南極点 あつ森。 陸海軍と脚気8|高木兼寛と森鴎外|陸海軍兵食論争

陸海軍と脚気8|高木兼寛と森鴎外|陸海軍兵食論争

南極点 あつ森

Image: 渡辺佑基(国立極地研究所) 海氷がなくてもペンギンは育つ。 南極の海氷はここ数年で解けまくっています。 喜ばしい状況じゃないのだけど、南極で暮らしている一部のペンギンは、その状況を楽しんじゃってるみたいなんです。 新しい研究結果によると、海氷が激減している間にアデリーペンギンの群れが繁栄していたことがわかりました。 でも、ぬか喜びはしないほうがいいようです。 海氷の激減がすべてのペンギンに同じ影響を与えるわけじゃないみたいなので。 海氷が減るとペンギンが繁殖する? Science Advances誌に発表されたこの研究では、東南極のリュツォー=ホルム湾沿いにおける2016年から2017年の繁殖期に注目したそうです。 この地域では、同期間にとんでもない勢いで海氷が減少し、2017年には南極の海氷面積が過去最小を記録しています。 でも、そんなことなどどこ吹く風とでも言わんばかりに、2010年から2013年までの他の3つの期間よりも、2016年から2017年にかけてペンギンの体格、ヒナの成長率、繁殖の成功率が増加しちゃったらしいんです。 なにがあった? 東京にある国立極地研究所の渡辺佑基准教授は声明でこう述べています。 これらのペンギンは、海氷が少ない方が幸せなようだとわかりました。 ピンとこないかもしれませんが、根底にあるメカニズムは実はとても単純なのです。 海氷が減ると歩かずに泳いでエサをとる省エネスタイルに Image: 国立極地研究所 (A)海氷の張ったシーズン(2010年12月〜2011年1月 と(B)海氷の流出したシーズン 2016年12月〜2017年1月 のペンギンのGPS追跡。 黄色の丸印は巣の位置を示す。 175羽の群れは、海氷が少なくなったことで、歩いてではなく泳いでエサを探すのが可能になり、簡単にエサにありつけるようになりました(上図参照)。 なんてったって、ペンギンは歩くよりも泳ぐ方が速いですからね。 その結果、ペンギンはより少ないエネルギーでより多くの時間をエサ取りに費やすことができたそうなんです。 氷が増えた年には、オキアミや魚を捕まえるために、遠くまで氷の割れ目探しの旅に出ないといけなくなりました。 氷がなければ、巣の目の前にある海にダイブすればいいだけなんだとか。 海氷がある場合よりも3マイル(4. 8km)も長い距離を移動しなきゃいけなかったのに、時間は3. 2時間から7. 9時間も節約できたそうです。 こういった状況が、ペンギンの健康に測定可能な違いをもたらしたようなんです。 これまでの研究では、海氷の減少がペンギンに与える影響はケースバイケースでしたが、ペンギンの行動の違いの原因になっているメカニズムを解明するために、GPS、カメラ、加速度計などを用いた研究は行なわれてこなかったそうです。 この研究には参加していない、アデリーペンギンの動態を研究してきた極地海洋研究グループの社長兼主任研究員であるビル・フレイザー氏は、Eartherにメールでこう書き綴っています。 この論文のオマケは、技術の進歩(GPSタグや潜水深度レコーダーなど)によって、アデリーペンギンの生態のどんな部分が、より最適な海氷条件の影響を受けるかが示されていることですね。 これこそが、この論文の最もユニークで目新しい点です。 言い換えると、アデリーペンギンが海氷にどんな風にに反応するかが、テクノロジーによってデータ化されたということです。 でも温暖化で海氷が減り続けるのはやっぱりマズい Image: 渡辺佑基(国立極地研究所) 国立極地研究所の科学者チームは、このような技術を用いて、ペンギンの採餌行動を泳ぎと歩きに区分して追跡し、潜水中にペンギンがどれだけの獲物を捕まえたのかを推定することができました。 しかしこの論文では、温暖で氷の少ない西南極の南極半島でアデリーペンギンの個体数が減少していることと整合性がとれていない理由が説明されていません。 著者らは、捕獲できる獲物の数とエネルギー消費が関係しているのではないかと仮説を立てているようです。 フレイザー氏は、この研究結果を決して良いニュースとは考えていないそうです。 実際のところこの論文は、アデリーペンギンのような野生生物が気候の変化にどれほど敏感であるかを示していくれていますよね。 フレイザー氏はEartherにこう述べています。 地球温暖化が続く限り、アデリーペンギンに安全な場所はありません。 【移動に関する感染対策】 ・感染が流行している地域からの移動、感染が流行している地域への移動は控える ・帰省や旅行はひかえめに 出張はやむを得ない場合に ・発症したときのため誰とどこで会ったかをメモにする ・地域の感染状況に注意する• 3 日常生活の各場面別の生活様式 【買い物】 ・通販も利用 ・1人または少人数ですいた時間に ・電子決済の利用 ・計画を立てて素早く済ます ・サンプルなど展示品への接触は控えめに ・レジに並ぶときは前後にスペース• 【公共交通機関の利用】 ・会話は控えめに ・混んでいる時間帯は避けて ・徒歩や自転車利用も併用する• 【食事】 ・持ち帰りや出前 デリバリーも ・屋外空間で気持ちよく ・大皿は避けて料理は個々に ・対面ではなく横並びで座ろう ・料理に集中 おしゃべりは控えめに ・お酌 グラスやお猪口の回し飲みは避けて• 【娯楽 スポーツ等】 ・公園はすいた時間や場所を選ぶ ・筋トレやヨガは自宅で動画を活用 ・ジョギングは少人数で ・すれ違うときは距離をとるマナー ・予約制を利用してゆったりと ・狭い部屋での長居は無用 ・歌や応援は十分な距離かオンライン• 【冠婚葬祭などの親族行事】 ・多人数での会食は避けて ・発熱やかぜの症状がある場合は参加しない.

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南極点踏破に向けて『極地冒険家』荻田泰永氏が出発! Twitterで「南極お悩み相談」に乗ってくれるぞ~!!

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どうも、フェーブルです。 アメリカ旅行系で書きたい記事はたくさんあるのですが、この状況で閲覧数が伸びないので、心機一転別ジャンルの記事を書いてみます。 こんな時期、自粛にもってこい!! あつまれ!どうぶつの森 です!! フェーブル、かんっぜんにハマっております。 もっぱらレアアイテムや家具、洋服集めに奔走しておりますが。 今日は、世界遺産や外国の被り物などのレアアイテムや錆びたパーツをくれるジョニーというキャラの攻略法について分かったことがあるので共有します!! 【これには、時間操作などのチートが含まれます。 また、試される方は不具合が起こったとしても自己責任でお願いします】 ジョニー攻略方法 まず、ジョニーは不定期に浜辺に打ち上げられているカモメです。 彼の通信機のパーツを集め、レアアイテムを集めるイベント。 またDIYでヒーローロボを作る材料にもなる錆びたパーツも集める事が出来ます。 こちらは30個必要です。 更に、大事なのはジョニーアイテムをすべて集めると 金のスコップのDIYがもらえます!!!これはかなり重要!! まず、簡単にイベントの進め方を書きます。 しかし、ただ同じ日に戻ればいいというものではありません。 ひと手間加えるだけで繰り返せます。 それは、 イベント日の前日にタイムトラベルする事です。 例えば、7月10日にジョニーが現れたとしたら、イベント終了後セーブし7月9日 に時間変更。 一旦ゲームロードしてから、セーブしアカウントを閉じる。 また時間変更して7月10日に進める。 これでジョニーはまた出現します。 【追記】 どうぶつの森のお店の商品やイベントがリセットされるのは毎朝5時なので、 イベントを繰り返したいときは当日の4時59分に戻すとそのまま時間がすすめばイベントリセットされます。 一度完全に前日に戻すよりも少ない手間で無限ジョニーできるので、ジョニーやフーコは特にこちらの方法をお勧めします。 (必ずどうぶつの森のアカウントを修了してから設定変更してください。 セーブデータが飛んでしまう恐れがあります。 ) 時間を戻すだけだとイベントは再発生しませんが、もっと前から時間をイベント日に進める事でイベントが再発生するのです。 この現象はフーコやローランなどのイベントにも適応されます! フーコ、流星群についての詳しい裏技記事はこちらをどうぞ。 今回の裏技ですが、レアアイテムが欲しいけど時間がかかりすぎて、どうにか攻略したい!!という社会人にもお勧めの方法。 時間通りに進めていくのが正規の楽しみ方なので、気分が悪い方には申し訳ありません。 前日に戻ってから、またイベント日に進むと前回終わった分のジョニーからのプレゼントはしっかりポストに入っています。 試し済みですが、やった分だけ違うアイテムがゲットできます。 【ジョニーのアイテム一覧】 ・ちょんまげ ・日本刀 ・スフィンクス ・ピラミッド ・ピサの斜塔 ・自由の女神 ・モアイ像 ・ストーンヘンジ ・オランダの帽子 ・チャイナハット・南極点 ・かんぼう ・くるみ割り人形 ・まねきねこ ・チロリアンハット ・ソンブレロ ・べんぱつ ・スカルキャンディマスク ・おきなののうめん ・フラダンス人形 ・ダーラヘスト fevel.

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温暖化で南極の海氷が減った結果、すくすく育ったペンギンがいる模様(Gizmodo Japan)

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ただ海外の高木に対する評価は違っていました。 #6(海軍、平時の脚気対策)の時に、高木はタンパク質と炭水化物のバランスによって脚気が起こるという論文を発表したと紹介しましたが、これは海外の医学雑誌にも転載され、欧米で非常に大きな注目を浴びたと言います。 食物改善で脚気を防止するということ自体が独創的な発想だったようで、それが評価されたらしい。 山下政三氏『明治期における脚気の歴史』にはこうあります。 明治十八年から二十年にかけての英文論文によって高木兼寛の業績は広く欧米において認められている。 独創を尊び成果を重んずる西洋医学からみると、兼寛の「食物改良による脚気の根絶」は、発想の独自性と先見性、成果のすばらしさから、まさしく画期的な業績であった。 ビタミンが知られたのちには、さらにその先見性が高く評価され、ビタミンの先覚者と位置づけられるのである。 海軍当局は高木説の効果あるを見、受け入れてきた経緯を見てきました。 しかしそれまでの自説を展開するための運動が祟ってか(政治家への働き掛けや明治天皇への上奏等)、高木はあれほどの成果を上げたにも拘わらず海軍部内でも不遇だった。 また高木説は長い間、日本の医学的権威(東大医学部、陸軍医務局)から白眼視された事も見てきました。 海軍も、とは意外なことではありますが、相対的に見て日本国内では高木説も高木自身も冷遇されていた。 日露戦争直後の明治38年12月、高木はアメリカのコロンビア大学から講演の要請があり渡米します。 またその足でヨーロッパに向かい、幾つかの国で、そしてイギリスにある母校セント・トーマス病院医学校でも講演を行っている。 いずれの内容も高木が奮闘してきた脚気撲滅の経緯でした。 これは、欧米の医学界で非常に評価された。 本当に大きく評価されたのです。 専門の医学雑誌で講演後すぐに報道されただけでは無く、アメリカではコロンビア大学とフィラデルフィア医科大学、イギリスのダラム大学からもそれぞれ名誉学位を贈られています。 国内で評価されなくても、世界では絶賛された。 これは高木にとっても望外の喜びでは無かったかと思うのです。 そして何よりも高木が評価されるべきは、ビタミン発見の嚆矢となったことです。 高木の脚気食物原因説を突破口に大正元年、鈴木梅太郎がオリザニンを発見します。 オリザニンというのはビタミンB1の事で、鈴木はこれを米糠から発見しました。 世界で一番初めに発見されたビタミンです。 このフンクがビタミン発見史の中で高木の脚気研究の業績を高く評価している事をはじめとし、ビタミン関連の著書の中では、多くが高木の名前と、その業績をトップにあげ、高い評価を与えています。 また、医学史専門書のビタミン発見史でも、「1882年から1886年の間に、高木兼寛が食物を改良して日本海軍の脚気を根絶し、それがエイクマンとグリーンスの実験を導いた」と、はなはだ高い評価のもとに記述している。 ビタミン学、栄養学、医学史の専門書を渉猟すれば、まだまだ多く高木兼寛の名を目にすることは間違いない。 <略> この世にビタミンがある限り、ビタミン発見史をもたらした脚気病の存在は、永久に忘れられることはないであろう。 同時に、兵食の改革によって海軍の脚気を撲滅し、食物に脚気の原因があること(食物の中には健康に必須不可欠な成分があること)を明示した、高木兼寛の先覚的な業績も忘れられることはないであろう。 今後とも、ビタミン発見史のトップに高木兼寛の名前が飾られていくことは間違いないのである。 (『明治期における脚気の歴史』) 南極大陸には、栄養学の分野で世界的な貢献をした学者の名をつけた岬がある一帯が存在するそうです。 その中に高木の名前を冠した岬、「高木の岬」があります。 イギリスの極地研究所から日本にそのことが伝えられましたが、しばらくは誰の事か分からなかったらしい。 名前が付けられた由来を見て高木兼寛だと分かったと言います。 日本人名が付けられた岬は、このひとつだけであることを最後に付け加えておきます。 というか最早書く必要もないかな、という気がしないでもありません。 明治41年、脚気病調査会が発足した際、当時陸軍医務局長であった森林太郎がその会長に就任し、挨拶をした寺内陸相から痛烈な言葉を浴びせられたのは先に見た通りでした。 当時はもう、誰の目から見ても脚気は過度の白米食に原因があるという事が分かっていたのですが、それでも森をはじめとする医務局はそれを認めなかった。 戦争が始まれば必ず脚気患者が多くなる。 此脚気の予防方法は却々困難であつてチブスの様な訳には行かぬ。 第一其病源を発見することが出来ないのみならず、欧米に余り例のある病でないから、他国に於て発明したる学術方法を応用するといふことが出来ぬ。 実に此病源は未決の問題である。 原因が未決であるから、無論之に処する確たる治療方法があるべき筈がない。 明治42年ですよ。 とはいえ、森も白米に問題があるという事は心中認めていたようです。 ただ頑強に白米を推進していた手前、そして陸軍医務局の体面上、海軍との対抗上、決して表ではそれを認めなかった。 長年の多数派であった伝染病説は、今や森ひとりが孤立するような状態にまでなっていました。 先に「森は梯子を外された」云々と書きましたが、この表現に疑問を持たれた方も多いのではないかと思います。 なぜ私がこう思うかというと、頑強に伝染病説で論を張っていた上司石黒が陸軍を退役し、前任者小池は医務局長を辞任、巡り巡ってそのポストは森に巡ってきました。 森は実質的な白米至上麦飯排斥の責任者でありました。 ですがその森のスタンスは上司が頑強な立場で一歩も引かなかったため、後年に至っても論を変えることができなかったという点があると思うのです。 日露戦争が終わり、森が陸軍軍医のトップに就任した時には、かつての責任者はすでに陸軍を去り責任ある地位を去り、気付くと森は己ひとりになっていました。 もはや共に有効な論陣を張ってくれる人間も、庇ってくれる人間も周囲にはいません。 梯子を外されたようになったと表現したのは、そういう点です。 森は多くの兵士を殺した。 それは事実です。 内実の事情はどうあれ、その責任は少しも軽減しません。 ただ森のために少々気の毒だと思うのは、脚気調査会が立ち上がった時に共に断罪?されるべき人間が傍にいなかった事です。 死ハ一切ヲ打チ切ル重大事件ナリ 奈何ナル官権威力ト雖此ニ反抗スル事ヲ得スト信ス 余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス 宮内省陸軍皆縁故アレドモ生死別ルゝ瞬間アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス 森林太郎トシテ死セントス 墓ハ森林太郎墓ノ外一字モホル可カラズ 一番有名な一節がここでは無いでしょうか。 ちなみに手紙の前後、端折っています。 森に関する研究書などを読んだことがないので、素人判断として聞いて頂きたいのですが… 「文豪森鴎外」としてしか知らず、その反面にある「軍医森林太郎」の顔を知らなかったらこの遺書は意味不明では無いかと思うのです。 遺書にここまで書いて現世との縁故を打ち切りたい理由。 私は森の軍人としての公生活に求められるのではないかと。

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