枕草子 現代語訳 雪のいと高う降りたるを。 枕草子~雪のいと高うはあらで~

『枕草子』の現代語訳:125

枕草子 現代語訳 雪のいと高う降りたるを

[ 現代語訳 ] 雪がたいそう高く降り積もっているのに、いつもと違って御格子をお下げして、角火鉢に火をおこして、話などして、集まってお仕えしていると、「少納言よ、香炉峰の雪は、どんなふうですか。 」とおっしゃるので、御格子を上げさせて、御簾を高く巻き上げたところ、お笑いになる。 人々も、「そのようなことは知り、歌などにまで歌うが、思いもよらなかった。 やはりこの中宮様にお仕えする者としては、ふさわしい人のようだ。 」と言う。 [ 原文 ] 雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子参らせて、炭櫃に火おこして、物語などして、集まり候ふに、「少納言よ、香炉峰の雪、いかならむ。 」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせ給ふ。 人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。 なほこの宮の人には、さべきなめり。 」と言ふ。

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枕草子「雪のいと降りたるを」 問題

枕草子 現代語訳 雪のいと高う降りたるを

『枕草子』の現代語訳:101 『枕草子』の現代語訳:101 清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた 『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。 『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。 このウェブページでは、『枕草子』の『雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。 参考文献 石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫) スポンサーリンク [古文・原文] 176段 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また、雪のいと高う降り積りたる夕暮より、端近う、同じ心なる人、二、三人ばかり、火桶(ひおけ)を中に据ゑて物語などするほどに、暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、大かたの雪の光いと白う見えたるに、火箸(ひばし)して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも言ひあはせたるこそ、をかしけれ。 宵もや過ぎぬらむと思ふほどに、沓(くつ)の音近う聞ゆれば、怪しと、見出したるに、時々、かやうの折におぼえなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事に障りて、その所に暮しつる」など言ふ。 「今日来む」などやうの筋をぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座(わらふだ)ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞ゆるまで、内にも外にも、この言ふ事は、飽かずぞおぼゆる。 明暮のほどに帰るとて、「雪、何の山に満てり」と誦(ず)じたるは、いとをかしきものなり。 女の限りしては、さも、え居明さざらまし(あかさざらまし)を、ただなるよりは、をかしう好きたる有様など言ひあはせたり。 楽天AD [現代語訳] 176段 雪がそんなに高くはなくて、うっすらと降った様子などは、とても風情があるものだ。 また、雪がとても高く降り積もった夕暮れから、部屋の端に近いところで、気の合う人、2~3人ほどで、火桶を中において雑談などしているうちに、暗くなったけれど、こちらには火もともさないのに、おおむね雪の光でとても白く明るく見えている、火箸で灰をいたずらに掻いて、しみじみとした話や面白い話を何でも話し合っていたのが、趣深い感じだった。 宵も過ぎたかと思う頃に、靴の音が近く聞こえるので、あやしいと思って外を見ると、時々、こうした晩に連絡もなくひょっこりと姿を見せる人であった。 「今日の大雪を、どうしておられるかとご心配申し上げながら、何ということもない用事の障りがあって、どこそこで一日を過ごしていました。 」などと言う。 「今日来む」というあの歌の筋を踏まえた言葉であるらしい。 昼間にあったことなどから始めて、色々な話をする。 円座(ざぶとん)を差し出したけれど、一方の足を地面に下ろしたままで、鐘の音などが聞こえる頃まで、部屋の中でも外でも、こうして話し合っている事には、飽きるということがないように思われた。 明け方になって帰りがけに、「雪、何とかいう山に満てり」と詩を吟詠したのは、とても風流なことである。 女だけの集まりでは、そんなに、一晩中雑談で明かすことなどできないだろうが、男性が加わると、女性も風流で情趣のある様子などを語り合うようになるものだ。 スポンサーリンク [古文・原文] 177段 村上の先帝の御時に、雪のいみじう降りたりけるを、様器(ようき)に盛らせ給ひて、梅の花をさして、月いと明きに、「これに、歌詠め。 いかが言ふべき」と、兵衛の蔵人に賜はせたりければ、「雪月花(せつげつか)の時」と奏したりけるをこそ、いみじうめでさせ給ひけれ。 「歌など詠むは、世の常なり。 かく、折にあひたる事なむ、言ひ難き」とぞ、仰せられける。 同じ人を御供にて、殿上に人侍はざりけるほど、佇ませ給ひけるに、火櫃(ひびつ)に煙の立ちければ、「かれは何ぞと、見よ」と、仰せられければ、見て、帰りまゐりて、 わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり と奏しけるこそ、をかしけれ。 蛙の飛び入りて焼くるなりけり。 楽天AD [現代語訳] 177段 村上の先帝の御代に、雪がとても多く降ったのを、様器(うつわ)にお盛りになられて、梅の花を挿して、月がとても明るい時だったが、「これについて歌を詠め。 どんな風に詠みますか。 」と、兵衛の蔵人にお題を下されたところ、「雪月花の時」と申し上げたのを、とてもお褒めになられた。 「(綺麗な雪景色を見て)歌などを詠むのは、世の中で当たり前のことである。 このように、その時にぴったりと合っている事は、なかなか言えないものだぞ。 」と、帝はおっしゃられた。 同じ兵衛の蔵人をお供にして、殿上の間に人が誰も参上していなかった時、ぶらぶらとされていたところ、火櫃(ひびつ)に煙が立っていたので、「あれは何なのか、見てこい。 」とおっしゃられたので、見てきて、帰ってきて、 わたつ海の沖にこがるる物見ればあまの釣してかへるなりけり と申し上げたのは、機知が効いていて面白い。 蛙が飛び込んで焼けていたのだった。

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雪のいと高う降りたるを 現代語訳・品詞分解・原文

枕草子 現代語訳 雪のいと高う降りたるを

先日(2016. 18)横浜でも雪が降りました。 初雪です。 まあ、自分が起きたときにはやんでたし、雪はほとんど溶けてましたけどね。 でも、また明日の夕方に降るとか? 「ひらけ!ポンキッキ」の歌、「いちばんロック」です。 【現代語訳】 雪がそんなに高くなく、うっすらと降り積もっているのはとっても風情があるわ。 また、雪が非常に高く積もっている夕暮れ時から、 縁側近くで、気の合う三人くらいの友だちと火鉢を囲んで話をしているうちに暗くなって、 でも室内には灯火もつけず、外は雪明かりがとても白く見えていて、 意味もなく火箸で灰をかき混ぜたりしながら、しみじみすることや面白いことなんかを話しているのが楽しいのよね。 宵も過ぎたかな、と思う時分に、沓の音が近づいてくるのが聞こえるので、 何だろうと不思議に思って見てみると、時々、このような時に思いがけずやってくる人だったりして。 「今日の雪をどう過ごしているだろうと思いを馳せながら、つまらないことに妨げられてどこそこで過ごしていました」 とか言うの。 山里は雪降り積みて道もなし今日来む人をあはれとは見む 〔山里は雪が降り積もって道もない。 そのような中、今日やって来る人を真心のある人だと思おう〕 なんていう歌を踏まえて言っているみたいね。 昼にあったことなどをはじめとして、色々なことを話してくれるの。 座布団を差し出しても、片足は外に垂らしたまま縁側に腰掛けていて、夜明けの鐘の音なども聞こえるまで話す、 こういうお喋りは部屋の内でも外でも飽きることがないわ。 その人が、まだ暗い夜明け前に帰ると言って、「雪、なにの山に満てり」と吟唱したのは非常に風情があるものね。 女だけではそんな風に夜を明かすことはできないでしょう。 こうして風流な男が加わると、女だけでいるよりも面白くて、 男が帰った後まで、その風流な有り様などを話し合ったりするの。 雪にまつわる『枕草子』の一節です。 中盤から出てくる男の話は、実際に清少納言が経験したことなのか、あるいは理想像として書いたものなのか。 どっちとも取れるように訳しておいたつもりです。 さて、雪は古代の人の心も動かしていました。 前にもこのブログで紹介したことがある歌ですが、雪は吉兆ともされていました。 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事 大伴家持の歌です。 雪見のために、雪に足跡を付けないようにするとか、 または今の「雪だるま」のような感覚で雪を大きな塊にする「雪まろばし」などという遊びもありました。 今回と同じ『枕草子』には、「雪がいつまで溶けずに残るか」という予想をして楽しんでいる描写もあります。 雪は現代人にとっても特別な感情をかき立てるものがあります。 もちろん、雪国の人にとっての雪と、そうでない地域の人にとっての雪とでは違いますが。 明日は本当に降るのかな? 【現文】 雪のいと高うはあらで、薄らかに降りたるなどは、いとこそをかしけれ。 また雪のいと高う降り積もりたる夕暮より、端近う、同じ心なる人三人ばかり、火桶を中にすゑて物語などするほどに、 暗うなりぬれど、こなたには火もともさぬに、おほかたの雪の光、いと白う見えたるに、 火箸して灰など掻きすさみて、あはれなるもをかしきも、言ひあはせたるこそをかしけれ。 宵もや過ぎぬらんと思ふほどに、沓の音近う聞こゆれば、 あやしと見出だしたるに、時々かやうの折に、覚えなく見ゆる人なりけり。 「今日の雪を、いかにと思ひやりきこえながら、なでふ事にさはりてその所に暮らしつる」 など言ふ。 「今日来ん人を」などやうのすぢをぞ言ふらむかし。 昼ありつる事どもなどうちはじめて、よろづの事を言ふ。 円座ばかりさし出でたれど、片つ方の足は下ながらあるに、鐘の音なども聞こゆるまで、 内にも外にもこの言ふことには飽かず覚ゆる。 あけぐれのほどに帰るとて、「雪なにの山に満てり」と誦じたるは、いとをかしきものなり。 女のかぎりしては、さもえ居明かさざらましを、 ただなるよりはをかしう、好きたるありさまなど、言ひあはせたり。

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