いて が み ばく。 野沢直子 おーわだばく 歌詞&動画視聴

爆笑問題

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概要 [ ] 中国で「獏(貘)」は古くから文献に見えるが、どんな動物であるかについては文献によって一定しない。 『』釈獣には「白豹」であるといい、『』には「熊に似て黄黒色、蜀中()に住む」(『爾雅』疏に引く『』も同様だが「白黄色」とする)であるという。 『爾雅』の注には「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる」とあり、を指したようである。 『説文解字注』でも「今も四川省にいる」とあるので、やはりパンダである模様。 後に、白黒まだらであることからと混同され、また金属を食べるという伝説が大きく取り上げられることになった。 『』にも引かれている「貘屏賛」序によると、鼻は、目は、尾は、脚はにそれぞれ似ているとされる。 中国の獏伝説では悪夢を食らう描写は存在せず、獏の毛皮をやに用いると疾病や悪気を避けるといわれ、獏の絵を描いて邪気を払う風習もあり、代にはに獏が描かれることもあった。 こうしたが日本に伝わるにあたり、「悪夢を払う」が転じて「悪夢を食べる」と解釈されるようになったと考えられている。 『後漢書』や 『』の注に 伯奇(はくき)が夢を食うといい 、これが獏と混同されたとの説もある。 なおこの「伯奇」を「莫奇」と書いてある文献もあるが、江戸時代の小島成斎『酣中清話』の記載を孫引きしたもののようである。 日本の末期には、獏の図や文字は縁起物として用いられた。 に良いを見るためにの下にの絵を敷く際、悪い夢を見ても獏が食べてくれるようにと、船の帆に「獏」と書く風習も見られた。 江戸時代には獏を描いた札が縁起物として流行し、箱枕に獏の絵が描かれたり 、獏の形をした「獏枕」が作られることもあった。 中国の聖獣・と混同されることもある。 のにあるも、本来は白澤の像とされている。 近年のフィクションで獏もしくはそれをイメージしたキャラクターが悪役として出る場合は、伝承とは逆転して良い夢を食べて絶望に追いやったり、悪夢を見せたりすることが多い。 実在の動物との関連 [ ] バク科の哺乳類のは、この伝説上の獏と姿が類似する事から、この名前がついた。 このことから、古代中国にはバク()が生息しており、後世において絶滅したがために、伝説上の動物・獏として後世に伝わった可能性も否定はできない。 なお古代中国においては、他にも()ややや()が生息しており、の野生ゾウの個体群を除けばその後に絶滅している。 またのモデルとなったはである。 脚注 [ ] []• 荒木達雄「」『東京大学中国語中国文学研究所紀要』第9号、2006年、 1-22頁。 『』巻22・貘屏賛序。 「貘者、象鼻・犀目・牛尾・虎足、生南方山谷中。 寝其皮辟温、図其形辟邪。 135• , p. 479. 259-261• 「伯奇食夢」• 等『』巻14・太常寺。 「伯奇食夢」• 142• 小島知足. 貘食夢. (古典籍総合データベース) 参考文献 [ ]• 『図説・日本未確認生物事典』、1994年。 『日本俗信辞典 動・植物編』、1982年。 日野巌『動物妖怪譚』下、〈〉、2006年(原著1926年)。 編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年。

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爆笑問題 BAKUSHO MONDAI メンバー 別名 爆笑、爆問 結成年 事務所 活動時期 1988年 - 出身 の 影響 、 出会い 現在の活動状況 テレビ・ラジオ 芸種 、 ネタ作成者 太田光 現在の代表番組 テレビ番組 () () ラジオ番組 (日) (火) 特別番組 など 過去の代表番組 など 同期 など 公式サイト 受賞歴 ・:受賞 ・:初代チャンピオン ・1994年:日本映画プロフェッショナル大賞 新人奨励賞(太田光) ・:花形演芸大賞 銀賞受賞 ・:国立演芸場花形演芸大賞 金賞受賞 ・1998年: 芸能賞受賞 ・:浅草芸能大賞 新人賞受賞 ・:国立演芸場花形演芸大賞 審査員特別賞受賞 ・2000年:大賞 銀賞受賞 ・:国立演芸場花形演芸大賞 特別大賞受賞 ・:が似合う著名人 芸能・ファッション部門(太田光) ・2006年:芸術選奨文部科学大臣賞 放送部門受賞 ・:(太田光) ・:日本大学藝術学部 日藝賞受賞 ・:第5回 マニフェスト大賞 審査委員長特別賞 ・:喜劇人大賞特別賞受賞 ・:(田中裕二) ・:ラジオ部門DJパーソナリティー賞 爆笑問題(ばくしょうもんだい)は太田光と田中裕二の2人から成るの男性。 所属は。 略称は 爆笑、 爆問など。 メンバー [ ]• (おおた ひかり、 1965-05-13 (55歳) - ) - ・漫才ネタ作成担当• (たなか ゆうじ、 1965-01-10 (55歳) - ) - 担当 芸歴 [ ]• 演劇学科の在学中に出会い、中退後のに結成。 暦年の年齢は同じだが、田中の方がであるため、1学年上となっている。 太田はから現役で、田中はから一浪で日芸の演劇学科に合格して、同期生となる。 主催のでデビュー。 その場でにスカウトされる。 、などと共に「との狭間の世代の代表」と言われる。 放送のの『』でテレビデビュー。 以降順調にレギュラーを増やし、若手芸人のホープとなる。 全盛の時代に、「進路指導室」「東京の不動産屋」などの作り込まれたコントで注目を集めるが、次第にを主体とするようになる。 太田の毒に満ちたボケと田中のストレートなツッコミという正統的漫才で人気を集めた。 に太田プロから独立。 理由はスカウトした人物にそそのかされた事と、自らがやりたい仕事をやりたかったことが挙げられている。 しかし、この独立は一方的に辞める形だったため、太田プロの怒りを買い、一時的にがなくなりからも姿を消す。 当時のことについては「自分たちが全面的に悪かった」「面白ければ仕事がなくなることはないだろうと思っていた」と語っている。 また、この時期、田中は主に()ので、太田は妻ののアルバイトや・での稼ぎで生計を立てていた。 太田はが非常に苦手で、レジのバイトをすると客から苦情を言われないようにと釣銭を多く渡す等、まともにアルバイトせず、借金取りから逃げる為に居留守を使う目的で家に引き篭り漬けの日々だった。 また、田中が売れ残ったコンビニを届ける際にも顔を出さなかった。 一方、田中は実家に住んでいたために困る事はなく、アルバイトの方も「このままにならないか」と声をかけられるほどの仕事ぶりであった。 しかし、3年間全く仕事がなかった訳ではなく、テレビは事務所の力関係のないと(現・)の番組への出演が中心となり 、俳優業なども行い番組『』では脚本(太田)・出演(太田、田中)、オムニバス『』(プロデュース)の中の1本では監督(太田)を務めた。 また、お笑い活動では営業として数多くの予餞会でネタを披露した。 自称「日本一予餞会に出た芸人」。 に自らの「」を設立。 には元芸人で太田の妻のが就き、同年を受賞。 には、『』(系)で10週勝ち抜き初代チャンピオンになり再ブレイクのきっかけを果たした。 『』(フジテレビ系)の「ボキャブラ発表会 ザ・ヒットパレード」に出演。 この番組で、、をはじめとする当時キャブラーと呼ばれた若手芸人たちの出世頭となり、再ブレイクのきっかけをつかむ。 『』では初代名人に。 当時のキャッチフレーズは「不発の」。 ネタは太田が書いているが、『ボキャブラ』のネタは田中が多く書いていた。 そもそも、田中が作っていたのはダジャレの部分だけであり、そのダジャレを際立たせるコント部分は太田が作っていた。 、コンビ結成20周年。 2月発売の『』76号()にによるロングが掲載。 また、系で同年・に「爆笑問題結成20周年記念 2夜連続特別企画」として、『』および『』の2時間特番が放送され、様々なコンビ結成以来の映像や、秘話が紹介された。 『検索ちゃん』SPでは司会の太田のテンションは最高で、2時間番組の収録に9時間を費やし、後半は太田の声が嗄れてしまう程で、ら出演者から「司会技術がない! 」「いい加減に終われ! 」とが出る始末であった。 番組の最後で、出演芸人達が答える「爆笑問題の弱点」が発表されたが、それは「太田の喋りが長すぎる」というものであった。 受賞歴 [ ]• :受賞• :10週勝ち抜き初代チャンピオン• 1994年:日本映画プロフェッショナル大賞・新人奨励賞を太田光が受賞• :花形演芸会 銀賞受賞• :国立演芸場花形演芸会 金賞受賞• 1998年:芸能賞受賞• :浅草芸能大賞新人賞受賞• :国立演芸場花形演芸会 審査員特別賞受賞• 2000年:笑芸人大賞 銀賞受賞、ちなみに金賞は• :国立演芸場花形演芸会 特別大賞受賞• :リスクコンサルタントオブザイヤー 特別賞受賞• :万年筆が似合う著名人 芸能・ファッション部門を太田光が受賞• 2006年:放送部門受賞 放送部門のバラエティージャンルからは史上初の受賞となった。 理由は「、、、の存在が圧倒的な中、10年以上もポジションを得て常に成長しながら抜群の安定感を見せている」とのことである。 この受賞は、受賞発表の直前に急逝したの強い推薦によるものという。 2人が進行するテレビ番組『』(・系、深夜)に久世光彦がゲスト出演したことがきっかけで、久世が「あの二人にあげればいいじゃないか」と言い切ったといわれる。 また、この時同時に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した人物に画家のがいるが、その後和田は盗作疑惑で世間の耳目を集めることとなる。 この盗作に関する一連のテレビ報道において使用された、受賞者が正装して勢揃いした映像では、和田のすぐ後ろにこの2人が立っている。 :を太田光が受賞• :日本大学藝術学部 日藝賞受賞• :特別賞受賞• :第57回ラジオ部門DJパーソナリティ賞受賞 エピソード [ ] 大学時代 [ ] 2人の出会いは日本大学芸術学部の試験会場であり、試験会場で試験官を茶化していた太田を見た田中は「関わり合いになりたくない」と思っていた(とはいえ田中は、どうせ合格出来ないだろうと思い、試験当日は直前まで草野球をしていたため、野球のユニフォームを着て受験に臨んでいた )。 入学後、大学のトイレで再会し、「こいつも合格していたのか」と思い太田に話しかけた所、太田は受験会場の様子とは全く違い、律儀な受け答えをしていた。 また、太田が入学後の最初の授業でも騒ぎ、他の生徒達を盛り上げたが、田中はその雰囲気に乗らなかった。 日本大学芸術学部時代の取得単位は、2人合わせて17単位だった。 しかも太田は2単位しかとっておらず、そのうち1つはスキー合宿の参加者全員にもらえる単位だった。 太田は後に、日芸の教授を「俳優になろうとしてなれなかった奴らの溜まり場。 俳優を育てようなんてなんも思っちゃいない」と批判しては、講義を欠席していた。 元マネージャーは2人の同級生で、18歳の時から30年近い付き合いだった。 プライベート [ ] プライベートでは田中は太田を「光」と呼び、太田は田中を「小僧」と呼ぶ。 田中が仕事のときに太田を「太田さん」と呼ぶのは仕事とプライベートの区切りをつけるためであり、太田が田中を「田中」と呼ぶのは、「小僧」では誰のことかわからないと感じているため。 また、お互いはごく近所に暮らしている(太田は「田中がこっちに引っ越してきたんだ」と冗談として言い 、田中は「お前が俺の生まれ故郷(東京)にやってきたんだろ」と突っ込むやりとりをする事が多い )。 2人とものを持っていない(太田は過去にの免許及び250Z を持っていたが自損事故を起こしている )。 また、2人とも。 2人ともなどを全く利用しておらず、太田に至ってはを所有していないため「やる理由がない」と述べている。 嗜好 [ ] 2人とも好きであるが、のかわいがり方は異なり、可愛がり倒す田中に対して太田はほとんど構わない。 そのせいで互いの猫の性格も違い、来客にまとわりつくような田中家の猫に対して、太田家の猫は来客には絶対に近寄らない。 2人はとの話題になると、必ずどちらの方がより良いファンかと張り合っている。 芸能活動 [ ] コンビ名の由来はでよく使用されるフレーズ「爆笑」と、本屋でたまたま「問題実話」と言う本を目にした際、タイトルに「問題」と入れていたことが印象に残っていたことから太田が命名。 また、カタカナ名のコンビが多いため目立とうとしたのも理由の一つであることが太田の自伝『カラス』()に記されている。 「カラス」は一時期コンビ名を変えようと考えていた時、候補に上がっていた言葉である。 前述の通り、コンビの(名目上の)リーダーは田中であるが、それを決めたのは太田である。 「進路指導室」などのような過激な内容のコントをやっていた頃は「爆笑問題は使えない、テレビじゃ危なすぎる」といった風潮が業界にあったといい、太田は当時の事を「若いからこれで世の中変えてやるみたいな、そんな意識があった」と回想している。 (2000年代頃より司会・MCが主)・のレギュラーを多数抱えるが、タイタンの定期ライブや雑誌の連載、本の出版などもこなしている。 漫才のネタは主に太田が作っている(田中はツッコミを多少考える程度で、大半の田中のツッコミは太田が考える)。 時事ネタを題材としたものが目立ち、「社会派漫才」などと呼ばれる。 太田は時事ネタを扱うのは「政治を茶化したいという意識ではなく、ニュースを題材にする事が効率が良かっただけ」「そうしたことに触れないでコントを作るのが難しい」「割と安易な道」と述べている。 そのため、ネタの一部分だけを切り取って評価されたり批判されたりする事には否定的な考えを示している。 また、太田は2017年のインタビューで自身のDVD「2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』」の出来栄えを「時事ネタを話題にはしているけれど、ボクらの漫才は 1個も社会風刺してないことがわかるよ」とアピールしている。 ネタの中にはされた人物や、世間を騒がせた人物も登場するが、その出来事から何十年と経過していることがしばしばあるため、田中から「もうそれは忘れてやれよ」と突っ込まれることも多い。 ネタを使いまわすことについて太田は「噛めば噛むほど面白いし、何度噛んでも味が出る」と述べている。 また、たびたび失言をする太田が漫才や雑誌の連載で他人の失言について批判したりボケたりすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある。 は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの? っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。 これって気持ちいいんですよ」と評している。 お笑い評論家は太田のボケには、「シンプルボケ」「毒舌ボケ」「ナンセンスボケ」という3つの種類が存在すると評しており 、とくに「ナンセンスボケ」については爆笑問題の漫才の隠し味になっているとし、「毒舌ボケ」よりも高く評価している。 芸能人の活動の中心がテレビとなっている中、太田は「ラジオで笑いが取れる芸人になりたい」と、漫才への思いを表している。 漫才のネタ作りは田中がスクラップした新聞記事を太田が読んでボケて行き、田中はそれに対してツッコミをいれつつネタを書き留めていく手法をとる。 そのことから太田は田中のことを「」と指した事がある。 また、この作業は太田家のリビングで行われる。 ダジャレネタがメインの『ボキャ天』では、主に田中がネタを考えていた。 これは太田にダジャレのセンスが全くなく、収録で太田のネタで「」を「おさだはるこ」と変えたが、意味不明なために没になったということがあった。 その時のことをが目撃している。 しかし、それを際立たせるコント部分は太田が作っているため、田中は事実上、ダジャレの部分しか考えていない。 『』()では交互に主演し、毎回ベッドシーンを演じていた。 また、テレビなどの出演がほとんどなかった時代には、太田が書いた脚本を同期のが演じたこともあった。 からにかけて、『』(フジテレビ系)に、ネズミの着ぐるみキャラクター「」としてレギュラー出演し、人気を得る。 からまでは『』として独立番組となり、・(開始当時は)で放送されていた。 のタレント部門では、2人ともベスト10に入った(太田8位、田中9位)。 お笑い芸人がトップクラスの域になると自身のレギュラー番組しか出演しなくなる傾向が強い中で、多忙になった現在でも積極的にゲスト出演をしている。 また、『』『』()など、教養色の強い番組の出演も多い。 事務所公式のプロフィール写真 は、1997年頃に撮影された宣伝用写真を使用し続けている。 やなどには、コンビともにゲストや「チョイ役」での出演で、本人役が多かった。 しかし、2000年代後半頃より田中が映画『』やドラマ『』(系)、『』(系)などに出演し、俳優としての仕事も増えている。 「ピン」(1人)での仕事として、田中は『』『』(ともにTBS系)での司会を務めている。 一方、太田は『マボロシの鳥』()などのやを多く執筆している。 なお、「爆笑問題」名義の出版物もほとんど太田1人で執筆している()。 コンビ仲 [ ] 太田は田中との比較において、絶対的な自信を持っており、様々な機会を捉えてはギャグの一つとして田中への非難・痛罵を繰り返す。 テレビなどでは、太田が田中を非難することが多いが、田中が「キレる」と揶揄される位すぐに解散を口にするので、いつも太田が謝って収拾している。 前述に基づくエピソードとして、新人時代に田中がネタをとちってしまい、ネタ終了後の楽屋で太田が田中を責めたが、田中が「次の舞台でネタを間違ったらコンビ解散! 」と言い放ち、何故か逆ギレされてしまう。 しかし太田は「こんなことで解散されちゃ、たまったもんじゃない」と田中を必死になだめたということがあった。 、田中は片側のの摘出を行なった。 その際、当時開会直前のになぞって「田中、金とった!! 」と言う見出しがを飾った。 また、では太田が田中をネタにギャグを連発して笑いを取った。 これ以降、太田が田中を片玉ネタで弄ることはコンビの鉄板ネタとなり、漫才の中にもお約束的に盛り込まれている。 著名人関連 [ ] デビューして間もない頃、2人の才能を見抜いたのは、太田に「天下獲っちゃえよ」と応援の言葉を送ったという。 また、「こいつ(田中)だけは切るなよ。 こう出来た奴もなかなか居ないもんだ」と、田中の相方としての重要性を説いている。 「」でたびたび共演したとは時折意見の違いで、太田と論争になることも多かった。 ただし、両者とも一定の信頼関係の下で議論しており、そのやりとりを端で見ていた田中は「口調も親子のケンカみたいになってくるので、楽しかったです」とコメントしている。 は立川談志との対談で「今のお笑い、バラエティには教養がなくなった。 1つ救いなのは爆笑問題が談志師匠に会うと緊張する気持ちを持っていてくれることだけだ。 彼らがそれを持ち続けて次にどう移していってくれるか。 頼むよ爆笑問題」と発言した。 映画監督・は『』のキャスティングの際に監督の『草の上の仕事』を観て、太田と田中に出演をオファーした。 園子温自らタイタンに電話をかけ社長・太田光代に交渉したが、スケジュールが合わなかった為断られたと共演した際に明かしている。 なお、後年映画化された際二人にオファーされた役はそれぞれ・が演じた。 は『GAHAHAキング』の審査で、「ビートたけしよりハイレベルなネタをしている。 漫才ブームの頃のレベルを彼らが初めて崩した」と評した。 「」では、思想やイデオロギーを問わず様々な政治家・評論家と共演し、議論をした。 ・政権時のに出席した事がある。 2008年と2009年には当時の(元・)で、タイタンに所属していたの活動支援のために、太田夫妻と田中はを利用して1000万円をへ提供している。 太田は橋下とメールで親交を持っているが、公の場では橋下を揶揄したり、異論を述べたりしている。 とはデビューした年が一緒であり(どちらも1988年デビュー)、『』(フジテレビ系)の名物コーナー「」の男性芸能人出演最多ゲストでもある。 また、が不祥事を経て復帰後最初の「BISTRO SMAP」に「(事件について)全く触れないのもアレだし、でも、爆笑さんだったら上手くギャグにもする」という理由で呼ばれている。 特に太田はの大ファンであることを公言しており、メンバーの仲の良さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。 それが縁で「」の作詞を担当したこともあり、同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちにしかわからない事」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている。 解散後も、田中がの日本対オランダ戦を東京ドームで観戦した際にと遭遇し、会話を交わしたり 、太田が主演のドラマ「」を絶賛したり 、両者がジャニーズ事務所を退所した直後のと「スペシャル」で共演するなど 、メンバー達と交流を続けている。 また、同期であるとも親交がある。 が過ぎ、仕事のない状態の岡本を最初に取り上げたのは、爆笑問題が司会を務める『』(TBS系)である。 2010年代より『』(TBS系)などでと仕事をする機会が増えている。 きっかけは『』(フジテレビ系)での田原俊彦特集で共演したことである(田中が田原の大ファンである)。 ちなみに両方とも一度芸能界を「干される」という経験をしている。 とは、1994年に太田が『』での連載『「爆笑問題」の良識破壊宣言!? 』内でのファッションセンスを酷評したこと で、松本側から抗議を受けた事により、半ば頃から度々ネット上などで不仲説が取り沙汰されており、この2組が番組で共演する事も無ければお互いの事を番組などで話す事も無かった。 2014年3月31日に放送された『』にて、同じくダウンタウンとの不仲が噂されていたと共に共演を果たした。 とんねるずと共にダウンタウンと共演する予定ではなかったが、とんねるず・がと爆笑問題を誘って乱入し、松本が「ネットが荒れる」などと冗談交じりに述べた。 その後は、2016年11月10日放送の「」において、太田の妻・光代がゲスト出演し、ダウンタウンとトークを交わしたほか 、田中の妻であるがダウンタウンDXやに出演し、夫婦エピソードを語る など直接的な共演こそないものの、お互いの認識や関係性は笑っていいとも!で共演した2014年以前と比べ改善されつつある。 太田は『』などの番組で度々共演したに対して悪口を言っており、本人たちもそれを承知していたが、その後も爆笑問題を番組に呼び続けた。 太田と田中はのファンであることを公言しており、たびたび佐野と共演している。 桑田佳祐・サザンオールスターズ [ ] 太田と田中はのファンである事を公言しており、グループ、ソロ問わず新譜が出た際はラジオ番組でかけたりもしている。 がお笑いが好きだという事も高じ、サザンの20周年記念のTBSテレビ特番『バカ騒ぎの腰つき』や、20周年ライブ『』にゲスト出演を果たし交流を深めた。 また、イベント「」「」「」では「特別審査員」としてVTR出演し、漫才を披露している。 太田はラジオ共演がきっかけで桑田とメールで親交を持つようになり、太田が出演した番組を見た感想や、サザンの活動に関する事まで送られてくるという。 1998年にサザンが発売した13枚目のアルバム「」の5曲目に収録されている「爆笑アイランド」の「爆笑」は爆笑問題から取っている。 歌詞は当時の社会問題などについて歌われており、時事ネタを得意としている爆笑問題の漫才を彷彿とさせる内容となっている。 渡辺は後にインタビューで「この瞬間に立ち会えたのは幸福なこと」と語っている。 結成当時から行っていた『いじめ』などの差別ネタや毒舌ネタなどが「テレビ向きではない」などと言われ出した際、渡辺は「今はテレビに出るよりも面白いと思えるものをやった方がいい」と擁護した。 その後、渡辺はにレギュラー出演し、番組が終了した現在でも爆笑問題の番組に度々共演する機会がある。 雑誌の連載では、「師匠と呼べる存在」と崇めている。 ビッグ3との関係 [ ] タモリ [ ] とはまだ無名だった頃にも共演しており、『』『タモリのSUPERボキャブラ天国』の出演で世間に知られるようになった。 以前に『』の中で、自分たちの実力が一番発揮できる番組として『タモリ倶楽部』を挙げていた。 『』(フジテレビ系)出演時に太田は、同じくBIG3であるとに、トークではタモリに憧れを持っている、という発言をしている。 太田は『』(TBS系)出演時には、普段おとなしいタモリが自分のギャグで笑うのが嬉しいという趣旨の発言もしている。 頃からブレイクするようになり、『』(フジテレビ系)の出演もこの頃から多くなった。 その後、4月から水曜レギュラーとして正式に加入するようになった。 水曜レギュラー陣のリーダーで、『笑っていいとも! 』のコンビとしての最年長レギュラーであり記録更新中だったが、2012年4月のレギュラー陣の変動で田中が月曜日に移動、レギュラー13年目にして初の分離出演となった。 ビートたけし [ ] 太田はビートたけしの影響を強く受けており、「たけしさんが出てきた時から、本音を言うことがいかに面白いかを知った」と『』(フジテレビ)で語っている。 太田が「コメディ映画を撮りたい」とたけしに相談した際、「映画を作るなら初めに当てろ」「コメディ作るなら金をかけろ」と言われた。 たけしは、爆笑問題結成当初の頃にたまたまコントを見たことがあり、「こいつらは面白いと思った」「ネタの切り口がツービートと似ていた」と語っている。 爆笑問題が『』でたけしの前で、直接漫才を披露した際には、「好きだな。 自分と感覚が似ている」と評した。 2016年2月12日に開催したタイタン主催のライブ「TITAN LIVE 20YEARS anniversary」にたけしがトリで出演し、落語「人情八百屋」を披露した。 同ライブには太田の誘いで・夫妻も客席で観覧しており、終演後桑田は「本当に素晴らしかったです。 たけしさんが出てきたときには、神々しくて。 から涙ぐみました」といったメールを太田に送っている。 その一方で、たけしの弟子であるとは仲が悪く、特に太田とは犬猿の仲として知られていた。 原因として『』代理時に太田が本人曰く「たけしイズム」を出そうとして発したボケ発言が影響しているという。 なお、はこのボケ発言を聞いて爆笑問題を絶賛している。 上記の通り、萩原正人が肝硬変で入院していた際、病院で爆笑とキッドが鉢合わせ(この時期、キッドも萩原の入院生活をサポートしていた)してしまい、萩原が寝ている病室で太田と博士が取っ組み合いの喧嘩を始め、病気で苦しんでいるはずの萩原がギャグでその場を取りなそうとしたこともあった。 その後、萩原の妻が一席を設けて、2人を一緒に酒を飲みに行き仲直りした。 ただし、『Quick Japan』76号に収録された、による「爆笑問題ロングインタビュー」によると、活動初期は別として、後の「抗争」はお笑い芸人的な予定調和を崩すための「ネタ」であり、実際は不仲ではないと語っている。 太田はとはお互いの著書を交換してはラジオで評価しており、水道橋博士とは手紙で連絡を取っている。 明石家さんま [ ] 明石家さんまは、爆笑問題が太田プロ所属の頃から高く評価しており、初共演した1990年頃の『』で2人のネタを絶賛、「爆笑問題の時代になる」と確信していた(『』にて)。 一方、2人も学生時代から『さんまのオールナイトニッポン』ファンであったと話しており、『』と共に「木曜日が楽しみだった」と語っている。 さんま自身がめったに他人の番組のゲスト出演をしないため、『』にゲスト出演したことは異例とされている。 また2014年1月12日『』でも300回記念ゲストとして14年ぶりに共演した。 さんまが爆笑問題と共演すると、必ずと言っていいほど「田中の身長」をネタにしたり、2人が独立して苦労した頃の話をしたりする。 特に、独立して苦労した話に関しては、当時のさんまもかなり心配していた模様で、爆笑問題が再び売れ始めた頃には積極的に自らの番組に出演させるなど、一役買っている。 また、『たけし・さんまの有名人の集まる店』では、お笑いコンビとしては唯一ゲストとして出演をさせ、『』(フジテレビ系)では、初めてスタジオに直接出演させるなど優遇している。 爆笑問題は、さんまがレギュラー時代であった金曜日の『笑っていいとも! 』にも数回出演していたことがある。 2人は他事務所の人間であることもあり、太田はさんまを時々「あんた」と呼ぶことがある。 プライベートでは、太田がさんまの楽屋を訪れ、光代の「酒癖の悪さ」を愚痴る関係で、共演時にはさんまがそのことをネタにしている。 また、爆笑問題が独立時に干されていたこともネタにしている数少ない人物。 出演 [ ] 現在 [ ] コンビでの出演のみ。 個別の出演は、を参照のこと。 テレビ [ ]• (2001年10月7日 - 、) MC• (2011年4月 - 、) - 「夜ふかしワークショップ」で田中が出演、太田がナレーションを担当• (2011年6月20日 - 、) - 毎週月曜のコーナー「たなくじ」で田中が出演、太田がナレーションを担当• (2011年10月21日 - 、TBS) MC• (2018年10月3日 - 、テレビ朝日) MC• (2019年10月4日 - 、テレビ朝日) MC ラジオ [ ]• (1997年4月8日 - 、)• (2008年4月6日 - 、TBSラジオ) 過去 [ ] テレビ [ ]• (1991年4月6日 - 1992年4月4日、) MC• (1991年8月3日 - 1993年12月25日、)• (1994年8月31日 - 1998年3月10日、フジテレビ)• 爆笑問題の爆乳モンスター(1997年10月2日 - 11月6日、) MC• (1998年4月3日 - 2000年3月、) MC• (1998年4月6日 - 2002年9月23日、・日本テレビ) MC• (1998年4月11日 - 2002年9月28日、) MC• (1998年4月15日 - 8月26日、)• (1998年10月 - 1999年3月、)• (1998年10月17日 - 1999年3月13日、)• (1999年4月1日 - 2006年3月25日、) - 「爆チュー問題」としてコントコーナーに出演• (1999年4月7日 - 9月29日、) MC• HR -HOME ROOM- (1999年10月 - 2000年3月、) MC• (1999年10月14日 - 2005年3月31日、) MC• (2000年 - 2014年、)• (2000年4月2日 - 2001年9月30日、) MC• (2000年4月9日 - 2004年3月14日、) MC• (2000年4月21日 - 9月22日、) MC• (2000年10月3日 - 2001年10月2日、) MC• (2000年10月20日 - 2001年9月7日、) MC• (2000年12月13日 - 2001年9月19日、) MC• (2001年4月14日 - 2002年3月16日、) MC• (2001年10月9日 - 2002年3月26日、) MC• (2002年4月6日 - 12月17日、) MC• (2002年4月28日 - 2005年9月25日、) MC• (2002年9月30日 - 2006年3月31日、・) MC• (2002年10月17日 - 2004年3月7日、) MC• (2003年10月11日 - 2006年3月4日、) MC• (2004年1月13日 - 3月16日、) MC• (2004年4月8日 - 2005年3月17日、) MC• (2005年4月13日 - 9月14日、) MC• (2005年10月2日 - 2007年3月25日、) MC• (2005年10月7日 - 2009年9月26日、) MC• (2006年4月7日 - 2010年8月26日、) MC• (2006年5月21日 - 2016年12月25日、)9月25日、) MC• (2007年4月13日 - 2012年2月23日、NHK) MC• (2007年4月19日 - 2008年2月28日、フジテレビ)- 「爆チュー問題」としてエンディングにレギュラー出演。 (2007年10月3日 - 2011年9月26日、) MC• (2008年1月27日 - 2009年2月22日、) MC• (2009年4月6日 - 9月30日、) MC• (2009年4月11日 - 2010年3月20日、) MC• (2010年4月27日 - 9月22日、) MC• (2010年10月16日 - 2014年9月27日、) MC• (2011年4月22日 - 9月9日、) MC• (2011年10月3日 - 2014年3月24日、) MC• (2012年5月2日 - 2019年3月13日、) MC• (2012年10月9日 - 2013年2月26日、) MC• (2014年3月31日 - 2014年9月22日、) MC• (2014年9月30日 - 2017年2月13日、) MC• (2013年4月 - 2017年9月、) MC• (2017年4月3日 - 2018年3月26日、) MC• (2018年4月2日 - 同年10月2日 、テレビ朝日) MC• デジタルチャットZ()• 爆笑問題のボスキャラ王() MC• (2014年10月11日 - 2019年9月7日、) MC 特番・単発 [ ]• (1月1日不定期放送、)• (1月1日不定期放送、)• (放送終了まで毎年12月放送、)• (第23回・第24回メインパーソナリティ、)• (1988年 - 1989年、)• 爆笑問題スペシャル 黒い電波(1990年3月4日、日本テレビ) - 『LIVE笑ME』で5週勝ち抜き、賞品として「60分放し飼い」という特番枠で作られた番組。 内容は当時の爆笑問題が得意としていたブラックユーモアをベースとしたものだった。 (1998年8月10日・1998年8月11日、)• ザ・紅白(1998年・1999年、)• (1998年 - 2003年、)- 応援ゲストとして出演• (1999年・2000年・2003年・2005年 - 2007年、)• スペシャル! (2002年、)• (2003年9月23日・2004年3月22日・9月28日・2005年3月29日・10月4日・2006年4月4日、)• (2003年10月6日・2004年3月29日・10月4日・12月27日、日本テレビ)• (2003年12月12日・2004年9月16日、)• (2004年12月28日・2005年5月4日・12月28日・2006年5月2日・2007年4月1日、)• VS爆笑問題の『拝啓ブッシュ大統領閣下!! あなたが語らない10の秘密』(2005年1月26日、)• 1問100万円クイズ(2005年4月6日・7月5日 )• (2005年9月22日、)• 爆笑問題の! ニッポン 秘 民俗学〜霊魂と死についてマジメに語ろうスペシャル(2005年10月11日、)• (2005年10月15日・10月22日・2006年1月3日、)• (2005年11月12日・2006年11月11日、2007年10月27日、)• (2005年12月26日、)• 爆笑問題のお笑い激論バトル!! 太田光vs最強芸能人軍団!! 1は俺だ決定戦!! (2006年1月4日、)• 家族の絆で1000万 スポーツゲームバトル ファミ筋スペシャル!! (2006年3月21日・3月28日 )• 爆笑問題のあまりにも平均的ニッポン人SP(2006年4月11日、)• (2006年7月22日、)• 爆笑問題の芸術は爆笑だ! (2007年1月3日、)• (2007年1月29日、)• ザ・カラオケバトル07夢のメガヒット歌合戦 あなたは何曲唄える? 30年の名曲ランキング総まくりスペシャル! (2007年3月28日、)• (2007年4月2日・10月24日、)• 芸能界PTA(2007年7月15日、テレビ朝日)• 近未来予測! 爆笑問題の面白社会学 エンタな解体新書! (2007年11月3日、)• 大晦日はフジテレビ(2007年12月26日 - 12月30日、)• (2007年 - 、)• (2007年12月31日、)• ニッポニア学習帳(2008年1月2日、)• 天下統一! (2008年1月6日、)• (2008年3月20日、)• 爆笑問題vs安住紳一郎 平成ニッポン20年史! (2008年12月26日、)• (2008年・2009年、)• (2009年・2010年、系)• 爆笑問題の(2009年12月30日、)• 世界を揺るがした100人の女たち(2010年12月17日、)• イキすぎ! 規則委員会(2010年12月17日、)• (2014年3月31日、)• (2002年 - 2014年、テレビ朝日) - 毎年12月31日に放送されていた特別番組で、2002年から司会を担当。 (2015年4月5日、)• (2015年5月30日 - 、) - 毎回欠かさず出演している唯一の芸人であり、大トリも毎回担当。 人名バラエティー 集まれ田中! (2015年9月23日、)• - 日本のダイモンダイ(2015年11月8日、)• 日曜ファミリア - 芸能人つまずきビッグデータ(2015年12月13日、)• (2015年12月20日、2016年12月18日、2017年12月17日、2018年12月9日、) - 毎回欠かさず出演している。 (2015年5月24日、2016年5月22日、2017年5月21日、2018年5月20日、2019年5月19日、年に1回のペースで不定期に放送、・)• (2016年12月25日、2017年12月24日、2018年12月23日、2019年12月21日、)• (2018年8月13日、2019年1月7日、8月12日、12月31日、)• じゃぱにぃ寺(2019年4月13日、6月8日、)• (2019年4月30日 - 5月1日、)• 世界最強動物ランキング(2019年7月27日 )• (2019年8月19日、8月26日 )• ミラクルカウンセリング(2019年5月2日、9月16日 )• 未解決クラブ(2019年9月29日 )• (2019年10月13日 ) ラジオ [ ]• 爆笑問題のオモスルドロイカ帝国()• 週刊爆笑フォルテシモ(1995年10月 - 1996年3月、)• 爆笑メゾフォルテ(1996年4月 - 1997年3月、)• 放課後の王様(・向けラジオ番組)• 爆笑問題のシリコン町内会(セント・ギガ・サテラビュー向けラジオ番組)• (、2016年2月16日)• 爆笑問題のUSEN-MAN(2017年9月28日 - 2018年3月22日、) CM [ ]• (撮りっきりコニカ)(1994年)• (味ごのみ)• (プリントン)(1998年)• ()( - 2000年)• ( - 2005年)• (モルツ)(2001年)• サントリー(ダイエット)(2001年 - 2002年)• (ムヒ)(2002年 - 2004年)• (新・生きるチカラ)(2003年)• (IPSiO)(2004年 - 2005年)• ()(2006年3月 - 2008年)• 転職は慎重に(2006年7月 - 2007年)• ・(2006年11月 - 2010年9月)• ・Answer(2008年5月 - 2011年)• トヨタ中古車サービス 「T-Value」(2010年10月 - 2016年)• ・AGA(2010年10月 - 2012年)• 彩りキッチン(2011年6月 -2012年) 映画 [ ]• (1989年)• (1991年)• (1991年)• (1998年)- 吹き替え版・デボン役:田中裕二、コーンウォール役:太田光(声の出演)• (1998年)• ズッコケ三人組 怪盗X物語(1998年) - 田中裕二出演• エンカウンター3D(1999年) - 声の出演• (2002年)• (2002年) - 吹き替え版 ・マイク役:田中裕二(声の出演)• (2006年) - 吹き替え版・シド役:太田光(声の出演)• (2009年、マッドハウス) - 闇の帝王ブッカー・ブー役:田中裕二、おデブのザミー役:太田光(声の出演) CD [ ]• ハッピータイム歳事記(アルバム、)• スーファミショー歌(シングル、セント・ギガ) 非売品。 の企画で100枚限定で製作され、聴取者にプレゼントされた。 ビデオ・DVD [ ]• 2006 上半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2006年7月28日)• 2006 下半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2007年1月31日)• 2006 漫才『爆笑問題のツーショット』完全版(2枚組)(2007年1月31日)• 2007上半期 漫才 『爆笑問題のツーショット』 Maniac Edition(2枚組)(2007年7月27日)• 2007上半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2007年7月27日)• 2007下半期 漫才『爆笑問題のツーショット』(2008年1月31日)• 2007 漫才 『爆笑問題のツーショット』 完全版(2枚組)(2008年1月31日)• 2008漫才 『爆笑問題のツーショット 』通常版(2008年10月31日)• 2008漫才 『爆笑問題のツーショット 』20周年記念エディション(2枚組)(2008年10月31日)• 2010年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2009年総決算~(2010年1月29日)• 2011年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2010年総決算~(2011年1月26日 )• 2012年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット 』~2011年総決算~(2012年1月25日)• 2013年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2013年5月22日)• 2014年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2014年6月4日 )• 2015年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2015年6月3日)• 2016年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2016年6月29日)• 2017年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2017年6月21日)• 『爆笑問題のツーショット 2018 結成30周年記念Edition ~爆笑問題が選ぶBest Selection~』(2018年12月19日)• 2019年度版 漫才 『爆笑問題のツーショット』(2019年6月26日)• 爆笑問題のニッポンの教養 DVD-BOX(5枚組)(2008年10月31日)• 爆笑問題のニッポンの教養vol. 爆笑問題のニッポンの教養vol. 爆笑問題のニッポンの教養vol. 爆笑問題のニッポンの教養vol. 爆笑問題のニッポンの教養vol. 爆笑問題のハッピー・タイム歳時記(SPEビジュアルワークス)• 大爆笑問題()• new treasureship(・販売元:)• 七福人(日本ビクター・販売元:ビクターエンタテインメント)• 爆笑問題のススメ()• 中学王 受講者に付録として配布されたビデオ• ゲーム [ ]• (1995年) - ザッカ役:太田光・カミキリ役:田中裕二(共に声の出演)• (サテラビューで配信されたオリジナルゲーム)• お笑い神経衰弱 爆笑!人間トランプ - TBSラジオ主催「赤坂お笑いDOJO」が50回記念のWindows専用のゲーム• DS(株式会社カムイより2010年2月11日発売)爆笑問題の音声による司会 出版 [ ] 雑誌連載 [ ]• 「天下御免の向こう見ず」 - 太田の小説と田中の紙粘土工作で、世相を表現する内容。 なお、太田は連載当初は小説ではなく時事問題に対する自らの意見を掲載していた。 「爆笑問題の日本史原論」 書籍 [ ] やなどについて漫才形式で書かれているもの(「日本原論」シリーズなど)が多い。 しかし、太田によれば「爆笑問題」名義で作中でも田中が登場するにもかかわらず、太田が1人で執筆することが殆どで田中は作業には参加していない。 田中は「名前貸しみたいなもんです」と話している。 また、原稿料は田中にも配分されている。 また日本原論内でもこの事に言及することがあり、特に太田が田中のセリフを勝手に本人の主張と違うものにする事が多く、その時はすぐに訂正のツッコミが入るのが恒例。 日本原論シリーズ• 『爆笑問題の日本原論』(1997年2月)• 『爆笑問題の日本原論2000』(1999年12月)• 『爆笑問題の日本原論 2』(2002年12月)• 『爆笑問題の日本原論世界激動編』(2002年5月)• 『こんな世界に誰がした』(2004年1月)• 『偽装狂時代 爆笑問題の日本原論5』(2006年5月)• 『大恐慌時代 爆笑問題の日本原論6』(2009年9月)• 『爆笑問題の日本原論 自由にものが言える時代、言えない時代』(2015年4月 との共著)• 『時事漫才 爆笑問題の日本原論』(2018年9月、爆笑問題コンビ30周年記念特別刊行 ) 日本史原論シリーズ• 『爆笑問題の日本史原論』(2000年8月)• 『爆笑問題の日本史原論 偉人編』(2001年8月)• 『爆笑問題の日本史原論グレート』(2002年8月)• 『昭和は遠くになりにけり』(2003年7月)• 『日本史が人物12人でわかる本』(2004年7月)• 『ニッポンの犯罪12選』(2005年7月)• 『爆笑問題の戦争論』(2006年8月)• 『日と米』(2007年9月)• 『日本文学者変態論』(2009年3月)• 『爆笑問題の』(2010年9月)• 『爆笑問題の』(2011年12月)• 『はなぜ天下を取らなかったのか? 』(2014年3月) (漫画・)• 『爆笑問題のきょうのジョー 1』(共著)(2001年7月)• 『爆笑問題のきょうのジョー 2』(共著)(2001年9月)• 『爆笑問題のきょうのジョー 3』(共著)(2001年11月)• 『爆笑問題のきょうのジョー 4』(共著)(2002年5月) 世紀末ジグソーパズルシリーズ• 『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』(1999年12月)• 『爆笑問題時事少年』(2001年4月)• 『爆笑問題の今を生きる! 』(2003年4月)• 『爆笑問題のそんなことまで聞いてない』(2004年4月)• 『爆笑問題のふざけんな、俺たち! 』(2005年4月)• 『風説のルール』(2006年4月)• 『爆笑問題の清き一票を田中に! 』(2007年5月)• 『爆笑問題の(笑)』(2008年5月) 天下御免の向こう見ずシリーズ• 『天下御免の向こう見ず』(1997年10月)• 『ヒレハレ草』(1999年10月)• 『三三七拍子』(2001年3月) 爆笑問題カーボーイシリーズ(『カーボーイ』のコーナーを書籍化したもの)• 『』(1999年4月10日)• 『聴け。 』(2000年3月)• 『爆笑問題の 世の中すべて300対29対1の法則で動いている』(2003年6月) その他• 太田・田中が(編集部のほうで)作成したオリジナルチームで試合が行われた。 『爆笑問題のピープル』(1998年6月)• 『爆笑大問題』(1999年1月)• 『超爆笑大問題』(2000年2月)• 『爆笑問題の死のサイズ 新聞の死亡記事で読み解く、20世紀人物列伝』(2000年6月)• 『爆笑問題の死のサイズ 上・下』文庫(2002年7月)• 『対談の七人』(2000年12月)• 『爆笑問題とウルトラ7』(2002年12月)• 『爆笑問題・の英語原論』(共著)(2001年8月)• 『爆笑問題のザ・コラム』(2001年11月)• 『バクマン! 』(共著)(2002年5月)• 『爆笑問題・パックンのニュースで英語を学ぶ本』(共著)(2002年11月)• 『爆笑新聞』(2002年12月)• 『爆笑問題の「文学のススメ」』(2003年10月)• 『爆笑問題が読む龍馬からの手紙』(2005年8月)• 『だから言わんこっちゃない 崖っぷち会社信徒逆襲の手引き』 (2008年12月) LINEスタンプ [ ]• おしゃべり爆笑問題(2015年、タイタン) - 音声付きのスタンプ。 イラストは。 爆笑問題 しゃべるスタンプ(2018年、タイタン) 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• DOGA• ライブドアニュース• エキサイトニュース• プレスリリース , NPO, 2020年6月1日 , 2020年6月8日閲覧。 ORICON NEWS 2020年6月1日. 2020年6月1日閲覧。 ORICON NEWS 2020年6月7日. 2020年6月8日閲覧。 TITAN 2020年6月1日. 2020年6月14日閲覧。 週刊文春「家の履歴書」より。 [ ]• 『爆笑問題のきょうのジョー』『爆笑問題の世紀末ジグソーパズル』など。 2014年6月24日. ぴあ映画生活• エキサイトニュース. 2020年3月20日閲覧。 , p. 204. zakzak• , p. , p. 133. スポニチアネックス• テレビ朝日『』より• ライブドアニュース. 2019年8月19日閲覧。 - 2015年4月• - 2009. デイリースポーツ• ライブドアニュース• ,デイリースポーツ• ,ライブドアニュース• ライブドアニュース• ライブドアニュース• グノシー• 『ホットドッグ・プレス』1994年7月25日号• エキサイトニュース• 『』より• ,ライブドアニュース , 2016年2月14日• ,ライブドアニュース , 2016年2月17日• 『JUNK座談会スペシャル2008』• 『お笑い男の星座』(浅草キッド著、2001年、、)• ライドドアニュース• 放送の『スペシャル』にて• 『爆笑問題とウルトラ7』 新潮社文庫 P254 — 261。 お笑いナタリー. 2018年8月24日閲覧。 参考文献 [ ]• 爆笑問題、町山智浩『自由にものが言える時代、言えない時代』太田出版、2015年4月。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - TITAN• - タイタン公式ファンクラブサイト• - タイタン公式モバイルサイト•

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初代将軍足利尊氏 元年()5月、から東上したがでを破る。 はに退去したが、正成とともに「」と称された後醍醐の武将ら(・・)もこの前後に相次いで戦死したため苦境に立たされることとなった。 翌月入京した足利軍はをに擁立し、8月には光厳の弟豊仁親王()が即位する。 和睦の成立によって10月に帰洛した後醍醐は幽閉され、11月2日に光明へ神器が譲与される。 同月7日、(中原章賢)・兄弟らが起草した『』の制定によって新たな武家政権の施政方針が示されたが、 室町幕府の実質的な成立はこの時期とされる。 北朝からに任ぜられた尊氏は「鎌倉大納言」と称され、鎌倉将軍()を継承する存在と見なされた。 翌月21日、後醍醐がに脱出し、南北両朝の並立状態が始まる。 翌延元2年(4年、)8月、としてにあった方のが西上の途に就き、明くる延元3年(北朝建武5年、)1月にはで幕府軍を撃破したものの、その後の連戦の末ついに5月に戦死し()、また事実上南朝方総大将であったも閏7月ので敗死した。 こうして主将とに勢力を築いた有力武将の2人を失った南朝方の劣勢は覆いようもなく、北朝・幕府方優位の趨勢の下、尊氏は元年(1338年)8月11日に に任ぜられた。 滅亡 [ ] 滅亡は、4年()7月にが15代将軍をから追放した時点とするのが一般的である。 もっとも、義昭はその後も将軍をされてはおらず、信長の勢力圏外においては依然将軍としての権威を保持していた。 信長以前には、22年()8月に13代将軍がに敗れに逃れてから元年()11月に和議を結び入京するまで、長慶が将軍を擁立しない独自の政権を京畿に打ち立てていた例もある。 義昭追放後もこれを庇護するとの交渉で信長もその復帰を了承しており、幕府が存続(復活)する可能性もあったが、義昭の信長に対する人質要求により実現せず、結局義昭が政権に返り咲くことはなく、結果的に元亀4年の追放時点に遡及して(中央政権としての)幕府の滅亡が確定したともいえる。 は、京都追放後の義昭による政権を「」として規定することを提唱した。 これによれば、幕府の滅亡は1573年ではなく、より遅い時期となることとなる。 義昭は16年()にに従って参内して、忠誠を誓うまで征夷大将軍であったと『』は記録する。 義昭は将軍職辞任後、朝廷からの待遇を得、秀吉からも貴人として最後まで遇された。 現任将軍の存在という面を重視すれば、この天正16年1月を幕府終期と見ることもできる。 政治 [ ] 歴代将軍 [ ] 詳細は「」を参照 名前と就任年(年号は義満まで北朝のもの)。 初代 元年()• 2代 3年()• 3代 元年()• 4代 元年()• 5代 応永30年()• 6代 2年()• 7代 2年()• 8代 6年()• 9代 5年()• 10代 2年()• 11代 3年()• - 足利義尹(義稙)(義材が改名し、2度目の就任) 5年()• 12代 元年()• 13代 15年()• 14代 11年()• 15代 永禄11年(1568年) (10代 足利義材は足利義稙と同一人物なので、通常は義稙を代数に含まない。 代数に含む場合、義稙が12代、義晴が13代、義輝が14代、義栄が15代、義昭が16代となり、全16代15人となる) 組織機構 [ ] 3代将軍 室町幕府の職制はほぼの機構を踏襲している。 基本法としてを制定(1336年)。 具体的な法令としては鎌倉時代の(貞永式目)を適用し、必要に応じて「」と呼ばれる追加法を発布して補充している。 幕府開設当初、初代将軍尊氏はとして諸国の武士を統帥してがこれを補佐し、政務・裁判は弟が総理する二頭体制が取られた。 やがて直義と師直の間に確執が生じ、幕府内が尊氏・直義両派に分裂してへと発展、南朝方や諸国の武士を巻き込んで内乱は長期化した。 尊氏の後を継いだ2代将軍は幕府機構の再建に努め、病に倒れると、を管領に任じて幼少の後継者・を後見させた。 頼之後見期及び義満による親裁期を経て政治機構が整えられていった。 跡 鎌倉時代の将軍は全国のと個々に主従関係を結び、所領()を安堵する立場にあり、は任国の軍事・刑事の長であり、国内の御家人の監督者に過ぎなかった。 これに対して室町幕府は、による合議制・連合政権であったと評される。 長期の南北朝内乱の間に、守護はその権限を拡大し、任国内の領主層の武士()を被官化するなどして、任国の管理者から領国支配者(大名)となっていく(ただし地域差があるので、詳細は「」を参照)。 これにより、御家人=将軍直臣という鎌倉幕府の基礎構造は失われ、将軍の諸国武士・所領に対する支配は相当後退し、主に守護を通じて全国支配を行う体制となった。 しかしながら室町将軍がこの現状をよしとした訳ではなく、鎌倉時代以来の足利氏の根本被官や一族、守護の分家など、守護大名の頭越しに各地の武士と主従関係を結ぶ場合もあった。 特には直属軍事力の整備に熱心であり、を整えていき、以降の将軍にも継承された。 また、義満以降の室町幕府は「天下無為」の実現をもって全国統治の基本的な考え方としていた。 「無為」とは何もしないことではなく、何もしない状態にもっていくことを指し、室町殿である将軍の上意をもって紛争当事者間の調停を図るものであった。 上意は紛争解決の手段としては万能ではないものの、守護や国人にとっては無視しえないものであった。 だが、嘉吉の乱後、幼少の将軍が続いた中で、管領である細川氏と畠山氏が上意を利用して自己に有利な政治的な状況を作りだそうとし、それに振り回された守護や国人は上意に従わなくなり、独自行動を取るようになる。 やがて、彼らは仲間同士で連携して行動することで上意の相対化を図るようになり、特に守護たちは細川氏側と反細川氏側(最初は畠山氏、後に山名氏を盟主とする)に分かれて集団を形成して争い、応仁の乱の一因を作った。 その一方で、室町将軍以上の勢威を持った守護大名を幕府が危険視し、討伐した例もある。 しかし、個々の守護大名はともかく、守護大名と室町将軍が全面的に対立することはなかった。 将軍の権威の失墜はすなわち守護大名の権威の失墜を意味し、応仁の乱後にそうなっていくのである。 室町殿御分国 [ ] 中世後期、から日本国の支配を委任されていた室町殿()の政治的権限の及ぶ実効統治範囲、管轄区域のことを 室町殿御分国、あるいは 室町殿分国、 公方分国という。 その範囲は管轄の11ヵ国、管轄の10ヵ国を除いた・、、、、、の国々からなる。 御分国内の守護家(二十一屋形)の多くは在京し、国政の重要議題は将軍から守護達に諮問され、将軍と共に国政に関わっていた。 年間、大和・別当のは「」に、「就中、の事、さらにもって目出度き子細これなし。 においては、・・・・・・・・・・、これらはことごとく皆御下知に応ぜず。 年貢など一向に進上せざる国共なり。 その外は・・・、これらは国中乱るゝの間、年貢などの事是非に及ばざる者なり。 さて公方御下知の国々は・・・・・・・・などなり、一切御下知に応ぜず。 守護の躰たらく、則躰においては御下知畏み入る由申し入れ、遵行などこれをなすといえども、守護代以下在国の者、中々承引能はざる事共なり。 よりては、ことごとく御下知に応ぜざるなり」と記しており、室町殿御分国と日本国の範囲は同一であるとの認識を示している。 地方 [ ] 室町幕府は辺境分治・遠国融和を基本的な政治方針としていた。 15世紀前半に幕府は「遠国事ヲハ少々事雖不如上意候、ヨキ程ニテ被閣」という認識を獲得し 、日本国の東側の国境はとの境界にあるに存在すると理解するようになった。 こうして地方は幕府による日本国統治の埒外に置かれることになった。 奥羽 [ ] には当初が設置されたが、ら4人の管領が並立し争うなど混迷を極め、半世紀を経てが設置された。 さらに、奥羽2国(・)が鎌倉府の管轄下に組み込まれると廃止されて一時期はとが設置されている。 幕府は鎌倉府に対抗するため、の孫を奥州探題に補任し、以降により世襲される。 しかし、・などが京都扶持衆として戦国大名化していくにつれて、大崎氏も在地領主化していくことになる。 また、家兼の死後にが分裂し次子以降により世襲される。 関東 [ ] 観応の擾乱が起こると、足利尊氏はに10カ国を統括する機関としてを設置した。 長官はで尊氏の子の子孫が世襲し、が補佐した。 室町時代を通じて鎌倉公方は幕府と対立し、を務めるとも対立していった。 これに対抗するため、幕府は東国やの有力国人をとして直臣化した。 このため、足利義教の代にを起こした第4代鎌倉公方を攻め滅ぼして一時直接統治を図るが失敗に終わり、持氏の子を新しい鎌倉公方とした。 だが成氏もを起こして、に逃れてを名乗り、さらに上杉氏はとに分裂したため、が始まる前に関東地方は騒乱状態となる。 幕府も手をこまねいていたわけではなく、8代将軍の庶兄を関東に派遣する()。 だが、も政知の死後にの伊勢盛時()によって倒されて、失敗に終わった。 古河公方もとの分裂を経て、盛時の子孫であるによって傀儡化させられていくのである。 九州 [ ] 九州には本拠を博多(福岡県福岡市)に置くが設置される。 初めはら南朝勢力の討伐に任じられた(了俊)が就くが、了俊が九州で独自の勢力を築くと幕府に警戒され、了俊が解任された後はの世襲となる。 財政 [ ] 室町幕府の財政は幕府直轄のからの収入が主であったが、南北朝の戦乱の際に敵対する南朝側より狙われて奪取されたり、自軍へのにされてしまうケースも多く、次第に土地からの収入が減少して鎌倉幕府や江戸幕府に比べて小規模であったと考えられている。 このため、として臨時のや棟別銭などが徴収された。 商人に対しては特権や保護の代償に営業税などを取り、各からの、のからの(通行税)も徴収された。 尚、足利義満の時代に京都の土倉や酒屋に対して恒常的にを取る権利を認められると、段銭や棟別銭等と共にと呼ばれる幕府の土倉によって徴収された。 後に納銭方は幕府の委託を受けて税収の保管・出納の事務等も任される様になり、こうした土倉をと呼んだ。 更に義満が日明貿易を始めると貿易そのものやによる収益も幕府収入となる。 貿易の回数が限られていた為に臨時収入的な物に留まったが、1回の貿易で他の税収の数年分の収益を挙げる事もあったとされている。 また、明徳の乱・応永の乱・嘉吉の乱などによって没収された守護大名の所領の一部は幕府御料所に組み入れられたり、将軍側近や奉公衆に所領として宛がって将軍直属軍の基盤とした。 他の臨時収入的な物としてや等が挙げられる。 更に後半以後には京都のある国内の御料所化にも着手している。 室町幕府の守護大名等 [ ] 「」も参照 室町殿御分国 [ ] 『』等によると、 三職七頭の家格が定められたとされる。 管領職には 、 、 の三氏が就いて「 三職()」と称し、 、 、 、 、 、 、 の七氏が「 」と称され、特に七氏のうちの山名氏、一色氏、赤松氏、京極氏の四氏と土岐氏を含めた計五氏が 京都奉行職(所司)に就いて「 」と称された。 七頭の残り二氏のうち伊勢氏は 奏者(申次)、上杉は 関東執事(関東管領)にそれぞれ任じられた。 その他、 、 の両氏を 礼式奉行に、 、 、 の諸氏は 武頭(侍大将)とされ、将軍直轄の軍事力としてが編成された。 (三職家):管領職に任じられる大名家であり、格別に高い格式を誇った。 (武衛家):越前・尾張・遠江の守護職を世襲。 三職の中でも筆頭に位置し、将軍連枝と同等の格式にあった。 (金吾家):紀伊・河内・越中の守護職を世襲。 室町中期には大きな勢力を誇ったが、同家の家督争いが応仁の乱の最大の要因となった。 (京兆家):摂津・丹波・讃岐・土佐の守護職を世襲。 室町後期には管領職をほぼ独占し、幕府は『細川政権』の体をなした。 :三職に次ぐ有力大名家で、戦国期には・・・などの新興の戦国大名も列せられるようになった。 :丹後・伊勢・三河の守護職を世襲。 侍所所司に任じられる家柄。 畠山氏(匠作家):能登の守護職を世襲。 細川氏(讃州家):阿波の守護職を世襲。 :但馬・備後・安芸の守護職を世襲。 侍所所司に任じられる家柄。 :播磨・備前・美作の守護職を世襲。 侍所所司に任じられる家柄。 嘉吉の乱を引き起こして一時滅亡するものの、後に再興を許される。 :出雲・隠岐・飛騨の守護職を世襲。 侍所所司に任じられる家柄。 :周防・長門・豊前・筑前の守護職を世襲。 :三職、御相伴衆に属する大名の庶家や、畿内近国の有力大名家が列した。 斯波氏(大野家):加賀・越前大野郡の守護職を世襲。 :美濃の守護職を世襲。 侍所所司に任じられる家柄。 :近江の守護職を世襲。 :駿河の守護職を世襲。 鎌倉府の担当地域に隣接している事からその監視の役目を負った。 細川氏(上和泉家):和泉の守護職を世襲。 細川氏(下和泉家):和泉の守護職を世襲。 山名氏(伯耆家):伯耆の守護職を世襲。 山名氏(石見家):石見の守護職を世襲。 (豆州家):若狭・安芸の守護職を世襲。 甲斐武田家の別流。 :加賀の守護職を世襲。 :国持に准ずる家。 細川氏(奥州家):に成長した肥後細川氏の前身(血統的には上和泉家)。 京極氏(加州家):で命を落としたの流れか。 時代によって変遷はあるものの、これら三職家から准国持衆までの20数家が室町幕府における「大名」と呼称された家々で 、俗に「 室町二十一屋形」と呼ばれた(『京極家譜』)。 この「大名」と呼称された家々の他に、以下のような家格があった。 :国持衆の一門の家。 (末野家):の系統か。 (七条家):の系統。 赤松氏(有馬家):の系統。 に成長した久留米有馬氏の前身。 京極氏(鞍智家)• 京極氏(宮内少輔家):庶流がへと成長。 :評定衆の。 :外様衆に次ぐ家格で、一部に国持衆並の格式を持つ家もあった。 細川氏(淡路家):淡路の守護職を世襲。 国持衆並。 奉公衆の一番番頭。 細川氏(備中家):備中の守護職を世襲。 国持衆並。 細川氏(典厩家):摂津中島郡の守護職を世襲。 国持衆並。 山名氏(因幡家):因幡の守護職を世襲。 国持衆並。 (勢州家):政所執事職を世襲。 :奉公衆の二番番頭。 畠山氏(播州家):奉公衆の三番番頭。 :奉公衆の三番番頭。 畠山氏(中務少輔家):奉公衆の四番番頭。 :奉公衆の五番番頭。 細川氏(野州家):伊予宇摩郡の守護職を世襲。 一色氏(式部少輔家):の系統。 :御供衆に次ぐ家格。 一部に御供衆と重複する家がある。 :御部屋衆に次ぐ家格。 一部に御供衆、御部屋衆と重複する家がある。 伊勢氏(備中家):を出した家と考えられる。 畠山氏• 大舘氏• 上野氏• :申次衆に次ぐで、式日において将軍の目通りを許された家。 (備州家):信濃の別流。 の弓馬師範役であった事から、本来の以上の格式を誇った。 一色氏(阿州家)• :将軍直参。 で将軍の警護をした。 その他、「」と称された(西条家)・吉良氏(東条家)・(満頼系)・・・(四条家)は別格として、三職並みの格式を与えられた。 またが支配する関東・奥羽では「」「」など独自の家格が整えられていき、その一方で京都の幕府と直接主従を結ぶ「」なども存在した。 九州 [ ]• : 足利氏一門の名族で足利将軍家・斯波氏に次ぐ家柄の良い一族。 肥前の守護職も兼ねた。 : 鎌倉時代以来の九州一の名家。 : 豊後・筑後の守護職を世襲。 : 薩摩の守護職を世襲(今川探題下では守護でなかった時期がある)。 : 長門・周防の守護であるが幕府より渋川氏の援軍として派遣された経緯により豊前・筑前にも基盤を築く。 : 南朝・後南朝の主勢力であったが室町時代中期に足利将軍家に帰参し肥後の守護職となった。 奥州 [ ]• : 斯波氏の分家で陸奥の探題職を世襲。 : 大崎氏の分家で出羽の探題職を世襲。 脚注 [ ] []• 藤田達生「「鞆幕府」論」『芸備地方史研究』268・269号、2010年。 『国史大事典』(吉川弘文館)• 市川裕士「応永・永享年間における室町幕府の地方支配と地域権力」『室町幕府と地方支配と地域権力』戎光祥出版、2017年。 市川裕士「嘉吉の乱後の室町幕府の地方支配と地域権力」『室町幕府と地方支配と地域権力』戎光祥出版、2017年。 有光友學編 『戦国の地域国家』 吉川弘文館〈日本の時代史12〉、2003年、16頁。 古野貢「」『市大日本史』第006号、2003年、 109頁。 堀川康史「今川了俊の探題解任と九州情勢」『史学雑誌』125巻12号、2016年、 1-24頁。 黒嶋敏「境界論と主従の関係 報告,シンポジウム「中世史学の未来像を求めて」,日本史部会,第一一〇回史学会大会報告 」『史学雑誌』122巻1号、2013年、 101頁。 新田英治「」『学習院大学文学部研究年報』40号、1994年、 56頁。 田沼睦 「室町幕府と守護領国」 『講座日本史3 封建社会の展開』 東京大学出版会、1970年。 『中世武家の作法』吉川弘文館、1999年。 関連項目 [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 - 足利氏発祥の地とされるの都市• - 鞆幕府(義昭追放後の幕府)• - 鞆幕府での中心的役割を果たす•

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