作した。 翌年、ヒッチェンズは『』 The Missionary Position を出版し、番組で放映された数々の告発をあらためて活字化した。 チャタジーも2003年に『最終評決』 The Final Verdict を出版し、ヒッチェンズの本よりは落ち着いた筆致ではあったものの、やはりテレサの事業について同じような批判を行った。 インドの首相だったは1975年に非常事態令を発動し、言論の自由を制限して野党や反対派を弾圧したが、その後マザー・テレサは「国民はさらに幸せになった。 仕事は増え、ストライキはない」と発言している。 こうした是認的なコメントはテレサとの友好関係の現れだと受け取られた。 これにはインド国外のカトリック系メディアからも批判があった。 末期の人への洗礼 [ ] マザー・テレサは自らが率いる修道会において、末期の病人がどんな信仰を抱いていようと、かまわずひそかに洗礼を行うことを奨励していた。 にいたスーザン・シールズは次のように書いている。 「修道女たちは、死の危険が迫る人たちに『天国への切符』を望んでいるか、とたずねなければならなかった。 肯定的な返事があったら、それは洗礼に同意したとみなされた。 修道女たちは患者の額を濡れた布で冷やすようにみせかけながら、必要な言葉を静かに唱えながら洗礼を施すのである。 なぜ秘密裏に行うことが大事かといえば、マザー・テレサの修道女たちがやに洗礼を施していることを明るみにだすわけにはいかないからである」。 ジャーナリストのマレー・ケンプトンを筆頭として、こうした行為には批判が相次いだ。 洗礼を施すのに、患者には意志決定ができるだけの十分な情報(自身が洗礼を本当に望んでいるのか、キリスト教における洗礼の神学的な意義とは何か)が与えられていないからである。 一方で作家のシモン・レイスは、ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスへの投書でテレサを擁護している。 「洗礼の仕草が持つ超自然的な効能を信じている人々は、それを心から望んでいるはずだ。 そして信じていない人にとっては、善意による他愛もない仕草に過ぎない。 頭の上のハエを手で払ってもらうのと同じことである。 黒い交際 [ ] 1981年、テレサはを訪れ、独裁的な政治家からを受けとっている。 『宣教師の立場』において、ヒッチェンズはの政権をテレサが支持していたとして、デュヴァリエとの交際と同じく批判している。 テレサは1989年8月にアルバニアを訪れており、そこでホッジャの未亡人であるネジミエをはじめ当時のアルバニア首脳や政府要人から歓迎を受けた。 その後テレサはホッジャの墓に花束をそなえ、に花冠を飾っている。 テレサはイギリスのメディア王として知られたからも資金提供を受けている [ ](彼は後に暴かれたように、従業員の年金基金から4億5000万ポンドを着服していたことで知られる)。 が事業で失敗した後に詐欺事件で起訴されたとき、キーティングの人柄を擁護する陳述書がテレサの名で作成されたことにも批判が集まった。 キーティングはマザー・テレサに数百万ドルの寄付を行っており、彼女がアメリカを訪れる際には自分のプライベートジェット機を貸し出すことまでしていた。 テレサはがにノミネートされたときに支持を行った [ ]。 ジェッリは、ンのロッジ(支部)であるの創設者であり、イタリアにおける複数の殺人や汚職事件との関与が指摘されるだけでなく、ネオファシスト的なイタリア社会運動やアルゼンチンの軍事政権との強い結びつきで知られている。 慈善活動 [ ] チャタジーによれば、マザー・テレサの「貧困の救済者」というパブリック・イメージには語弊があり、実際には彼女が運営した最大級の施設でもわずか数百人程度に施しをおこなっていたに過ぎない。 1998年にカルカッタでの活動が報告されている慈善支援団体は200を数えるが、テレサの宣教者会はその中でも大規模な慈善団体とはいえない。 例えばアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの慈善活動では、一日に1万8000食を振る舞い無数の困窮者を支援することで有名である。 チャタジーは、修道会の主たる活動は慈善事業ではなく、むしろ資金が投じられていたのは伝道活動だと主張している。 例えば、パプアニューギニアに8箇所あった神の愛の宣教師会のうち、地元住民を受け入れている施設は一つもなかった。 これらの施設は地元住民をカトリックに改宗させるためだけに運営されていたのである。 マザー・テレサは伝道を行った国のヒンドゥー教徒から、貧者を「秘密裏に」カトリックに改宗しようとしていると非難されることもある。 クリストファー・ヒッチェンズは、テレサの組織が苦しみを美徳とし、貧窮にあえぐ人々を助けようとしないカルト団体だと断じている。 彼によれば、マザー・テレサが貧困について述べた言葉そのものが、彼女の意図するのは人民の救済ではないことを証明している。 1981年の記者会見で「貧しい人には自らの分け前で我慢することを教えるのですね?」と問われたテレサはこう答えているのである。 「貧しい人が自らの分け前を受け入れることはとても美しいことだと思います。 キリストのご受難と共にあるということですから。 医療ケアのクオリティ [ ] 1991年にカルカッタにあるテレサの施設「」を訪れた、イギリスの医療雑誌の編集委員であるロビン・フォックスは、そこで患者に行われていた医療ケアを「でたらめ」 haphazard と表現している。 修道女とボランティアたちにはまったく医学的知識がない者もいたが、ホスピスであるこの施設には医者がいないため、彼女たちが患者のケアについて決定権を持っていたのである。 フォックスはこの施設の環境に関してマザー・テレサの責任を重くみるとともに、テレサの修道会が治療の可能な患者と不可能な患者の区別をつけていないことに注目している。 つまり、助かる可能性のあるひとでも、感染や処置不足により死の危険に晒されてしまうとことである。 フォックスもこの「死を待つ人の家」で修道女たちは清潔さを保ち、患者の傷や痛みによくつきあい、親切心にあふれていることは認めるのだが、彼女たちが患者の苦痛に対処する手段は「憂慮すべきほど不十分」だと述べている。 この施設の処方集には強力ながなく、フォックスはこれこそがマザー・テレサの取り組みと、一般的な運動をはっきりと区別するものだと考えた。 フォックスの観察では、注射針はお湯ですすぎ洗いされるのみで殺菌が十分ではなく、を患った患者も施設内で隔離されていなかった。 修道会の施設における、このような不注意な医療ケアを報告する文書は枚挙にいとまがない。 かつてテレサの教団で働いていたボランティアの一部からも同様の意見が提出されている。 マザー・テレサ自身がこうした施設を「死を待つ人の家」と表現している通りである [ ]。 2013年、マザー・テレサに関する文献の96パーセントをカバーし包括的な検討を行ったモントリオール大学の研究者グループの研究は、かねてからあったマザー・テレサに関する批判を補強している。 いわく「苦しみを癒やすかわりに讃美することをもって病人のケアとしている。 …彼女の政治家との疑わしい交際、受けとった巨額の資金の管理への疑問、とくに中絶、避妊、離婚に対するあまりに教条的な見方」。 その活動を担ったのが、カトリックに改宗した中絶反対派のジャーナリスト、であった。 植民地主義とレイシズム [ ] 歴史学者の『人種化された空間における白人女性』 White Women in Racialized Spaces のあるエッセイでは、マザー・テレサについて次のような言及がされている。 マザー・テレサは、浅黒い皮膚をした人々を彼ら自身の惑溺と怠惰から救うために尽力するという、植民地における白人女性の最も純粋な典型といえます。 … 欧米諸国に支配されている国際メディアは、白人だけがどういうわけか社会に変化をもたらす能力に恵まれているという植民地時代の考え方のままです。 非白人が社会変革に取り組んでいても、メディアは白人の支援者や指導者を見つけようとします。 言うなれば、非白人の俳優に舞台の袖から指示を飛ばしている白人を探そうとします。 メディアは言外にこんなメッセージを伝えているように思うのです。 非白人は自分の意思において能力を最大に発揮してはならず、植民地の行政官なり、IBMやIMFのテクノクラートなりからの命令を待たなければいけない、といった風な。 貧しい人々を救済する活動が報道されるときにも、黒い肌の人間はまたもや不可視の存在として扱われます。 なぜならメディアは、マザー・テレサのような使い古して陳腐になった存在だけを称揚したがり、自分たちを解放するために戦う人々には気づかないふりをするのです。 したがって、マザー・テレサのような人物の生涯を、公にして厳しい視線にさらすのはいつの時代も困難です。 ] マザー・テレサの仕事は富裕層の罪悪感を和らげるためにある世界的企業の一部門であり、貧困をつくりだし維持する陣営へ本当に挑戦するものではないのです。 死後の批判 [ ] マザー・テレサは1997年に亡くなった。 彼女は生前に書いた文章や手紙をすべて破棄してほしいと望んでいたにもかかわらず、コレクションは死後に書籍として出版された [ ]。 公開されたテレサの文章からは、晩年の彼女が孤独感と戦っていたことが明らかに読み取れる。 それは修練者であった若き日のテレサが抱いていた強い思いとは対照的なものであった。 手紙のなかで、彼女は何十年にもわたって神から切り離されている感覚を持っていたこと、神の愛の宣教師会を創始するために励むことができた若い頃の情熱を失っていることを訴えている。 その結果、一部には彼女が「信仰をやめた」と評価したり、死後においてなおその偽善を批判する者も現れた。 批判への反論 [ ]• Poplin, Mary 2011. InterVarsity Press. 112. 2014年3月9日閲覧. ""Remember, Brother, I am a missionary and so are you. 2002. Mother Teresa: The Final Verdict. Meteor Books. Christopher Hitchens 24 April 2012. 51—. www. nybooks. com. The New York Review of Books. 2015年12月18日閲覧。 The New York Review of Books. 2015年12月18日閲覧。 London: Verso. 2014年8月22日閲覧。 telegraph. 2016年9月30日閲覧。 corriere. 2016年9月30日閲覧。 German PDF. 214. の2016年9月9日時点におけるアーカイブ。 2016年9月15日閲覧. " -• Fox, Robin 1994. The Lancet 344 8925 : 807—808. U de M Nouvelles 2013年3月1日. 2016年4月1日時点のよりアーカイブ。 2016年10月1日閲覧。 Najmi, Samina; Srikanth, Rajini, eds 2012. White Women in Racialized Spaces: Imaginative Transformation and Ethical Action in Literature illustrated ed. State University of New York Press. 67—68. 2015年3月8日閲覧。 Kolodiejchuk, Brian, ed. Van Biema, David 2007年8月23日. Time. Beliefnet. 2016年10月1日閲覧。 Mannion, Francis 2014年9月18日. Catholic News Agency. CNN. 2009年6月1日. の2015年12月22日時点におけるアーカイブ。 2015年12月18日閲覧。 Doino, William Jr 2013年4月1日. First Things. 2015年12月22日閲覧。 参考文献 [ ] は列挙するだけでなく、などを用いてしてください。 記事のにご協力をお願いいたします。 ( 2019年6月)• Prashad, Vijay. Australian Marxist Review 40 1998 ; previously published in Political Affairs. Warner, Sally. Mother Teresa: The Genius of Calcutta. New Delhi: Pranoti, 2003. 外部リンク [ ]• Akande, Zainab. Mic. com. 2013. Dicker, Ron. Huffington Post. 4 March 2013. Hitchens, Christopher. Slate. Octtober 2013. Daily Mail. 4 March 2014.

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マザー・テレサの「心の闇」の問題/NL50号

マザー テレサ の 言葉

マザー・テレサは、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。 「マザー」は指導的な修道女への敬称、「テレサ」は修道名。 カトリック教会の福者。 コルカタで始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。 計109の言葉。 はじめから一つひとつチェックしてもいいし、目次の気になるカテゴリーからチェックしてもいいと思います。 ブックマーク必須の内容です。 マザー・テレサ マザー・テレサはカトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者である。 「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名である。 カトリック教会の福者。 コルカタで始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。 この人のなかで、いちばん素晴らしいものはなんだろう? そこから始めようとしております。 そうしますと、 かならず美しいところが見つかって、私はその人を愛することができるようになります。 もし誰かがあなたを非難しても、がっかりすることはありません。 もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家が相互に愛し合うことから始めていきましょう。 どうぞその人たちを見捨てないでください。 お金がすべてではありません。 貧しい人々は、私たちが身を持って示す愛。 ところが愛されないが故の寂しさだけは薬では癒されません。 貧しい人々が最も求めているのは、憐れみではなく愛なのです。 彼らは自分たちの人間としての尊厳に敬意を払ってほしいのです。 ドアのベルが鳴りました。 私がドアを開けると、一人の男の人が寒さに震えて立っていました。 『マザー・テレサ、あなたが大きな賞(ノーベル平和賞)を受賞なさったと聞いたとき、私もわずかですが何か差し上げたいと思い立ちました。 これが今日私がもらったすべてです。 何卒、お受け取り下さい』それは確かにわずかでした。 でも、彼の持ち物すべてだったのです。 そこから恩恵を受けてください。 人生とは 夢です。 それを実現してください。 人生とは 挑戦です。 それをかなえてください。 人生とは 義務です。 それを完成しとげください。 人生とは ゲームです。 それを楽しんでください。 人生とは 約束です。 それを果たしてください。 人生とは 悲しみです。 それを乗り越えてください。 人生とは 歌です。 それを歌ってください。 人生とは 苦労です。 それを受け入れてください。 人生とは 悲劇です。 それを慰めてください。 人生とは 冒険です。 それを思い切ってやってください。 人生とは 運です。 それを作っていってください。 人生とはあまりにも 貴重なものです。 それを壊さないでください。 人生とは 生きることです。 破れたときはできるだけ上手に繕います。 街や修道院のまわりを破れたサリーをそのまま着て歩き回ることは、清貧の徳の証にはなりません。 私たちは自分たちの体が、精霊の神殿だということを忘れてはいけないのです。 それで十分です。 その瞬間、瞬間が私たちの求めているものすべてであって、ほかには何もいらないのです。 それは、お互い同士、心を許していない貧しさ、精神的貧困、淋しさ、愛の欠如から来る貧しさといっていいでしょう。 それらは真の幸せな状態とはことなります。 それでも許しなさい。 人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。 それでも人にやさしくしなさい。 成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。 それでも成功しなさい。 正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。 それでも正直に誠実でいなさい。 歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。 それでも作り続けなさい。 心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。 それでも幸福でいなさい。 今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。 それでも善を行いを続けなさい。 持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。 残り物ではいけません。 笑いたくなくても笑うのよ。 確かに正しくないと思うことをしている人たちがいます。 でも、なぜそうしているかという理由はわかりません。 イエスは、人を裁くなと言われました。 もしかしたら、他人の誤った行いの責任は、私たちにあるのかもしれないのです。 皆、私たちの兄弟姉妹であることを忘れないでいましょう。 大切なことは、 いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。 ですから、 笑って、元気を出して、喜びなさい。 そして、人の心に平和をもたらします。 たくさんのものが必要なわけではありません。 私は答えました『私も同じです。 お金のためだったら、200万ドルやると言われても、いまの仕事はしません。 そんなことはありません。 祈るために仕事を中断する必要はありません。 仕事を祈りであるかのように続ければよいのです。 大切なのは、神とともにあり、神とともに生き、神の御心を自分のものとして行うことなのです。

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