おく の ほそ 道 冒頭。 旅こそ人生

おくのほそ道 冒頭『漂白の思い(漂泊の思ひ)』現代語訳と解説 / 古文 by 春樹

おく の ほそ 道 冒頭

オープニング (オープニングタイトル) scene 01 旅に生きた俳諧師、松尾芭蕉 江戸時代、五七五の十七文字に生涯をかけた一人の男が、日本各地を旅していました。 『おくのほそ道』の作者、松尾芭蕉です。 俳諧という文学を、芸術にまで高めた俳諧師です。 「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふるものは、日ゝ旅にして旅を栖とす。 古人も多く旅に死せるあり」。 『おくのほそ道』の冒頭は、移りゆく年月は旅人であり、人生は旅そのものであるという芭蕉の哲学から始まります。 scene 02 紀行文学の最高傑作『おくのほそ道』 旅の始まりは、1689年、春。 数え年で46歳の芭蕉は、江戸を出発し、北へ向かいます。 東北から北陸へ、およそ2400km。 5ヵ月にわたる旅路でした。 この旅をもとに書かれたのが、紀行文学の最高傑作といわれる『おくのほそ道』です。 旅先の歴史や風景、人との出会いなどが、格調高い文章と五七五の句で構成されています。 scene 03 平泉:過ぎ去った繁栄への思い 平安時代の終わりごろ、奥州藤原氏の拠点として栄えた平泉。 草むらと化した風景を目の当たりにして、芭蕉は過ぎ去った遠い昔に思いを馳せます。 「扨も義臣すぐつて此城に籠り、功名一時の草村となる。 国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て時のうつるまでなみだを落し侍りぬ」。 人の運命のはかなさと、自然の営みの力強さに、芭蕉は圧倒されます。 scene 04 立石寺:心洗われる山寺 旅に出て2ヵ月あまり。 夏も盛りのころ、芭蕉は山形に着きます。 地元の人に勧められて、芭蕉は立石寺(りっしゃくじ)という寺に足を伸ばしました。 険しい岩の断崖に張り付くように建てられた山寺。 岩と老木と寺院がおりなす光景に、芭蕉は心を洗われる思いがします。 「岩に巌を重て山とし、松栢年ふり、土石老て、苔なめらかに、岩上の院ゝ扉を閉て、物の音きこえず。 佳景寂寞として、こゝろすみ行のみ覚ゆ」。 scene 05 俳句のもととなった俳諧 芭蕉が活躍した17世紀末、江戸や大坂では、武士から民衆にいたるまで、多彩な文化が花開いていきました。 芭蕉が愛した俳諧もその一つです。 数人が集まり句を詠み合う、言葉の遊戯として流行していました。 「五七五」の句から始まり、「七七」の句と交互に詠んでつなげていきます。 そのいちばんはじめの句は「発句(ほっく)」と呼ばれ、明治以降、「俳句」と呼ばれるようになります。 芭蕉は、この十七文字を極めるために旅に出たのです。 scene 06 重ねられた推敲 芭蕉自身の手で書かれた『おくのほそ道』には、いたるところに切り張りし、書き直したあとが残っています。 こうした推敲(すいこう)は、旅が終わってからも数年間にわたって続けられました。 山形の立石寺の句も、初めは「山寺や 石にしみつく 蝉の声」という形でした。 まず芭蕉は、最初の五文字を大きく変えます。 「さびしさや 岩にしみ込 蝉のこゑ」。 しかし、まだ満足はできません。 そして、「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」。 しずかさと蝉の声という相対するものが一つとなって、奥行きのある表現が生まれました。 scene 07 十七文字に込められた世界 わずか十七文字に込められた、広く、深い世界観。 芭蕉が生涯かけて追い求めたものでした。 scene 08 旅そのものだった人生 『おくのほそ道』の旅が終わったあとも、芭蕉は休む間もなく次の旅に出ます。 まさに、人生は旅そのもの。 芭蕉は、ひたすら歩き続けながら、数多くの名句を遺しました。 そして、旅の途中、大坂で息を引き取ります。 51歳でした。 芭蕉が最後に遺した辞世の句です。 「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」。

次の

読書感想文は1行読めば書ける!実践9『おくのほそ道』

おく の ほそ 道 冒頭

(じょぶん) 月日 つきひ は百代 はくたい の過客 かかく にして、行 ゆ)きかふ年もまた旅人(たびびと)なり。 舟の上に生涯 しょうがい をうかべ、馬の口とらえて老 おい をむかふるものは、日々 ひび 旅(たび)にして旅(たび)を栖 すみか とす。 古人 こじん も多く旅(たび)に死(し)せるあり。 よもいづれの年よりか、片雲 へんうん の風にさそはれて、漂泊 ひょうはく の思ひやまず、海浜 かいひん にさすらへ、去年 こぞ の秋江上 こうしょう の破屋 はおく にくもの古巣 ふるす をはらひて、やや年も暮 くれ 、春立てる霞 かすみ の空に白河 しらかわ の関こえんと、そぞろ神 がみ の物につきて心をくるはせ、道祖神 どうそじん のまねきにあひて、取 と)るもの手につかず。 ももひきの破 やぶ)れをつづり、笠 かさ の緒 お 付 つ)けかえて、三里 さんり に灸 きゅう すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住 す)める方 かた は人に譲 ゆず り、杉風 さんぷう が別墅 べっしょ に移 うつ るに、 草の戸も 住替 すみかわる る代 よ ぞ ひなの家 面八句 おもてはちく を庵 いおり の柱(はしら)にかけ置(お)く。 (たびだち) 弥生 やよい も末 すえ の七日、あけぼのの空朧々 ろうろう として、月はありあけにて光おさまれるものから、富士 ふじ の嶺 みね かすかに見えて、上野 うえの ・谷中 やなか の花の梢 こずえ 、またいつかはと心ぼそし。 むつましきかぎりは宵 よい よりつどひて、舟に乗 の)りて送る。 千じゆといふ所にて舟をあがれば、前途 せんど 三千里(さんぜんり)の思い胸(むね)にふさがりて、幻(まぼろし)のちまたに離別 りべつ の泪 なみだ をそそぐ。 行 ゆ)く春や 鳥啼 なき 魚 うお の 目は泪(なみだ) これを矢立 やたて の初 はじめ として、行(ゆ)く道なを進まず。 人々は途中 みちなか に立 た)ちならびて、後 うし)ろかげの見ゆるまではと見送 みおく)るなるべし。 (そうか) ことし元禄 げんろく 二 ふた とせにや、奥羽 おうう 長途 ちょうど の行脚 あんぎゃ ただかりそめに思ひたちて、呉天 ごてん に白髪 はくはつ の恨 うら)みを重 かさ ぬといへども、耳にふれていまだ目に見ぬ境(さかい)、もし生 いき て帰らばと、定 さだめ なき頼(たの)みの末(すえ)をかけ、その日ようよう早加 そうか といふ宿 しゅく にたどり着 つ)きにけり。 痩骨 そうこつ の肩(かた)にかかれるもの、まずくるしむ。 ただ身(み)すがらにと出(い)で立 た)ちはべるを、帋子 かみこ 一衣 いちえ は夜の防(ふせ)ぎ、ゆかた・雨具 あまぐ ・墨筆 すみふで のたぐひ、あるはさりがたき餞 はなむけ などしたるは、さすがに打捨 うちすて がたくて、路頭 ろとう の煩 わずらい となれるこそわりなけれ。 (むろのやしま) 室 むろ の八嶋 やしま に詣 けい す。 同行 どうぎょう 曽良 そら がいわく、「この神(かみ)は木 こ の花さくや姫 ひめ の神(かみ)ともうして富士 ふじ 一躰 いったい なり。 無戸室 うつむろ に入 い)りて焼 や)きたまふちかひのみ中に、火火出見 ほほでみ のみこと生れたまひしより室 むろ の八嶋 やしま ともうす。 また煙 けむり を読習 よみならわ しはべるもこの謂 いわれ なり」。 はた、このしろといふ魚を禁 きん ず。 縁記 えんぎ のむね世(よ)に伝 つた ふこともはべりし。 ほとけござえもん 卅日 みそか 、日光山 にっこうざん の梺 ふもと に泊 とま る。 あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門 ほとけござえもん といふ。 よろず正直 しょうじき をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜 いちや の草の枕 まくら もうとけて休みたまへ」といふ。 いかなる仏(ほとけ)の濁世塵土 じょくせじんど に示現 じげん して、かかる桑門 そうもん の乞食順礼 こつじきじゅんれい ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無智無分別 むちむふんべつ にして、正直偏固 しょうじきへんこ の者(もの)なり。 剛毅木訥 ごうきぼくとつ の仁 じん に近きたぐひ、気禀 きひん の清質 せいしつ もっとも尊 とうと ぶべし。 (にっこう) 卯月 うづき 朔日 ついたち 、御山 おやま に詣拝 けいはい す。 往昔(そのむかし)この御山 おやま を二荒山 ふたらさん と書きしを、空海大師 くうかいだいし 開基 かいき の時、日光と改 あらた)めたまふ。 千歳未来 せんざいみらい をさとりたまふにや。 今この御光 みひかり 一天 いってん にかかやきて、恩沢八荒 おんたくはっこう にあふれ、四民安堵 しみんあんど の栖 すみか 穏 おだやか なり。 猶 なお 憚 はばかり 多くて筆(ふで)をさし置 おき ぬ。 あらたうと 青葉若葉 あおばわかば の 日の光 くろかみやま 黒髪山 くろかみやま は霞 かすみ かかりて、雪いまだ白し。 剃捨 そりすて て 黒髪山 くろかみやま に 衣更 ころもがえ 曽良 曽良(そら)は河合氏 かわいうじ にして、惣五郎 そうごろう といへり。 芭蕉(ばしょう)の下葉 したば に軒 のき をならべて、よが薪水 しんすい の労 ろう をたすく。 このたび松島(まつしま)・ きさがた の眺 ながめ ともにせんことを悦 よろこ び、かつは羈旅 きりょ の難 なん をいたはらんと、旅 たび)立つ暁 あかつき 髪 かみ を剃 そ)りて墨染 すみぞめ にさまをかえ、惣五 そうご を改 あらため て宗悟 そうご とす。 よって黒髪山 くろかみやま の句 く あり。 「衣更 ころもがえ 」の二字 にじ 力 ちから ありてきこゆ。 廿余丁 にじゅうよちょう 山を登つて瀧 たき あり。 岩洞 がんとう の頂 いただき より飛流 ひりゅう して百尺 はくせき 、千岩 せんがん の碧潭 へきたん に落 お)ちたり。 岩窟 がんくつ に身 み をひそめ入 い)りて瀧 たき の裏 うら より見れば、裏見(うらみ)の瀧 たき ともうし伝 つた えはべるなり。 しばらくは 瀧 たき に籠 こも るや 夏 げ の初 はじめ (なす) 那須 なす の黒ばねといふ所 ところ に知人 しるひと あれば、これより野越 のごえ にかかりて、直道 すぐみち をゆかんとす。 遥 はるか に一村 いっそん を見かけて行 ゆ)くに、雨降 ふ)り日暮 く)るる。 農夫 のうふ の家に一夜 いちや をかりて、明 あく ればまた野中 のなか を行 ゆ)く。 そこに野飼 のがい の馬あり。 草刈 か)る男の子(おのこ)になげきよれば、野夫 やふ といへどもさすがに情 なさけ しらぬには非 あら ず。 「いかがすべきや。 されどもこの野は縦横 じゅうおう にわかれて、うゐうゐ(ういうい)しき旅人 たびびと の道ふみたがえむ、あやしうはべれば、この馬のとどまる所にて馬を返したまへ」と、かしはべりぬ。 ちいさき者ふたり、馬の跡 あと したひて走る。 独 ひとり は小姫 こひめ にて、名をかさねといふ。 聞きなれぬ名のやさしかりければ、 かさねとは 八重撫子 やえなでしこ の 名 な 成 な)るべし 曽良 やがて人里 ひとざと にいたれば、あたひを鞍 くら つぼに結付 むすびつ)けて、馬を返 かえ しぬ。 くろばね 黒羽 くろばね の館代 かんだい 浄坊寺 じょうほうじ 何 なに がしの方 かた におとずる。 思ひがけぬあるじの悦 よろこ び、日夜 にちや 語 かた)りつづけて、その弟 おとうと 桃翠 とうすい)などいふが、朝夕 ちょうせき 勤 つと)めとぶらひ、自 みずから の家にも伴 ともな ひて、親属 しんぞく の方(かた)にもまねかれ、日をふるままに、日とひ郊外 こうがい に逍遙 しょうよう して、犬追物 いぬおうもの の跡 あと を一見 いっけん し、那須 なす の篠原 しのはら をわけて玉藻の前 たまものまえ の古墳 こふん をとふ。 それより八幡宮 はちまんぐう に詣 もう)ず。 与一 よいち 扇 おうぎ の的 まと を射 い し時、「べっしては我国氏神 わがくにのうじがみ 正八 しょうはち まん」とちかひしもこの神社 じんじゃ にてはべると聞けば、感應 かんのう 殊 ことに しきりに覚 おぼ えらる。 暮 くるれば桃翠 とうすい 宅 たく に帰る。 修験光明寺 しゅげんこうみょうじ といふあり。 そこにまねかれて行者堂 ぎょうじゃどう を拝 はい す。 夏山 なつやま に 足駄 あしだ をおがむ かどでかな うんがんじ 当国 とうごく 雲巌寺 うんがんじ のおくに佛頂和尚 ぶっちょうおしょう 山居跡 さんきょのあと あり。 竪横 たてよこ の 五尺 ごしゃく にたらぬ 草 くさ の庵 いお むすぶもくやし 雨なかりせば と、松の炭 すみ して岩に書き付 つ)けはべりと、いつぞや聞こえたまふ。 その跡 あと みむと雲岸寺 うんがんじ に杖 つえ をひけば、人々すすんでともにいざなひ、若 わか き人おほく、道のほど打 う)ちさはぎて、おぼえずかの梺 ふもと にいたる。 山はおくあるけしきにて、谷道 たにみち はるかに、松 まつ 杉 すぎ 黒く、苔 こけ しただりて、卯月 うづき の天今なお寒 さむ し。 十景 じっけい つくる所 ところ 、橋 はし をわたつて山門 さんもん に入 い)る。 さて、かの跡 あと はいづくのほどにやと、後 うし)ろの山によぢのぼれば、石上 せきじょう の小庵 しょうあん 岩窟 がんくつ にむすびかけたり。 妙禅師 みょうぜんじ の死関 しかん 、法雲法師 ほううんほうし の石室 せきしつ を見るがごとし。 木啄 きつつき も 庵 いお はやぶらず 夏木立 なつこだち と、とりあへぬ一句(く)を柱(はしら)に残 のこ)しはべりし。 せっしょうせき・ゆぎょうやなぎ) これより殺生石 せっしょうせき に行 ゆ)く。 館代 かんだい より馬にて送 おく らる。 この口付 つ)きの男の子(おのこ)、短冊 たんじゃく 得 え させよとこう。 やさしきことを望 のぞ)みはべるものかなと、 野 の を横 よこ に 馬 うま ひきむけよ ほととぎす 殺生石 せっしょうせき は温泉 いでゆ の 出(い)づる山陰 やまかげ にあり。 石の毒気 どくけ いまだほろびず。 蜂 はち 蝶 ちょう のたぐひ真砂 まさご の色の見えぬほどかさなり死す。 また、清水 しみず ながるるの柳 やなぎ は蘆野 あしの の里にありて田の畔 くろ に残 のこ る。 この所 ところ の郡守 ぐんしゅ 戸部 こほう 某 なにがし のこの柳 やなぎ 見せばやなど、おりおりにのたまひ聞こえたまふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳 やなぎ のかげにこそ立ち寄 よ)りはべりつれ。 田 た 一枚 いちまい 植 う)えて立ち去 さ る 柳 やなぎ かな (しらかわ) 心もとなき日かず重 かさ)なるままに、白河 しらかわ の関 せき にかかりて、旅心 たびごころ 定 さだ)まりぬ。 いかで都 みやこ へと便 たより 求 もと)めしもことわりなり。 中にもこの関 せき は三関 さんかん の一 いつ にして、風騒 ふうそう の人、心をとどむ。 秋風を耳に残(のこ)し、紅葉 もみじ を俤 おもかげ にして、青葉 あおば の梢 こずえ なおあはれなり。 卯 う の花の白妙 しろたえ に、茨 いばら の花の咲 さ)きそひて、雪にもこゆる心地 ここち ぞする。 古人 こじん 冠 かんむり を正 ただ し、衣装 いしょう を改 あらた)めしことなど、清輔 きよすけ の筆 ふで にもとどめ置 お)かれしとぞ。 卯 う の花を かざしに関 せき の 晴着 はれぎ かな 曽良 そら (すかがわ) とかくして越 こ)え行 ゆ)くままに、あぶくま川を渡 わた る。 左に会津根 あいづね 高く、右に岩城 いわき ・相馬 そうま ・三春 みはる の庄 しょう 、常陸 ひたち ・下野 しもつけ の地をさかひて、山つらなる。 かげ沼といふ所 ところ を行 ゆ)くに、今日は空 そら 曇 くもり て物影 ものかげ うつらず。 須賀川(すかがわ)の駅に等窮 とうきゅう といふものを尋 たず)ねて、四、五日とどめらる。 まず白河 しらかわ の関 せき いかにこえつるやと問 と)う。 「長途 ちょうど のくるしみ、身心 しんじん つかれ、かつは風景 ふうけい に魂 たましい うばはれ、懐旧 かいきゅう に腸 はらわた を断 た)ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。 風流 ふうりゅう の 初 はじめ やおくの 田植 たうえ うた 無下 むげ にこえんもさすがに」と語 かた れば、脇 わき ・第三 だいさん とつづけて、三巻 みまき となしぬ。 この宿 しゅく のかたわらに、大きなる栗 くり の木陰 こかげ をたのみて、世(よ)をいとふ僧 そう あり。 橡 とち ひろふ太山 みやま もかくやとしづかに覚 おぼ)えられてものに書き付 つ はべる。 其詞 そのことば 、 栗(くり)といふ文字(もんじ)は西の木と書きて 西方浄土 さいほうじょうど に便 たより ありと、行基菩薩 ぎょうきぼさつ の一生 いっしょう 杖 つえ にも柱 はしら にもこの木を用 もち)いたまふとかや。 世(よ)の人の 見付 つ)けぬ花や 軒 のき の栗 くり (あさかやま) 等窮 とうきゅう が宅 たく を出(い)でて五里 ごり ばかり、桧皮 ひわだ の宿 しゅく を離 はな れて安積山(あさかやま)あり。 路 みち より近 ちか し。 このあたり沼 ぬま 多し。 かつみ刈 か)るころもやや近 ちこ うなれば、いづれの草を花かつみとはいふぞと、人々に尋(たず)ねはべれども、さらに知 し)る人なし。 沼 ぬま を尋(たず)ね、人に問(と)ひ、かつみかつみと尋(たず)ねありきて、日は山の端 は にかかりぬ。 二本松 にほんまつ より右にきれて、黒塚 くろづか の岩屋 いわや 一見 いっけん し、福島 ふくしま に宿 やど る。 (しのぶのさと) あくれば、しのぶもぢ摺 ずり の石を尋(たず)ねて、忍 しの ぶのさとに行 ゆ)く。 遥 はるか 山陰 やまかげ の小里 こざと に石なかば土に埋 うず)もれてあり。 里の童 わら べの来たりて教 おし)えける。 昔 むかし はこの山の上にはべりしを、往来 ゆきき の人の麦草 むぎくさ をあらして、この石を試 こころ)みはべるをにくみて、この谷 たに につき落(お)とせば、石の面 おもて 下ざまにふしたりといふ。 さもあるべきことにや。 早苗 さなえ とる 手もとや昔 むかし しのぶ摺 ずり さとうしょうじがきゅうせき 月の輪 わ のわたしを超(こ)えて、瀬 せ の上といふ宿 しゅく に出 い づ。 佐藤庄司 さとうしょうじ が旧跡 きゅうせき は、左の山際 やまぎわ 一里半 いちりはん ばかりにあり。 飯塚 いいづか の里鯖野 さばの と聞きて尋 たず ね尋 たず ね行 ゆ)くに、丸山 まるやま といふに尋(たず)ねあたる。 これ、庄司 しょうじ が旧跡 きゅうせき なり。 梺 ふもと に大手 おおて の跡 あと など、人の教 おし ゆるにまかせて泪 なみだ を落(お)とし、またかたはらの古寺 ふるでら に一家 いっけ の石碑 せきひ を残 のこ す。 中にも、二人の嫁 よめ がしるし、まず哀 あわ)れなり。 女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、袂 たもと をぬらしぬ。 堕涙 だるい の石碑 せきひ も遠 とお きにあらず。 寺に入(い)りて茶 ちゃ を乞 こ へば、ここに義経 よしつね の太刀 たち 、弁慶 べんけい が笈 おい をとどめて什物 じゅうもつ とす。 笈 おい も太刀 たち も 五月 さつき にかざれ 帋幟 かみのぼり 五月 さつき 朔日 ついたち のことなり。 いいづかのさと その夜飯塚 いいづか にとまる。 温泉 いでゆ あれば湯 ゆ に入(い)りて宿 やど をかるに、土坐 どざ に筵 むしろ を敷 しき て、あやしき貧家 ひんか なり。 灯 ともしび もなければ、ゐろりの火 ほ かげに寝所 ねどころ をまうけて臥 ふ す。 夜 よる に入(い)りて雷(かみ)鳴 なり 、雨しきりに降 ふり て、臥 ふせ る上よりもり、蚤 のみ ・蚊 か にせせられて眠 ねむ らず。 持病 じびょう さへおこりて、消入 きえいる ばかりになん。 短夜 みじかよ の空 そら もやうやう明 あく れば、また旅立 たびだち ぬ。 なお、夜 よる の余波 なごり 心すすまず、馬 うま かりて桑折 こおり の駅 えき に出(い)づる。 遥 はるか なる行末 ゆくすえ をかかえて、かかる病 やまい 覚束 おぼつか なしといへど、羇旅 きりょ 辺土 へんど の行脚 あんぎゃ 、捨身 しゃしん 無常 むじょう の観念 かんねん 、道路 どうろ にしなん、これ天の命 めい なりと、気力 きりょく いささかとり直 なお し、路 みち 縦横 じゅうおう に踏 ふん で伊達 だて の大木戸 おおきど をこす。 かさじま 鐙摺 あぶみずり ・白石 しろいし の城 じょう を過 すぎ 、笠嶋 かさじま の郡 こおり に入 い れば、藤中将実方 とうのちゅうじょうさねかた の塚 つか はいづくのほどならんと人にとへば、これより遥 はるか 右 みぎ に見ゆる山際 やまぎわ の里をみのわ・笠嶋 かさじま といい、道祖神 どうそじん の社 やしろ ・かたみの薄 すすき 今にありと教 おし ゆ。 このごろの五月雨 さみだれ に道いとあしく、身 み つかれはべれば、よそながら眺 ながめ やりて過 すぐ るに、蓑輪 みのわ ・笠嶋 かさじま も五月雨 さみだれ の折 おり にふれたりと、 笠嶋 かさじま は いづこさ月の ぬかり道 たけくまのまつ 岩沼 いわぬま の宿 しゅく まつ にこそ、目覚 さむ る心地 ここち はすれ。 根 ね は土際 つちぎわ より二木 ふたき にわかれて、昔 むかし の姿 すがた うしなはずとしらる。 まず能因法師 のういんほうし 思ひ出(い)づ。 その昔 かみ むつのかみにて下 くだ りし人、この木を伐 きり て、名取川 なとりがわ の橋杭 はしぐい にせられたることなどあればにや、「松 まつ はこのたび跡 あと もなし」とは詠 よみ たり。 代々 よよ 、あるは伐 きり 、あるひは植継 うえつぎ などせしと聞くに、今将 いまはた 、千歳 ちとせ のかたちととのほひて、めでたき松 まつ のけしきになんはべりし。 「武隈 たけくま の松 まつ みせ申 もう せ遅桜 おそざくら 」 と挙白 きょはく といふものゝ餞別 せんべつ したりければ、 桜 さくら より 松 まつ は二木 ふたき を 三月 みつき 越 ご し (せんだい) 名取川 なとりがわ を渡 わたっ て仙台 せんだい に入(い)る。 あやめふく日なり。 旅宿 りょしゅく をもとめて四五日 しごにち 逗留 とうりゅう す。 ここに画工加右衛門 がこうかえもん といふものあり。 いささか心ある者 もの と聞きて知 し る人になる。 この者 もの 、年比 としごろ さだかならぬ名どころを考 かんがえ 置 おき はべればとて、一日 ひとひ 案内 あんない す。 宮城野 みやぎの の萩 はぎ 茂 しげ りあひて、秋 あき の景色 けしき 思ひやらるる。 玉田 たまだ ・よこ野 の ・つつじが岡はあせび咲 さく ころなり。 日影 ひかげ ももらぬ松 まつ の林 はやし に入(い)りて、ここを木 き の下 した といふとぞ。 昔 むかし もかく露 つゆ ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。 薬師堂 やくしどう ・天神 てんじん の御社 みやしろ など拝 おがみ て、その日はくれぬ。 なお、松嶋 まつしま ・塩竃 しおがま の所々 ところどころ 、画 え に書 かき て送 おく る。 かつ、紺 こん の染緒 そめお つけたる草鞋 わらじ 二足 にそく 餞 はなむけ す。 さればこそ風流 ふうりゅう のしれもの、ここにいたりてその実 じつ を顕 あらわ す。 あやめ草 ぐさ 足 あし に結 むすば ん 草鞋 わらじ の緒 お かの画図 がと にまかせてたどり行 ゆけ ば、おくの細道 ほそみち の山際 やまぎわ に十符 とふ の菅 すげ あり。 今 いま も年々 としどし 十符 とふ の菅菰 すがごも を調 ととのえて て国守 こくしゅ に献 けん ずといえり。 たがじょう 壷碑 つぼのいしぶみ 市川村 いちかわむら 多賀城 たがじょう にあり。 つぼの石ぶみは高 たか さ六尺 ろくしゃく あまり、横 よこ 三尺 さんじゃく 斗 ばかり か。 苔 こけ を穿 うがち て文字 もじ かすかなり。 四維 しゆい 国界 こっかい の数里 すうり をしるす。 この城 しろ 、神亀 じんき 元年 がんねん 、按察使 あぜち 鎮守府 ちんじゅふ 将軍 しょうぐん 大野朝臣東人 おおのあそんあずまひと の所置 おくところ なり。 天平 てんぴょう 宝字 ほうじ 六年 ろくねん 参議 さんぎ 東海 とうかい 東山 とうせん 節度使 せつどし 同 おなじく 将軍 しょうぐん 恵美朝臣 えみのあそんあさかり 修造 しゅぞう 而 読まない文字 、十二月 じゅうにがつ 朔日 ついたち とあり。 聖武皇帝 しょうむこうてい の御時 おんとき に当 あた れり。 むかしよりよみ置 おけ る哥枕 うたまくら 、おほく語 かたり 伝 つた ふといへども、山崩(くず)れ川流 ながれ て道あらたまり、石は埋 うずもれ て土にかくれ、木は老 おい て若木 わかぎ にかはれば、時移 うつ り代 よ 変 へん じて、その跡 あと たしかならぬことのみを、ここにいたりて疑(うたが)いなき千歳 せんざい の記念 かたみ 、今眼前 がんぜん に古人 こじん の心を閲 けみ す。 行脚 あんぎゃ の一徳 いっとく 、存命 ぞんめい の悦 よろこ び、羈旅 きりょ の労 ろう をわすれて、泪 なみだ も落 お)つるばかりなり。 (すえのまつやま・しおがま) それより野田 のだ の玉川 たまがわ ・沖 おき の石を尋 たず ぬ。 末 すえ の松山 まつやま は寺を造(つく)りて末松山 まっしょうざん といふ。 松 まつ のあひあひ皆 みな 墓原 はかはら)にて、はねをかはし枝 えだ をつらぬる契(ちぎ)りの末 すえ も、終 ついに はかくのごときと、悲 かな しさも増 まさ りて、塩 しお がまの浦 うら に入相 いりあい のかねを聞く。 五月雨 さみだれ の空いささかはれて、夕月夜 ゆうづくよ かすかに、籬 まがき が嶋 しま もほど近 ちか し。 あまの小舟 おぶね こぎつれて、肴 さかな わかつ声々 こえごえ に、「綱手(つなで)かなしも」とよみけむ心もしられて、いとど哀 あわ)れなり。 その夜、目盲 めくら 法師 ほうし の琵琶 びわ をならして奥 おく)じょうるりといふものをかたる。 平家 へいけ にもあらず、舞 まい にもあらず。 ひなびたる調子 ちょうし うち上(あ)げて、枕 まくら ちかうかしましけれど、さすがに辺土 へんど の遺風 いふう 忘 わす れざるものから、殊勝 しゅしょう に覚(おぼ)えらる。 (しおがまじんじゃ) 早朝 そうちょう 塩竃 しおがま の明神 みょうじん に詣 もうず。 国守 こくしゅ 再興 さいこう せられて、宮柱 みやばしら ふとしく彩椽 さいてん きらびやかに、石の階 きざはし 九仞 きゅうじん に重(かさ)なり、朝日 あさひ あけの玉 たま がきをかかやかす。 かかる道の果 はて 、塵土 じんど の境 さかい まで、神霊 しんれい あらたにましますこそ、吾国 わがくに の風俗 ふうぞく なれと、いと貴 とうと けれ。 神前 しんぜん に古 ふる き宝燈 ほうとう あり。 かねの戸 と びらの面 おもて に文治 ぶんじ 三年和泉 いずみの 三郎 さぶろう 寄進 きしん とあり。 五百年来 ごひゃくねんらい のおもかげ、今目の前 まえ にうかびて、そぞろに珍 めずら し。 かれは勇義 ゆうぎ 忠孝 ちゅうこう の士 し なり。 佳命 かめい 今にいたりてしたはずといふことなし。 誠 まことに 人能 よく 道 みちを を勤 つとめ 、義 ぎ を守(まも)るべし。 名もまたこれにしたがふといえり。 日すでに午 ご にちかし。 舟をかりて松嶋 まつしま にわたる。 その間 あい 二里 にり あまり、雄嶋 おじま の磯 いそ につく。 そもそもことふりにたれど、松島 まつしま は扶桑 ふそう 第一 だいいち の好風 こうふう にして、およそ洞庭 どうてい ・西湖 せいこ を恥 はじ ず。 東南 とうなん より海を入(い)れて、江 え の中 うち 三里 さんり 、浙江 せっこう の潮 うしお をたたふ。 島々 しまじま の数 かず を尽 つく して、欹 そばだつ ものは天を指 ゆびさし 、ふすものは波 なみ に匍匐 はらばう。 あるは二重 ふたえ にかさなり、三重 みえ に畳 たた みて、左にわかれ右につらなる。 負 おえ るあり抱 いだけ るあり、児孫 じそん 愛 あい すがごとし。 松 まつ の緑 みどり こまやかに、枝葉 しよう 汐風 しおかぜ に吹(ふ)きたはめて、屈曲 くっきょく をのづからためたるがごとし。 そのけしき、よう然 ぜん として美人 びじん の顔 かんばせ を粧 よそお ふ。 ちはや振 ぶる 神 かみ のむかし、大山 おおやま ずみのなせるわざにや。 造化 ぞうか の天工 てんこう 、いづれの人か筆 ふで をふるひ、詞 ことば を尽 つく さむ。 おじま が磯 いそ は地 ぢ つづきて海に出(い)でたる島 しま なり。 雲居禅師 うんごぜんじ の別室 べっしつ の跡 あと 、坐禅石 ざぜんせき などあり。 はた、松 まつ の木陰 こかげ に世 よ をいとふ人も稀々 まれまれ 見えはべりて、落穂 おちぼ ・松笠 まつかさ など打 うち けふりたる草 くさ の庵 いおり 、閑 しずか に住 すみ なし、いかなる人とはしられずながら、まずなつかしく立寄 たちよる ほどに、月海にうつりて、昼 ひる のながめまたあらたむ。 江上 こうしょう に帰りて宿 やど を求(もと)むれば、窓 まど をひらき二階 にかい を作(つく)りて、風雲 ふううん の中 うち に旅寝 たびね するこそ、あやしきまで、妙 たえ なる心地 ここち はせらるれ。 松島 まつしま や 鶴 つる に身 み をかれ ほととぎす 曽良 そら よは口をとぢて眠 ねむ らんとしていねられず。 旧庵 きゅうあん をわかるる時、素堂 そどう 松島 まつしま の詩 し あり。 原安適 はらあんてき 松 まつ がうらしまの和歌 わか を贈 おく らる。 袋 ふくろ を解 と きて、こよひの友 とも とす。 かつ、杉風 さんぷう ・濁子 じょくし が発句 ほっく あり。 ずいがんじ 十一日、瑞岩寺 ずいがんじ に詣 もうず。 当寺 とうじ 三十二世 さんじゅうにせい の昔 むかし 、真壁 まかべ の平四郎 へいしろう 出家 しゅっけ して入唐 にっとう 、帰朝 きちょう の後 のち 開山 かいざん す。 其後 そののち に雲居禅師 うんごぜんじ の徳化 とっか によりて、七堂 しちどう 甍 いらか 改(あらた)まりて、金壁 こんぺき 荘厳 しょうごん 光 ひかり を輝(かがや)かし、仏土 ぶつど 成就 じょうじゅ の大伽藍 だいがらん とはなれりける。 かの見仏聖 けんぶつひじり の寺はいづくにやとしたはる。 いしのまき 十二日、平和泉 ひらいずみ と心ざし、あねはの松 まつ ・緒 お だえの橋 はし など聞き伝 つたえ て、人跡 じんせき 稀 まれ に雉兎 ちと 蒭蕘 すうじょう の往 いき かふ道そこともわかず、終 つい に路 みち ふみたがえて、石巻 いしのまき といふ湊 みなと に出(い)づ。 「こがね花咲 さく 」とよみてたてまつりたる金花山 きんかさん 、海上 かいしょう に見わたし、数百 すひゃく の廻船 かいせん 入江 いりえ につどひ、人家 じんか 地をあらそひて、竈 かまど の煙 けむり 立ちつづけたり。 思ひがけずかかる所 ところ にも来たれるかなと、宿 やど からんとすれど、さらに宿 やど かす人なし。 漸 ようよう まどしき小家 こいえ に一夜 いちや をあかして、明 あく ればまたしらぬ道まよひ行 ゆ)く。 袖 そで のわたり・尾 お ぶちの牧 まき ・まのの萱 かや はらなどよそめにみて、遥 はるか なる堤 つつみ を行 ゆ)く。 心細 こころぼそ き長沼 ながぬま にそふて、戸伊摩 といま といふ所 ところ に一宿 いっしゅく して、平泉 ひらいずみ にいたる。 その間 あい 廿余里 にじゅうより ほどとおぼゆ。 (ひらいずみ) 三代 さんだい の栄耀 えいよう 一睡 いっすい の中 うち にして、大門 だいもん の跡 あと は一里 いちり こなたにあり。 秀衡 ひでひら が跡 あと は田野 でんや になりて、金鶏山 きんけいざん のみ形 かたち を残 のこ す。 まず、高館 たかだち にのぼれば、北上川 きたかみがわ 南部 なんぶ より流 なが るる大河 たいが なり。 衣川 ころもがわ は、和泉が城 いずみがじょう をめぐりて、高館 たかだち の下 もと にて大河 たいが に落(お)ち入(い)る。 泰衡 やすひら らが旧跡 きゅうせき は、衣が関 ころもがせき を隔(へだ)てて、南部口 なんぶぐち をさし堅 かた め、夷 えぞ をふせぐとみえたり。 さても義臣 ぎしん すぐつてこの城 じょう にこもり、功名 こうみょう 一時 いちじ の叢 くさむら となる。 国破 やぶ れて山河 さんが あり、城 しろ 春 はる にして草 くさ 青 あお みたりと、笠 かさ 打敷 うちしき て、時のうつるまで泪 なみだ を落(お)としはべりぬ。 夏草や 兵 つわもの どもが 夢 ゆめ の跡 あと 卯の花 うのはな に 兼房 かねふさ みゆる 白毛 しらが かな 曽良 そら かねて耳驚 おどろか したる二堂 にどう 開帳 かいちょう す。 経堂 きょうどう は三将 さんしょう の像 ぞう をのこし、光堂 ひかりどう は三代 さんだい の棺 ひつぎ を納 おさ め、三尊 さんぞん の仏 ほとけ を安置 あんち す。 七宝 しっぽう 散 ちり うせて、珠 たま の扉 とびら 風 かぜ にやぶれ、金 こがね の柱 はしら 霜雪 そうせつ に朽 くち て、すでに頽廃 たいはい 空虚 くうきょ の叢 くさむら と成 なる べきを、四面 しめん 新 あらた に囲 かこみ て、甍 いらか を覆 おおい て雨風 ふうう をしのぐ。 しばらく千歳 せんざい の記念 かたみ とはなれり。 五月雨 さみだれ の 降 ふり のこしてや 光堂 ひかりどう しとまえのせき 南部道 なんぶみち 遥 はるか に見やりて、岩手 いわで の里に泊 とま る。 小黒崎 おぐろさき ・みづの小嶋 こじま を過 すぎ て、なるごの湯 ゆ より尿前 しとまえ の関 せき にかかりて、出羽 でわ の国に超(こ)えんとす。 この路 みち 旅人 たびびと 稀 まれ なる所 ところ なれば、関守 せきもり にあやしめられて、漸 ようよう として関 せき をこす。 大山 たいざん をのぼつて日すでに暮 くれ ければ、封人 ほうじん の家 いえ を見かけて舎 やどり を求 もと む。 三日 みっか 風雨 ふうう あれて、よしなき山中 さんちゅう に逗留 とうりゅう す。 蚤 のみ 虱 しらみ 馬 うま の尿 ばり する 枕 まくら もと あるじのいふ、これより出羽 でわ の国に大山 たいざん を隔(へだ)てて、道さだかならざれば、道しるべの人を頼(たの)みて越 こゆ べきよしをもうす。 さらばといいて人を頼(たの)みはべれば、究境 くっきょう の若者 わかもの 、反脇指 そりわきざし をよこたえ、樫 かし の杖 つえ を携 たずさえ て、我々 われわれ が先に立ちて行 ゆ)く。 今日こそ必(かなら)ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛 から き思ひをなして後 うしろ について行 ゆ)く。 あるじのいふにたがはず、高山 こうざん 森々 しんしん として一鳥 いっちょう 声きかず、木 こ の下闇 したやみ 茂 しげ りあひて夜る行 ゆ)くがごとし。 雲端 うんたん につちふる心地 ここち して、篠 しの の中踏分 ふみわけ 踏分、水をわたり岩に蹶 つまずい て、肌 はだ につめたき汗 あせ を流 なが して、最上 もがみ の庄 しょう に出 い づ。 かの案内 あんない せしおのこのいふやう、この道かならず不用 ぶよう のことあり。 恙 つつが なうをくりまいらせて仕合 しあわせ したりと、よろこびてわかれぬ。 跡 あと に聞きてさへ胸 むね とどろくのみなり。 おばねざわ 尾花沢 おばねざわ にて清風 せいふう といふ者 もの を尋 たず ぬ。 かれは富 とめ るものなれども、志 こころざし いやしからず。 都 みやこ にも折々 おりおり かよひて、さすがに旅 たび の情 なさけ をも知 しり たれば、日ごろとどめて、長途 ちょうど のいたはり、さまざまにもてなしはべる。 涼 すず しさを 我 わが 宿 やど にして ねまるなり 這 はい 出(い)でよ かひやが下 した の ひきの声 まゆはきを 俤 おもかげ にして 紅粉 べに の花 蚕飼 こがい する 人は古代 こだい の すがたかな 曽良 そら 山形領 やまがたりょう に りゅうしゃくじ といふ山寺 やまでら あり。 慈覚大師 じかくだいし の開基 かいき にして、殊 ことに 清閑 せいかん の地なり。 一見 いっけん すべきよし、人々 ひとびと のすゝむるに依 より て、尾花沢 おばなざわ よりとつて返 かえ し、その間 かん 七里 しちり ばかりなり。 日いまだ暮 くれ ず。 梺 ふもと の坊 ぼう に宿 やど かり置 おき て、山上 さんじょう の堂 どう にのぼる。 岩に巌 いわお を重(かさ)ねて山とし、松栢 しょうはく 年旧 としふり 土石 どせき 老 おい て苔 こけ 滑 なめらか に、岩上 がんじょう の院々 いんいん 扉 とびら を閉 とじ てものの音きこえず。 岸 きし をめぐり岩を這 はい て仏閣 ぶっかく を拝 はい し、佳景 かけい 寂寞 じゃくまく として心すみ行 ゆ)くのみおぼゆ。 閑 しずか さや 岩にしみ入(い)る 蝉 せみ の声 もがみがわ のらんと、大石田 おおいしだ といふ所 ところ に日和 ひより を待(ま)つ。 「ここに古 ふる き誹諧 はいかい の種 たね こぼれて、忘 わす れぬ花のむかしをしたひ、芦角 ろかく 一声 いっせい の心をやはらげ、この道にさぐりあしして、新古 しんこ ふた道にふみまよふといへども、道しるべする人しなければ」と、わりなき一巻 ひとまき 残 のこ しぬ。 このたびの風流 ふうりゅう ここにいたれり。 もがみがわ もがみがわ はみちのくより出(い)でて、山形 やまがた を水上 みなかみ とす。 ごてん・はやぶさなどいふ、おそろしき難所 なんじょ あり。 板敷山 いたじきやま の北を流 ながれ て、果 はて は酒田 さかた の海に入(い)る。 左右山覆 おお ひ、茂 しげ みの中に舟を下 くだ す。 これに稲 いね つみたるをや、稲舟 いなぶね といふならし。 白糸 しらいと の瀧 たき は青葉 あおば の隙隙 ひまひま に落 おち て仙人堂 せんにんどう 岸 きし に臨 のぞみ て立 たつ。 水みなぎつて舟 ふね あやうし。 五月雨 さみだれ を あつめてはやし もがみがわ はぐろさん 六月三日、 はぐろさん に登る。 図司左吉 ずしさきち といふ者を尋(たず)ねて、別当代 べっとうだい 会覚阿闍利 えがくあじゃり に謁 えっ す。 南谷 みなみだに の別院 べついん に舎 やどり して憐愍 れんみん の情 じょう こまやかにあるじせらる。 四日、本坊 ほんぼう にをゐて誹諧 はいかい 興行 こうぎょう。 ありがたや 雪をかほらす 南谷 みなみだに 五日、権現 ごんげん に詣 もうず。 当山 とうざん 開闢 かいびゃく 能除大師 のうじょだいし はいづれの代 よ の人といふことをしらず。 延喜式 えんぎしき に「羽州 うしゅう 里山 さとやま の神社」とあり。 書写 しょしゃ 、「黒」の字を「里山」となせるにや。 「羽州(うしゅう)黒山 くろやま 」を中略 ちゅうりゃく して「(はぐろさん)」といふにや。 「出羽 でわ 」といへるは、「鳥の毛羽 もうう をこの国の貢 みつぎもの に献 たてまつ る」と風土記 ふどき にはべるとやらん。 がっさん ・湯殿 ゆどの を合わせて三山 さんざん とす。 当寺 とうじ 武江東叡 ぶこうとうえい に属 しょく して天台止観 てんだいしかん の月明 あき らかに、円頓融通 えんどんゆずう の法 のり の灯 ともしび かかげそひて、僧坊 そうぼう 棟 むね をならべ、修験行法 しゅげんぎょうほう を励(はげ)まし、霊山 れいざん 霊地 れいち の験効 げんこう 、人貴 とうとび かつ恐 おそ る。 繁栄 はんえい 長 とこしなえ にして、めでたき御山 おやま といいつべし。 (がっさん) 八日、 がっさん にのぼる。 木綿 ゆう しめ身(み)に引きかけ、宝冠 ほうかん に頭 かしら を包 つつみ 、強力 ごうりき といふものに道びかれて、雲霧山気 うんむさんき の中に氷雪 ひょうせつ を踏 ふみ てのぼること八里 はちり 、さらに日月 じつげつ 行道 ぎょうどう の雲関 うんかん に入(い)るかとあやしまれ、息絶 いきたえ 身 み こごえて頂上 ちょうじょう にいたれば、日没 ぼっし て月顕 あらわ る。 笹を鋪 しき 、篠 しの を枕 まくら として、臥 ふし て明 あく るを待(ま)つ。 日出(い)でて雲消 きゆ れば湯殿 ゆどの に下 くだ る。 谷の傍 かたわら に鍛治小屋 かじごや といふあり。 この国の鍛治 かじ 、霊水 れいすい をえらびてここに潔斎 けっさい して劔 つるぎ を打 うち 、終 ついに がっさん と銘 めい を切 きっ て世に賞 しょう せらる。 かの龍泉 りゅうせん に剣 つるぎ を淬 にらぐ とかや。 干将 かんしょう ・莫耶 ばくや のむかしをしたふ。 道に堪能 かんのう の執 しゅう あさからぬことしられたり。 岩に腰 こし かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半 なか ばひらけるあり。 ふり積 つむ 雪の下に埋 うずもれ て、春を忘れぬ遅 おそ ざくらの花の心わりなし。 炎天 えんてん の梅花 ばいか ここにかほるがごとし。 行尊僧正 ぎょうそんそうじょう の哥 うた の哀 あわ)れもここに思ひ出(い)でて、猶 なお まさりて覚 おぼ ゆ。 そうじてこの山中 さんちゅう の微細 みさい 、行者 ぎょうじゃ の法式 ほうしき として他言 たごん することを禁 きん ず。 よりてて筆(ふで)をとどめて記 しる さず。 坊 ぼう に帰れば、阿闍利 あじゃり のもとめによりて、三山 さんざん 順礼 じゅんれい の句々 くく 短冊 たんじゃく に書く。 涼 すず しさや ほの三か月(みかづき)の (はぐろさん) 雲の峯 みね 幾 いく つ崩(くず)れて 月の山 語 かた られぬ 湯殿 ゆどの にぬらす 袂 たもと かな 湯殿山 ゆどのさん 銭 ぜに ふむ道の 泪 なみだ かな 曽良 そら (つるおか・さかた) 羽黒 はぐろ を立ちて、鶴 つる が岡の城下 じょうか 、長山氏重行 ながやまうじじゅうこう といふもののふの家にむかへられて、誹諧 はいかい 一巻 ひとまき あり。 左吉 さきち もともにに送 おく りぬ。 川舟 かわぶね に乗(の)りて酒田 さかた の湊 みなと に下 くだ る。 淵庵不玉 えんあんふぎょく といふ医師 くすし のもとを宿 やど とす。 あつみ山や 吹浦 ふくうら かけて 夕すずみ 暑 あつ き日を 海にいれたり もがみがわ きさがた 江山 こうざん 水陸 すいりく の風光 ふうこう 数 かず を尽 つく して、今 いま きさがた に方寸 ほうすん を責(せ)む。 酒田 さかた の湊 みなと より東北の方 かた 、山を超(こ)え礒 いそ を伝 つた ひ、いさごをふみて、その際 きわ 十里 じゅうり 、日影 ひかげ ややかたぶくころ、汐風 しおかぜ 真砂 まさご を吹上 ふきあげ 、雨朦朧 もうろう として鳥海 ちょうかい の山かくる。 闇中 あんちゅう に莫作 もさく して、「雨もまた奇 き なり」とせば、雨後 うご の晴色 せいしょく またたのもしきと、蜑 あま の苫屋 とまや に膝 ひざ をいれて雨の晴(は)るるを待(ま)つ。 その朝 あした 、天よく晴れて、朝日 あさひ 花やかにさし出(い)づるほどに、(きさかた)に船をうかぶ。 まず能因嶋 のういんじま に船をよせて、三年 さんねん 幽居 ゆうきょ の跡 あと をとぶらひ、むかふの岸(きし)に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜(さくら)の老木 おいき 、西行法師 さいぎょうほうし の記念 かたみ をのこす。 江上 こうじょう に御陵 みささぎ あり。 神功后宮 じんぐうこうぐう の御墓 みはか といふ。 寺を干満珠寺 かんまんじゅじ といふ。 このところに行幸 みゆき ありしこといまだ聞かず。 いかなることにや。 この寺の方丈 ほうじょう に座 ざ して簾 すだれ を捲 まけ ば、風景 ふうけい 一眼 いちがん の中 うち に尽 つき て、南に鳥海 ちょうかい 天をささえ、その陰 かげ うつりて江 え にあり。 西は(うやむやのせき 、路 みち をかぎり、東に堤 つつみ を築(きず)きて秋田 あきた にかよふ道遥 はるか に、海北にかまえて浪 なみ 打(う)ち入(い)るる所 ところ を汐越 しおこし といふ。 江 え の縦横 じゅうおう 一里 いちり ばかり、俤 おもかげ 松嶋 まつしま にかよひてまた異 こと なり。 松嶋は笑 わろ ふがごとく、はうらむがごとし。 寂 さび しさに悲 かな しみをくはえて、地勢 ちせい 魂 たましい をなやますに似 に たり。 (きさかた)や 雨に西施 せいし が ねぶの花 汐越 しおこし や 鶴 つる はぎぬれて 海涼 すず し 祭礼 さいれい (きさかた)や 料理 りょうり 何くふ 神祭 かみまつり 曽良 そら 蜑 あま の家 や や 戸板 といた を敷 しき て 夕涼 ゆうすずみ みのの国の商人 あきんど 低耳 ていじ 岩上 がんしょう に 雎鳩 みさご の巣 す をみる 波 なみ こえぬ 契(ちぎ)りありてや みさごの巣 す 曽良 (えちごじ) 酒田 さかた の余波 なごり 日を重(かさ)ねて、北陸道 ほくろくどう の雲に望(のぞ)む、遙々 ようよう のおもひ胸 むね をいたましめて加賀 かが の府 ふ まで百卅里 ひゃくさんじゅうり と聞く。 鼠 ねず の関をこゆれば、越後 えちご の地に歩行 あゆみ を改 あらため て、越中 えっちゅう の国市振 いちぶり)の関(せき)にいたる。 この間 かん 九日 ここのか 、暑湿 しょしつ の労 ろう に神 しん をなやまし、病 やまい おこりてことをしるさず。 文月 ふみづき や六日 むいか も常 つね の夜には似 に ず 荒海 あらうみや や 佐渡 さど によこたふ 天河 あまのがわ いちぶり) 今日 きょう は親しらず子しらず・犬もどり・駒返 こまがえ しなどいふ北国一 ほっこくいち の難所 なんじょ を超(こ)えてつかれはべれば、枕 まくら 引(ひ)きよせて寐 ね たるに、一間 ひとま 隔(へだ)てて面 おもて の方 かた に若(わか)き女の声二人 ふたり ばかりと聞こゆ。 年老 としおい たる男(おのこ)の声も交 まじり て物語 ものがたり するを聞けば、越後 えちご の国新潟 にいがた といふ所(ところ)の遊女 ゆうじょ なりし。 伊勢 いせ 参宮 さんぐう するとて、この関 せき まで男(おのこ)の送 おく りて、あすは古郷 ふるさと にかへす文 ふみ したためて、はかなき言伝 ことづて などしやるなり。 「白浪 しらなみ のよする汀 みぎわ に身(み)をはふらかし、あまのこの世(よ)をあさましう下 くだ りて、定 さだ めなき契(ちぎ)り、日々 ひび の業因 ごういん いかにつたなし」と、ものいふを聞く聞く寝入 ねいり て、あした旅立 たびだつ に、我々 われわれ にむかひて、「行衛 ゆくえ しらぬ旅路 たびじ のうさ、あまり覚束 おぼつか なう悲 かな しくはべれば、見えがくれにも御跡 おんあと をしたひはべらん。 衣 ころも の上の御情 おんなさけ に、大慈 だいじ のめぐみをたれて結縁 けちえん せさせたまへ」と泪 なみだ を落(お)とす。 不便 ふびん のことにははべれども、「我々(われわれ)は所々 ところどころ にてとどまる方 かた おほし。 ただ人の行 ゆ)くにまかせて行 ゆ)くべし。 神明 しんめい の加護 かご かならずつつがなかるべし」といひ捨 すて て出(い)でつつ、哀 あわ)れさしばらくやまざりけらし。 一家 ひとつや に 遊女 ゆうじょ もねたり 萩 はぎ と月 曽良 そら にかたれば、書 かき とどめはべる。 (えっちゅうじ) 黒部(くろべ)四十八ヶ瀬 しじゅうはちがせ とかや、数 かず しらぬ川をわたりて、那古 なご といふ浦 うら に出(い)づ。 担籠 たご の藤浪 ふじなみ は春ならずとも、初秋 はつあき の哀 あわ)れとふべきものをと人に尋(たず)ぬれば、「これより五里 ごり いそ伝 づた ひして、むかふの山陰 やまかげ にいり、蜑 あま の苫 とま ぶきかすかなれば、蘆 あし の一夜 ひとよ の宿 やど かすものあるまじ」といひをどされて、加賀(かが)の国に入(い)る。 わせの香 か や 分入 わけいる 右は 有磯海 ありそうみ (かなざわ・こまつ) 卯 う の花山・くりからが谷をこえて、金沢 かなざわ は七月中の五日 いつか なり。 ここに大坂 おおざか よりかよふ商人 あきんど 何処 かしょ といふ者 もの あり。 それが旅宿 りょしゅく をともにす。 一笑 いっしょう といふものは、この道にすける名のほのぼの聞えて、世(よ)に知人 しるひと もはべりしに、去年 こぞ の冬早世 そうせい したりとて、その兄追善 ついぜん をもよおすに、 塚 つか も動 うご け 我 わが 泣 なく 声は 秋の風 ある草庵 そうあん にいざなはれて 秋涼(すず)し 手ごとにむけや 瓜 うり 茄子 なすび 途中吟 とちゅうぎん あかあかと 日はつれなくも 秋の風 小松 こまつ といふ所 ところ にて しほらしき 名や小松 こまつ ふく 萩 はぎ すすき この所 ところ 太田 ただ の神社(じんじゃ)に詣 もうず。 真盛 さねもり が甲 かぶと ・錦 にしき の切 きれ あり。 往昔(そのむかし)源氏 げんじ に属 しょく せし時、義朝公 よしともこう よりたまはらせたまふとかや。 げにも平士 ひらさむらい のものにあらず。 目庇 まびさし より吹返 ふきがえ しまで、菊唐草 きくからくさ のほりもの金 こがね をちりばめ、龍頭 たつがしら に鍬形 くわがた 打(う)ったり。 真盛 さねもり 討死 うちじに の後 のち 、木曽義仲 きそよしなか 願状 がんじょう にそへてこの社 やしろ にこめられはべるよし、樋口 ひぐち の次郎 じろう が使 つかい せしことども、まのあたり縁記 えんぎ にみえたり。 むざんやな 甲 かぶと の下の きりぎりす (なた・やまなかおんせん) 山中 やまなか の温泉 いでゆ に行 ゆ)くほど、白根が嶽 しらねがだけ 跡 あと にみなしてあゆむ。 左の山際 やまぎわ に観音堂 かんのんどう あり。 花山 かざん の法皇 ほうおう 三十三所 さんじゅうさんしょ の順礼 じゅんれい とげさせたまひて後 のち 、大慈大悲 だいじだいひ の像 ぞう を安置 あんち したまひて、那谷 なた と名付 なづけ たまふとなり。 那智 なち ・谷組 たにぐみ の二字 にじ をわかちはべりしとぞ。 奇石 きせき さまざまに、古松 こしょう 植 うえ ならべて、萱 かや ぶきの小堂 しょうどう 岩の上に造 つく りかけて、殊勝 しゅしょう の土地なり。 石山 いしやま の 石より白し 秋の風 温泉 いでゆ に浴 よく す。 その功 こう 有明 ありあけ につぐといふ。 山中 やまなか や 菊 きく はたおらぬ 湯 ゆ の匂 におい あるじとするものは久米之助 くめのすけ とていまだ小童 しょうどう なり。 かれが父誹諧 はいかい を好 この み、洛 らく の貞室 ていしつ 若輩 じゃくはい のむかしここに来たりしころ、風雅 ふうが に辱 はずか しめられて、洛に帰 かえり て貞徳 ていとく の門人 もんじん となつて世 よ にしらる。 功名 こうみょう の後 のち 、この一村 いっそん 判詞 はんじ の料 りょう を請 うけ ずといふ。 今更 いまさら むかし語 がたり とはなりぬ。 曽良 そら は腹 はら を病 やみ て、伊勢 いせ の国長嶋 ながしま といふ所(ところ にゆかりあれば、先立 さきだち て行 ゆ)くに、 行行 ゆきゆき て たふれ伏 ふす と も萩 はぎ の原 曽良 と書置 かきおき たり。 行 ゆ)くものの悲 かな しみ、残(のこ)るもののうらみ、隻鳧 せきふ のわかれて雲にまよふがごとし。 よもまた、 今日よりや 書付 かきつけ 消 け さん 笠 かさ の露 つゆ 大聖持 だいしょうじ の城外 じょうがい 、全昌寺 ぜんしょうじ といふ寺にとまる。 なお加賀 かが の地なり。 曽良 そら も前の夜この寺に泊 とまり て、 終宵 よもすがら 秋風 あきかぜ 聞くや うらの山 と残 のこ す。 一夜 いちや の隔(へだ)て、千里に同じ。 われも秋風 あきかぜ を聞きて衆寮 しゅりょう にふせば、明 あけ ぼのの空近 ちこ う、読経 どきょう 声すむままに、鐘板 しょうばん 鳴 なり て食堂 じきどう に入(い)る。 今日は越前 えちぜん の国へと、心早卒 そうそつ にして堂下 どうか に下るを、若 わか き僧 そう ども紙・硯 すずり をかかえ、階 きざはし のもとまで追 おい 来たる。 折節 おりふし 庭中 ていちゅう の柳 やなぎ 散 ち れば、 庭 にわ 掃 はき て 出(い)でばや寺に 散 ちる 柳 やなぎ とりあへぬさまして草鞋 わらじ ながら書 かき 捨 す つ。 (しおこしのまつ) 越前 えちぜん の境 さかい 、吉崎 よしさき の入江 いりえ を舟に棹 さおさ して汐越 しおこし の松を尋 たず ぬ。 終宵 よもすがら 嵐 あらし に波 なみ をはこばせて月をたれたる汐越の松 西行 さいぎょう この一首 いっしゅ にて数景 すけい 尽 つき たり。 もし一辧 いちべん を加 くわう るものは、無用 むようの の指を立 たつ るがごとし。 (てんりゅうじ・えいへいじ) 丸岡 まるおか 天龍寺 てんりゅうじ の長老 ちょうろう 、古き因 ちなみ あれば尋 たず ぬ。 また金沢の北枝 ほくし といふもの、かりそめに見送 みおく りて、このところまでしたひ来たる。 ところどころの風景 ふうけい 過 すぐ さず思ひつづけて、折節 おりふし あはれなる作意 さくい など聞こゆ。 今すでに別 わかれ に望 のぞ みて、 物書 ものかき て 扇 おうぎ 引(ひ)きさく なごりかな 五十丁 ごじっちょう 山に入(い)りて えいへいじ を礼 らい す。 道元禅師 どうげんぜんじ の御寺 みてら なり。 邦機 ほうき 千里 せんり を避 さけ て、かかる山陰 やまかげ に跡(あと)をのこしたまふも、貴 とうと きゆへありとかや。 (ふくい) 福井 ふくい は三里 さんり 計 ばかり なれば、夕飯 ゆうめし したためて出(い)づるに、たそがれの道たどたどし。 ここに等栽 とうさい といふ古き隠士 いんじ あり。 いづれの年にか江戸 えど に来たりてよを尋(たず)ぬ。 遥 はるか 十 と とせあまりなり。 いかに老 おい さらぼひてあるにや、はた死 しに けるにやと人に尋(たず)ねはべれば、いまだ存命 ぞんめい してそこそこと教 おし ゆ。 市中 しちゅう ひそかに引入 ひきいり て、あやしの小家 こいえ に夕顔 ゆうがお ・へちまのはえかかりて、鶏頭 けいとう はは木々 ははきぎ に戸 と ぼそをかくす。 さてはこのうちにこそと門 かど を扣 たたけ ば、侘 わび しげなる女の出(い)でて、「いづくよりわたりたまふ道心 どうしん の御坊 ごぼう にや。 あるじはこのあたり何がしといふものの方 かた に行 ゆき ぬ。 もし用あらば尋(たず)ねたまへ」といふ。 かれが妻 つま なるべしとしらる。 むかし物がたりにこそかかる風情 ふぜい ははべれと、やがて尋(たず)ねあひて、その家に二夜 ふたよ とまりて、名月 めいげつ はつるがのみなとにとたび立 だつ。 等栽 とうさい もともに送 おく らんと、裾 すそ おかしうからげて、道の枝折 しおり とうかれ立 たつ。 (つるが) 漸 ようよう 白根 しらね が嶽 だけ かくれて、比那 ひな が嵩 だけ あらはる。 あさむづの橋をわたりて、玉江 たまえ の蘆 あし は穂 ほ に出(い)でにけり。 鴬 うぐいす の関 せき を過 すぎ て湯尾峠 ゆのおとうげ を越 こゆ れば、燧 ひうち が城 じょう 、かへるやまに初鴈 はつかり を聞きて、十四日の夕ぐれつるがの津 つ に宿 やど をもとむ。 その夜、月ことに晴(は)れたり。 「あすの夜もかくあるべきにや」といへば、「越路 こしじ のならひ、なお明夜 めいや の陰晴 いんせい はかりがたし」と、あるじに酒すすめられて、けいの明神 みょうじん に夜参 やさん す。 仲哀天皇 ちゅうあいてんのう の御廟 ごびょう なり。 社頭 しゃとう 神 かん さびて、松の木 こ の間 ま に月のもり入 はいり たる、おまへの白砂 はくさ 霜 しも を敷 しけ るがごとし。 「往昔(そのむかし)遊行二世 ゆぎょうにせ の上人 しょうにん 、大願発起 たいがんほっき のことありて、みづから草を刈 かり 、土石 どせき を荷 にな ひ、泥渟 でいてい をかはかせて、参詣 さんけい 往来 おうらい の煩 わずらい なし。 古例 これい 今にたえず。 神前 しんぜん に真砂 まさご を荷 にな ひたまふ。 これを遊行(ゆぎょう)の砂持 すなもち ともうしはべる」と、亭主 ていしゅ のかたりける。 月清 きよ し 遊行のもてる 砂の上 十五日、亭主の詞 ことば にたがはず雨降 あめふる。 名月 めいげつや や 北国 ほっこく 日和 びより さだめなき いろのはま 十六日、空 そら 霽 はれ たれば、ますほの小貝 こがい ひろはんと種の浜 いろのはま に舟を走 は す。 海上 かいじょう 七里 しちり あり。 天屋 てんや 何某 なにがし といふもの、破籠 わりご ・小竹筒 ささえ などこまやかにしたためさせ、しもべあまた舟にとりのせて、追風 おいかぜ 時のまに吹(ふ)き着(つ)きぬ。 浜(はま)はわづかなる海士 あま の小家 こいえ にて、侘 わび しき法花寺 ほっけでら あり。 ここに茶を飲 のみ 、酒をあたためて、夕ぐれのさびしさ感 かん に堪 たえ たり。 寂 さび しさや 須磨 すま にかちたる 浜(はま)の秋 波の間 ま や 小貝にまじる 萩 はぎ の塵 ちり その日のあらまし、等栽 とうさい に筆(ふで)をとらせて寺に残(のこす)。 (おおがき) 露通 ろつう もこのみなとまで出(い)でむかひて、みのの国へと伴 ともな ふ。 駒 こま にたすけられて大垣 おおがき の庄 しょう に入(い)れば、曽良 そら も伊勢 いせ より来たり合い、越人 えつじん も馬をとばせて、如行 じょこう が家に入(い)り集(あつ)まる。 前川子 ぜんせんし ・荊口父子 けいこうふし 、そのほかしたしき人々日夜とぶらひて、蘇生 そせい のものに会ふがごとく、かつ悦 よろこ び、かついたはる。 旅(たび)のものうさも、いまだやまざるに、長月 ながつき 六日 むいか になれば、伊勢 いせ の遷宮 せんぐう おがまんと、また舟にのりて、 蛤 はまぐり の ふたみにわかれ 行 ゆ)く秋ぞ.

次の

おくのほそ道 冒頭『漂白の思い(漂泊の思ひ)』現代語訳と解説 / 古文 by 春樹

おく の ほそ 道 冒頭

今回は 『おくのほそ道』。 名作です。 はじめに 以前、本屋でからビギナーズ・クシリーズとして出版されているものがずらっと並べてあるのを眺めていたとき、「そういえば『おくのほそ道』を全部読んだことはないな…」と思い、買ってみました。 他にも何冊か平行して読んでいたので、結局読み終えるのに1ヶ月弱かかってしまったんですが、やはり旅の話はそれくらいゆっくり読んだ方が時間の流れを感じられていいですね。 おくのほそ道と言えば、中学の国語の時間に冒頭文を暗唱した記憶があります。 「月日は百代の過客にして…」という中国の詩人のを取り入れた文で始まりましたよね。 当時はテストに出そうな所はどこかな…ということばかり考えて暗記していただけでしたが、今こうしてじっくりと読んでみると、なんとも当時のの心意気が伝わってくるようでしみじみとします。 本書の概要 さてさて、このビギナーズ・クシリーズは非常に古典初心者でも理解しやすい造りになっています。 原文には総ルビが降ってあるので古典が苦手でもスラスラと読め、得意な人も明快な解説とコラムで楽しめるはず。 内容は言うまでもないかもしれませんが、が弟子のと伴に江戸を出発し、奥州・北陸を巡り、大垣に到着するまでを記した日記といったところでしょうか。 なかなか僕では言葉足らずなところがあるので、先生の力を少し借りましょう。 おくのほそ道()は、が崇拝するの500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人のを伴って江戸を発ち、奥州、を巡った旅行記である[1]。 全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って[1]、元禄4年(1691年)に江戸に帰った。 「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、、出羽、越後、、加賀、越前を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。 の日記も、没後数百年を経て本とともに発見されている。 注目ポイント&感想 まず一つ目のポイントは、の 旅への強い思いです。 本著の冒頭で 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。 (中略)古人も多く旅に死せるあり。 」 と言っている通り、にとって時間とは常に流れゆく旅人のようであり、その中で生きる我々の人生も旅そのものなのだということです。 またこの作品のラストの話になってしまうので、まだ読んでいない方は要注意ですが、最終大垣に辿り着き多くの知人がを迎え、労うシーンがあります。 ようやく長い旅も終わりか…と一瞬ホッとしますが、次の瞬間、長旅の疲れもとれないままと前置きした上でへ参拝するため舟に乗り込むのです。 まさにこれがの生き様というものですね。 単なる旅好きという訳ではもちろんなく、彼にとっては 旅こそが人生であり、その中で様々な史跡を訪ね、人と交流し、俳句を詠んでいく…それを生きがいだと考えたのでしょう。 常に変わり続ける儚い無常の世界で、自らも動き続け、その変化を見つめる。 なかなかこんな考え方は出来ないと思ってしまいましたが、何もいろんな土地を検分するということだけが旅ではないはずです。 時間=旅人=人生。 自分だけの素晴らしい旅を見つけ、送りたいものです。 そして次に、 武士道精神を重んじる態度です。 は農民が多い町で無足人と呼ばれる準武士階級の名家に生まれました。 しかし時代はによるが確立し安定しだしており、武士として生きていく道はありません。 父からは幼少期に戦乱の悲劇を聞かされ、武士として散っていった人々への思いが強くなっていったそう。 この旅の道中でも武士に対する念が現れている句がいくつもあります。 笈 おい も太刀も 五月に飾れ 紙幟 これはある寺での太刀や弁慶の笈 山伏が旅をする時に背負う箱 が保管されているのを見たとき、鯉のぼりと一緒に飾っておくれという念願を詠んだものです。 二人の悲痛な最期に対する悲憤が感じられます。 このときはとして誉れ高い佐藤氏の旧跡を訪ねており、涙を流して見て回りました。 詳しくは本著の解説を読んで欲しいのですが、忠勇義烈の精神で生きた当時の武士たちに対する思いは並々ならぬものだったようです。 夏草や 兵どもが 夢の跡 有名すぎる一句です。 草の生い茂る中で、かつてここで戦い滅んでいった武士たちの姿を重ね合わせています。 「生命力旺盛な夏草と、はかなくもろい夢との取り合わせが、悲涙を誘う。 兵どもの鎮魂句である。 」(本書p. 120より引用) このように、戦乱の世を生き、そして儚く散っていった武士たちに対する敬意を持ち、文字通り死を厭わぬ覚悟で旅を生きがいとしたの精神力は途轍もないものでした。 また、当然楽しいだけが旅ではありません。 数々の困難がおとずれるのも見どころの一つです。 目的地の一つ平泉を満喫した後は山越えの難所になります。 その際風雨のため結局三日も馬を飼っている家に泊めてもらったときは、 蚤虱 馬の尿 ばり する 枕もと と一変して環境が変わったことを半ばあきれた調子で詠んでいます。 また、旅も後半に差し掛かった時に同伴していたが病気になり、別れなければならなくなる場面も。 悲しみに耐えながらも覚悟を新たに旅を続けるの心中がまざまざと思い浮ような句も詠んでいます。 ここでもっと紹介したい句はたくさんあるのですが、自分で読み進める充実感を味わってほしい作品でもあるので、このあたりにしておこうと思います。 最後に 人生そのものを旅と考え、を追及し続けた。 旅や執筆活動での心身の疲労が積もり、51歳の時大坂で発病した一月後にその生涯を終えます。 おくのほそ道の旅から300年以上経った今でも、こうして日本中世界中の人々に読み継がれている魂のこもった文章を味わえることは幸福でしかありません。 秋の夜長に もう冬直前だけど じっくりと読み耽りたい一冊でした。

次の